2016年9月4日説教(第二ペテロ1:1-21、終末の希望に固く立って)
1.終末の希望を失った教会への手紙
・これまで第一ペテロ書を5回にわたって読んできました。今日から第二ペテロ書に移りますが、同じペテロ書でも第一と第二はかなり内容が異なります。第一ペテロ書は、紀元60年代の半ば頃に、使徒ペテロが小アジアの諸教会に送った手紙です。小アジアの信徒たちは異教社会の中で孤立し、圧迫と迫害を受けていました。その彼らにペテロは「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」(一ペテロ2:11-12)と励ましました。そして「主が再び来られて神の国がこの地上に実現する日を、目覚めて待ちなさい」(同4:7)と申し送りました。パウロもペテロも「自分たちが生きている間に世の終わりの時が来る。その時主イエスが再臨され、神の国が来る」と信じていました(パウロの終末観は1テサロニケ4:15他に示されている)。
・しかしパウロは64年に、ペテロも68年にローマで殉教して死に、彼らの生存中に神の国は来ませんでした。そして故国パレスチナではユダヤとローマとの間に戦争が起き、敗北したユダヤの首都エルサレムは破壊され、信仰の中核であったエルサレム神殿は崩壊しました(紀元70年)。神殿崩壊は主イエスが預言されたことであり(マルコ13:2)、信徒たちは預言されたイエスの再臨(マルコ13:26「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」)を今か今かと待ち望みました。しかしイエスは来られず、神の国も来ませんでした。終末を待望していた教会の緊張感は弛緩し、信徒たちは何を目標に生きて行けばよいのか、わからなくなりました。中には「終末など来ない、そうであればこの世を楽しく過ごして生きよう」という者も出てきました(二ペテロ3:4)。このような中で、教会の先行きに危機感を持ったペテロの弟子たちが、ペテロの名によって諸教会へ手紙を書いた、それが第二ペテロ書だと言われています。
・終末の救いが信じられなくなった時、人は、「この世でいかに幸福を得るか、自己実現をするか」が人生の目標となります。しかし、自己実現とは自己のために他者をむさぼる生き方であり、そこには本当の救いはないと著者は語ります。「主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とに関わる全てのものを、私たちに与えて下さいました。それは私たちを御自身の栄光と力ある業とで召し出して下さった方を認識させることによるのです。この栄光と力ある業とによって、私たちは尊くすばらしい約束を与えられています。それはあなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです」(1:3-4)
・神の救いの約束を信じて今を生きる、自分が召され、選ばれていることを信じ、為すべき事を行う。そのことによってのみ救いは来る、人の罪の問題が解決されない以上、自力での救いはありえないのだと著者は語ります。「だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、私たちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう」(1:5-8)。そして著者は続けます「だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。こうして、私たちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります」(1:9-11)。
2.終末の希望についてのペテロの証し
・初代教会は、「主が再臨され、神の国が来ること」を祈り続けていました。ヨハネ黙示録は記します「すべてを証しする方が、言われる。『然り、私はすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)。この終末の希望が絵空事かどうかは、教会の生死を決定する出来事でした。ですから手紙の著者は語ります。「私たちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、私たちは巧みな作り話を用いたわけではありません。私たちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から『これは私の愛する子。私の心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといた時、天から響いてきたこの声を聞いたのです」(1:16-18)。これはペテロが目撃したイエスの山上の変貌の出来事を指しています。マルコによれば「イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き・・・雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした『これは私の愛する子。これに聞け』(マルコ9:2-8)。
・ペテロの弟子たちは語ります「こうして、私たちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇る時まで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(1:19-21)。預言されたように、終末はやがて来る、だから「目を覚ましてそれを待ちなさい」と手紙は語ります。
3.望みが絶たれた時にもなお望む力
・今日の招詞に第二ペテロ3:8-9を選びました。次のような言葉です「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」。初代教会は主の再臨が近いとして、緊張のうちに信仰生活を送っていましが、それが来ないために、教会内に終末・再臨についての疑念が高まっていました。ある人々は「主が来るという約束は、一体どうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」(3:4)と嘲笑しました。それに対する著者の回答が招詞の言葉です。
・私たちはこの「再臨(終末)の遅延」を、どう考えるべきでしょうか。「終末の遅延=希望の喪失が人間に何をもたらすか」を考えるために、フランクル「夜と霧」を読みます。フランクルは第二次大戦時に生きたユダヤ人精神科医でしたが、ドイツがオーストリアを併合した時強制収容所に収監され、3年間の収容所生活を耐えて生き残り、その体験を「夜と霧」としてまとめました。彼は収容所で医者として働き、苦難の中に死んでいく多くの同胞たちを看取りました。著書の中で、フランクルは、1944年のクリスマスが終わった後、人々が次から次に死んでいった出来事を語ります「1944年のクリスマスと1945年の新年との間に、われわれの収容所では未だかってなかったほどの大量の死亡者が出た。収容所の医長の見解によれば、それは、過酷な労働条件によっても、また悪化した栄養状態によっても説明され得るものではなく・・・囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという素朴な希望に身を任せた事実の中に求められるのである。ところが、クリスマスが近づいてくるのに明るい知らせは何もなく、失望や落胆が囚人を打ち負かし、囚人の抵抗力を失くしていった (「夜と霧」、霜山徳爾訳、p181-182)。
・多くの人が解放の希望を失って死んでいったのは、1944年のクリスマスでした。ドイツが戦争に負けて、囚人たちが解放されたのはその4か月後、1945年4月です。同時に生き残った人たちもいました。両者を分けたのは「未来に対する希望だった」とフランクルは語ります。「もはや人生から期待すべき何ものも持っていないと考え、まったく拠り所を失った人々はやがて仆れていった」。その中で希望を持ち続けた人々は生き残りました。
・この視点から「再臨の遅延」を考えた時、何が言えるのでしょうか。前にご紹介いたしましたカール・バルトは、著書『ローマ書』の中で述べます「再臨が遅延するということについて、その内容から言っても少しも現れるはずのないものが、どうして遅延などするだろうか。再臨が遅延しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」。「キリストは既に来ておられる、私たちの心の中に生きておられるではないか、何故再臨の遅延などと騒ぐのか」とバルトは語るのです。「どのような未来が私たちを待ち受けているか私たちは知らないし、知る必要もない。私たちは『今』をどう生きるのかを考えるべきだ」とバルトは語るのです。先ほどのフランクルは語りました「待っている仕事、あるいは待っている人間に対して持っている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することが決してできない」(p187)。やるべき仕事を持っている人間、あるいは自分は必要とされていると思えた人は生きることが出来たとフランクルは語ります。
・私たちはいつか死にます。私たちはある意味で、死刑を宣告され、刑の執行を待っている存在です。私たちはまさに終末の中に生きています。日本では毎年3万人の人が自殺します。自殺者の背後には未遂者が10倍以上いるといわれていますので、実に30万人の人が、毎年自死の淵に立っていることになります。不幸や死が見えないだけで、実の所、私たちもまた「強制収容所」の中にいるのです。その中でどう生きるか、フランクルが語るように「生きる意味を見出さない」限り、力尽きて死んでしまいます。フランクルは晩年、アメリカで死刑囚のいる刑務所に行って講演を行いました。「明日もしあなたが死刑になるとしても、今からでも人生を意味あるものに変えるのに、遅すぎることは決してない」。
・私たちはやがて年を取り、体が不自由になり、寝たきりになります。寝たきりになった時、私たちはなお希望を持てるのか。三浦綾子さんは1999年77歳でなくなりましたが、晩年はパーキンソン病のため寝たきりでした。仕事もできなくなってきた。しかし彼女は繰り返し語ったそうです「私にはまだ死ぬという大切な仕事がある」と。フランクルは語ります「自分の人生にはどんな意味が与えられており、どんな使命が課せられているのか、それを見出し、実現するように毎日を生きる。どんな時にも人生には意味がある。この人生のどこかにあなたを必要とする何かが、あなたを必要とする誰かがいる」と。「生きているのではなく、生かされている」、私たちがそれを理解し始めた時、人生は意味あるものに変わっていきます。フランクルは語ります「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生の方があなたに絶望することはない」。この人生を神と読み替えれば、これはまさに教会の語るべき福音です「あなたがどれほど神に絶望しても、神があなたに絶望することはない」。