1.ピラトの裁判
・イエスは最高法院で死刑の判決を受けたが、ユダヤ人はイエスをローマ総督ピラトの下に連行する。自治組織であるユダヤ最高法院は死刑執行権を持っていなかったからだ。祭司長たちはイエスを反乱罪で告発する。ルカによれば、告発の内容は、「民衆を惑わした」、「皇帝に税を払うことを禁じた」、「自分は王であると言った」の三点だとする。
−ルカ23:1-2「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』」
・最高法院での罪名は「涜神罪=メシアを騙った」であったが、涜神罪はローマ法では犯罪を構成しない。そのため、ローマ総督の下ではイエスは「反乱罪」で裁かれる。
-マルコ15:1-2「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトがイエスに『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは『それは、あなたが言っていることです』と答えられた」。
・ピラトもイエスに関する情報を集めていた。今、ピラトの前に立つのは、ガリラヤの貧しい村に生まれ、わずかの弟子を連れて町々村々に「神の国は来た」と教えを説いて回り、エルサレム神殿で騒動を起こしたが、ローマ守備隊を派遣すると何の抵抗もできずに捕らえられた貧弱な男だった。このような男がローマに反乱を企てるとはとても考えることはできない。ピラトはイエスに再び尋ねる「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに」。しかしイエスは沈黙を守られる。
-マルコ15:3-5「祭司長たちがいろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した『何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに』。しかしイエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った」。
・信仰上の弾圧は容易に政治上の弾圧に変わる。戦時中、不敬罪で告発されたホーリネス教会の菅野牧師の予審調書が残されている。キリストを礼拝することが、天皇の権威を冒すこととして裁かれている。
-係官「旧新約聖書を読むと、すべての人間は罪人だと書いてあるが相違ないか」。菅野「相違ありません」。係官「では聞くが天皇陛下も罪人なのか」。菅野「天皇陛下が人間であられる限り、罪人であることを免れません」。係官「天皇陛下が罪人なら、天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か」。菅野「天皇陛下が人間であられる限り,救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます」(小池健治/西川重則/村上重良編『宗教弾圧を語る』pp173-4,岩波書店)
2.死刑判決を受ける
・ローマには、ユダヤ人の祭りの期間中に限り、罪人を特赦放免する制度があった。暴動と殺人罪を犯したバラバが獄にいた。群衆はピラトにバラバの特赦を要求した。
―マルコ15:6−8「ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動の時、人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。」
・このバラバを、「暴動の時、人殺しをして投獄されていた暴徒」とマルコは記す。暴徒=ギリシア語スタシアステース、暴動参加者という意味だ。バラバはおそらく反ローマ運動の指導者として捕らえられた。民衆は彼らにとって愛国の英雄であるバラバの釈放を求め、かつて歓呼して迎えたイエスを、「殺せ」と叫ぶ。政治の怖さがここにある。
―マルコ15:9−11「そこで、ピラトは、『あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか』と言った、祭司長たちがイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていたからである。祭司長たちはバラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。」
・「ピラトはイエスに好意的であったが、民衆の圧力に負けて、イエスの死刑を決定した」と福音書記者はこぞって書く。福音書が書かれた当時(紀元70〜80年頃)、ローマ帝国内に広がり始めていた教会はユダヤ教会からの迫害は受けていたが、ローマ帝国からの迫害は無かった。他方、100年頃に書かれたヨハネ黙示録はローマ帝国をバビロン、サタンと呼ぶ。帝国からの迫害が激しかったからだ。聖書は歴史的文書であり、時代背景を抜きにしては語れない。
―マルコ15:12−14「そこで、ピラトは改めて、『それは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか』と言った。群衆はまた叫んだ。『十字架につけろ。』ピラトは言った。ピラトは言った。『いったいどんな悪事を働いたというのか。』群衆はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び立てた。」
・ピラトは群衆に迎合してバラバを釈放し、イエスを十字架につけるために引き渡した。
―マルコ15:15「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」
・イエスはピラトの審問の間、ほとんど口を開かれず、沈黙を守られた。初代教会はそのイエスの姿にイザヤ53章「主の僕」を見た。
−イザヤ53:7「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」。
・イエスの弟子たちは、神の子と信じたイエスが、何故十字架の呪いの中で死ななければならなかったのか、わからなかった。人々がそれを理解する契機になったのがこのイザヤ53章だった。ルカはエチオピア人宦官の口にイザヤ53章を朗読させ、苦難の僕こそイエスだったと告げる。
−使徒8:32-35「彼が朗読していた聖書の個所はこれである『彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ』・・・そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた」。
3.ピラトの裁判をどう読むか
・ドイツ・バイエルン地方のオーバーアマガウでは10年ごとに受難劇が上演される。当初はペストの危害から村を守ってくれたことへの感謝から受難劇の上演を続けてきたが、やがてこの受難劇が熱狂的な反ユダヤ主義の引き金になってくる。1934年に行われた300周年記念公演を観劇したヒトラーは、対ユダヤ人戦争の「貴重な武器」になると大喜びでこの劇を賛えたという。1990年の公演では、パリサイ派のユダヤ人は全身黒ずくめの衣装で悪魔の角のような帽子をかぶり、イエスや弟子たち、ローマ総督のピラトでさえ、白い衣装を身につけていた。舞台の上では、ユダヤ人の群衆がイエスの処刑を求めて叫び、そのうちの一人があの悪名高いマタイ伝の「血の誓約」を詠唱している。「彼(イエス)の血の責任は、我々と子孫にある」というマタイ伝の一節(27:25)は、2000年の間ユダヤ人迫害の根拠とされてきた。
・誰がイエスを殺したのか。聖書は「イエスは引き渡された」と言う。主語は神だ。ユダヤ人でもなくローマ人でもなく、イエスは父なる神により死に「引き渡された」。そのことの意味を考える必要がある。イエスは十字架の出来事を避けようと思えば、避けることが出来た。エルサレムが危険な場所であることは知っておられたし、エルサレムに来なければ十字架はなかった。ユダが良く知っているゲッセマネに来なければ、逮捕も免れたかもしれない。しかし、イエスはそうされなかった。イエスの十字架が、「受難」と言う消極的な出来事ではなく、「引渡し」という能動的な行為であったとマルコは記す。
・初代教会の人々はイエスの沈黙の中に、「苦しみを引き受けて死んで行かれる」姿を見た。そして彼等もまたイエスに従い、イエスのために「苦しみを引き受ける者」となり、その殉教者の血が教会を形成していく。聖書学者の大貫隆氏は弟子たちがイエスの処刑をどのように受け止めたかについて述べる。
−大貫隆「イエスという経験」「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書(旧約)であった。聖書の光を照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直されるのである。彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受け取り直した」。
・この物語は私たちに、「仮に不当に誤解され、非難されることがあった時、わからせる努力を尽くすべきだが、説明しても分かってもらえないときは沈黙を守れ」と語る。人への沈黙は心を神に向けるゆえだ。真実はやがて神が明らかにして下さるゆえに、無用な抗弁はしない。イエスはそういう生き方をされた、そして神はそのイエスを死から起こされた。「沈黙する」という生き方を覚えたい。
−詩篇62:2「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。神に私の救いはある」。