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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年12月24日説教(ルカ2:1-7、イエスの生誕物語)

投稿日:2017年12月24日 更新日:

2017年12月24日説教(ルカ2:1-7、イエスの生誕物語

 

1.ルカの描く生誕物語

 

・クリスマスになりました。私たちは12月25日を、主イエス・キリストの誕生日としてお祝いし、今年は直前の主日である12月24日にクリスマス礼拝を持ちます。クリスマスとはクリストス・マス、キリストのミサ(礼拝)の意味です。しかし、キリストと呼ばれるようになったイエスがいつお生まれになったのか、歴史上はわかっていません。イエス・キリストの誕生日を12月25日として祝うようになったのは4世紀頃からで、当時祝われていた「冬至の祭り」を、教会がキリストの誕生日に制定してからだと言われています。冬至、夜が一番長い暗い闇の時、しかしそれ以上に闇は深まらず次第に光が長くなる時、教会は冬至の日こそ、光である救い主の誕生日に最もふさわしいと考えるようになりました。

・今年はルカ福音書からクリスマス物語を聞きますが、ルカはイエスがお生まれになった時代の描写から、その生誕物語を始めます。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた最初の住民登録である」(2:1-2)。ローマ皇帝アウグストゥスが当時の世界を支配し、皇帝の部下キリニウスがシリア州の総督であった時、シリア州の一部であったユダヤにおいて、住民登録をせよとの命令が下されたとルカは記します。イエスの両親ヨセフとマリアは、住民登録をするために、ガリラヤのナザレから、父ヨセフの本籍地であるユダのベツレヘムまで旅をしました。住民登録とは、今日でいえば国勢調査であり、目的は植民地住民への課税のためでした。

・ナザレからベツレヘムまで120㎞、山あり谷ありの道です。ヨセフの妻マリアは身重でしたので、その旅は難儀であり、一週間以上も歩いてベツレヘムに着いたとされます。ルカは記します「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(2:6-7)。宿屋には「彼らの泊まる場所がなかった」、この「泊まる場所」を「居場所」と訳し直せば、今日の私たちの問題になります。現代の日本において、職場で、学校で、家庭で、「居場所を見いだせない」人々は、「死にたい」とつぶやき、本当に死を選ぶ人もいます。「自分を必要としてくれる人は誰もいない」、「生きていてもしょうがない」と苦しむ人々に、ルカは「主イエスも居場所がなく、家畜小屋で誕生された。神は私たちの悲しみ、苦しみを担うために、あえて御子を家畜小屋で生まれさせられた」と語ります。ルカは成人後のイエスの言葉も紹介しています「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(ルカ9:58)。私たちの主イエスは居場所のない人たちの苦しみ、悲しみを知ってくださる方だとルカは語ります。

・ルカの短い文章が示すことは、ユダヤはローマの植民地であり、ローマに税金を支払うために、全国の人々がその本籍地への移動を強制されたということです。命令に従って、イエスの両親は、遠いベツレヘムまで旅をし、旅先でイエスは生まれられました。ベツレヘムはダビデの町です。ダビデはイスラエルの全盛時代を築いた王、人々はダビデの子孫からイスラエルを異邦人の支配から解放する救い主が生まれる日を待望していました。その預言通り、ダビデの血を引く、一人の幼子が、ダビデの町に生まれられましたが、それを目撃したのは貧しい羊飼いだけだったとルカは語ります(2:16)。エルサレムの王宮にいる王や貴族も、ローマにいる皇帝や議員たちもこの出来事を知らないし、仮に知ったとしても何の意味も見出さなかった。だから歴史はイエスの誕生日を知らないとルカは語ります。

 

2.アウグストゥスではなくイエスを

 

・歴史はイエスの誕生日を知りませんが、ローマ皇帝アウグストゥスの誕生日は知っています。彼は紀元前63年9月23日に、ローマ貴族の家に生まれ、成人してローマの支配者ユリウス・カエサルの養子となり、カエサル死後、政敵との争いに勝利を収め、初代ローマ皇帝となりました。彼の長い治世下(前27~後14年、在位41年間)に、ローマは帝国として統一され、「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」と呼ばれる繁栄期を迎えます。人々は彼を「救い主」(ソーテール)と呼び、「主」(キュリエ)と呼んで崇めました。

・ルカはイエスが生まれられた時、天から声があったと伝えます。その声は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(2:10)でした。「告げる」、ギリシア語「エウアンゲリゾー」、「福音(エウアンゲリオン)」の動詞形であり、元々はローマ帝国の皇帝礼拝で用いられた言葉でした。当時の人々は「皇帝アウグストゥスこそ、平和をもたらす世界の“救い主(ソーテール)”であり、神なる皇帝の誕生日が、世界に新しい時代の幕開けを告げる“福音(エウアンゲリオン)”の始まりである」と考えました。それに対してルカは、「皇帝アウグストゥスの時代にローマ帝国のはずれ、ユダヤの片田舎に一人の幼子が生まれた。この方こそ本当の主(キュリエ)である」と語っているのです。

・イエスの時代、世界はローマにより統一され、ローマの平和が讃美され、皇帝アウグストゥスは主(キュリエ)と呼ばれ、その治世は福音(エウアンゲリオン)をもたらすと言われました。しかしその「ローマの平和」は武力による平和です。武力は一時的に敵対勢力を抑えますが、暴力は次第に増大し、やがて戦争が起こり、平和は崩れます。ローマの平和もローマの勢力衰退と共に崩れ、ローマが滅びた後、誰もアウグストゥスを「主」とは呼ばなくなりました。しかし誰にも知れずにお生まれになったイエスは、今日、世界中の人々がその生誕をクリスマスとして祝います。

・ルカのクリスマスの使信は、現代の私たちへの使信でもあります。現代のローマ帝国はアメリカと言えましょう。アメリカは軍事力と経済力で世界を支配し、その支配は「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」と呼ばれています。しかし相次ぐ戦争を経て支配力に陰りが見え、今は中国が新興勢力として登場し、将来中国とアメリカが覇権をめぐって戦うという危惧さえ生まれています。日本はこの「アメリカの平和」に自国の安全保障を委ね、沖縄を始め多くの軍事基地をアメリカに提供しています。仮に米中戦争が起きれば、日本はアメリカの前線基地として戦場になる可能性があります。ルカが命がけで伝えた使信、「ローマの平和ではなく、神の平和を」との使信は、私たちの生存がかかっている言葉なのです。

 

3.キリスト教は何故受け入れられたのか

 

・今日の招詞にマタイ25:35-36を選びました。次のような言葉です「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」。ロドニー・スターク著「キリスト教とローマ帝国」によれば、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、100年後の紀元200年においても数十万人に満たない少数であったとされています。キリスト教が根付かないと言われている現代の日本のキリスト教徒の数100万人にも満たない、まことに小さな群れであったのです。しかし、信徒数は紀元300年には600万人を超え、4世紀には3千万人、人口の50%を超えて、キリスト教はローマ帝国の国教になります。何故信徒がそのように増えたのか、スタークは「キリスト教の中心教義が人を惹き付け、自由にし、効果的な社会関係と組織を生み出していった」からだと述べます。

・その中心教義の一つが、「飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、病人を見舞いなさい」という招詞の言葉です。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、死者は数百万人にも上り、疫病の流行がローマの人口減少を招き、ついには滅ぼしたと考える歴史家さえいます。人々は感染を恐れて避難しましたが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、水とパンを与え、死にゆく人々を看取り、埋葬し、中には疫病に感染して死んで行った信徒たちも多かったと伝えられています。「彼らは何故そうしたのか」、キリストがそうせよと命じ、教会もそれを勧めたからです。今日の招詞の後にありますイエスの言葉「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25:40)を、初代の信徒たちは文字通りに受け取り、命を懸けて実行したのです。

・この「病人に食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせたとスタークは考えています。彼はテキストの最後に述べます「キリスト教が改宗者に与えたのは人間性だった」と。原著が書かれたのは1997年で、その時点では著者スタークは無神論者でしたが、この研究を通して信仰を持ったと語ります。「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた」、この信徒たちの行為がローマ帝国内の人々を動かし、終にはローマ皇帝がその前に頭を下げるに至ったのです。

・事情は今日でも同じです。人々は牧師の説教を聞いて、あるいは聖書の言葉を読んで、クリスチャンになるのではありません。マザー・テレサは語りました「もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が、与えなかったからです。神の愛の手の道具となって、パンを、服を、その人たちに差し出さなかったからです。キリストが、飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを探し求める人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度来られたのに、私たちがキリストだと気づかなかったからなのです」。人の心を動かすのは、信仰に裏打ちされた信徒の行為です。福音を持ち運ぶのは私たち一人一人であり、私たちがそのように行為する時、本当のクリスマスが世に来るのです。

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