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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年7月8日祈祷会(ヨハネによる福音書17:1‐26、イエスの祈り)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスの祈り

・イエスは最後の祈りを始められる。歴史的に見れば、イエスはユダヤ人指導者やローマ帝国総督によって、十字架にかけて殺された。しかし、信仰の目で見れば、イエスはご自分の命を「罪のための贖い」として十字架に捧げられた。殺されるのではなく、命を捧げていくのだという積極的な意思がここにある。だから、その死は「栄光」なのである。なお、ここに表明されているのは、イエスの言葉というよりも、ヨハネ教会の信仰告白の言葉と見るべきだろう(17:3参照)。
−ヨハネ17:1‐3「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えてください。あなたは子にすべての人を支配するための権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることが出来るのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。』」
・永遠の命、救いとは「神と子を知ることである」と言われている。神を知るとは、自分が神でないことを認めることだ。イエスが求められたのは、父の栄光を現すことである。イエスは3年間、言葉で教えられ、最後の時は十字架の行為をもって教えられた。十字架はイエスの身を持って話された言葉である。
−ヨハネ17:4‐5「『私は、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。父よ、今、御前で栄光を与えてください。世界が造られる前に、私がもともと持っていたあの栄光を。』」
・イエスの言われる「世から選び出し、私に与えてくださった人々」とは、福音を信じ、信仰に目覚め、イエスに従う人々である。イエスは弟子たちのために執り成しの祈りを始められる。
−ヨハネ17:6‐7「『世から選び出して私に与えてくださった人々に私は御名を現わしました。彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいました。彼らは御言葉を守りました。私に与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。』」
・イエスが人々に伝えるのは、自分の言葉ではなく、神から託された真理の言葉である。
−ヨハネ17:8‐10「『なぜなら、私はあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、私がみもとから出て来たことを本当に知り、あなたが私をお遣わしになったことを信じたからです。彼らのためにお願いします。世のためではなく、私に与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。私のものはすべてあなたのもの、あなたのものは私のものです。私は彼らによって栄光を受けました。』」
・イエスは十字架の時を「栄光の時」と呼ばれる。何故、イエスが十字架で死なれることが栄光になるのか、人間的には理解が難しい。ユダヤ人にとって十字架にかけて殺された者は、神から捨てられた、汚れた者であった、彼らは十字架につけられた者が神の子であるとはとても信じることは出来ない。ギリシヤ人にとって十字架にかけられた者は、世の失敗者・敗残者であり、その人が救い主であるとは信じることが出来ない。ユダヤ人もギリシヤ人も「十字架を栄光の時」と言われたイエスの言葉を理解できない。しかし、私たちはこの十字架の言葉の中に真理があることを伝えていく。
-?コリント1:23-24「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである」。

2.弟子たちのための祈り

・イエスは弟子たちに後事を託さねばならない。そのためにはイエスと御父が一つであるように、弟子たちも一つでなければならないから、弟子たちの一致を祈る。不和と不一致は、福音を傷つけ、歪めてしまい、イエスの福音の業を挫折させてしまう。
−ヨハネ17:11‐13「『私は、もはや世にいません。彼らは世に残りますが、私はみもとに参ります。聖なる父よ、私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください。私たちのように、彼らも一つとなるためです。私は彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。私が保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。』」
・神は人を造ったが、それを罪の世にしたのは人である。故に人は罪の世に属している。しかし、イエスは神に属し、イエスに従う弟子たちも罪のこの世に属していないのである。
−ヨハネ17:14‐16「『しかし、今、私はみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、私の喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。私は彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。私が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。私が世に属していないように、彼らも世に属していないのです。』」
・イエスは弟子たちの聖別を父に願い、更に弟子たちのため自分自身を捧げると誓われる。
−ヨハネ17:17‐19「『真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。彼らのために、私は自分自身を捧げます。彼らも、真理によって捧げられた者となるためです。』」
・世は十字架の言葉を理解せず、憎む、そして十字架の言葉を述べる私たちも世から憎まれるであろう。何故なら「イエスが世に属さないように、私たちも世に属さない」からだ。私たちが福音を伝道しても受け入れる人は少ないであろうことを覚悟しなければならない。それにもかかわらず、私たちはこの言葉を述べ続ける。何故ならば、この言葉の中にこそ、真理が、命があると信じるからだ。

3.すべての人のための祈り

・イエスは世のすべての人のために祈る。イエスの弟子たちは福音により選び分かたれた人々であるが、イエスの福音は弟子たちの救いを超える広がりを持つ。最終の目標は地上のすべての神の民が救われ、信仰により一つになることである。
−ヨハネ17:20‐21「『また彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも,お願いします。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります。』」
・地上には愛と友情がある反面、憎しみと争いも後を絶たない。福音は愛によって憎しみと争いを克服する。人は父なる神の下、愛と友情で一つになることで、神の栄光が地上に現わされる。
−ヨハネ17:22‐23「『あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私たちが一つでありように、彼らも一つに成るためです。私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。』」
・これを文字通り実行したのがキング牧師であった。彼の「汝の敵を愛せ」という説教は人の心を打つ。
-マルティン・ルーサー・キング「イエスは汝の敵を愛せよと言われたが、どのようにして私たちは敵を愛することが出来るようになるのか。イエスは敵を好きになれとは言われなかった。我々の子供たちを脅かし、我々の家に爆弾を投げてくるような人をどうして好きになることが出来よう。しかし、好きになれなくても私たちは敵を愛そう。何故ならば、敵を憎んでもそこには何の前進も生まれない。憎しみは憎しみを生むだけだ。愛は贖罪の力を持つ。愛が敵を友に変えることの出来る唯一の力なのだ」。
・私たちの栄光は、世の人々が私たちの生き方の中に、イエスの姿を見る時である。私たちの信仰生活の中に、私たちの家族や友人、職場や学校、さらに近隣の人々に対する行為の中に、イエスの愛の反映を見るとき、それが私たちの栄光である。福音とは言葉ではなく、信徒の生き方を通して伝えられる。
−ヨハネ17:24‐26「『父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前から私を愛して、与えてくださった私の栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っており、この人々はあなたが私を遣わされたことを知っています。私は御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。私に対するあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。』」

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