1.自由になったのに奴隷に逆戻りしてはいけない
・パウロは、信仰者はキリストにより神の子とされたのだから、アブラハムに与えられた祝福を受け継ぐ相続人なのだという。しかし、相続人であっても未成年である間は、後見人や管理人の監督下に置かれ、財産を自由に出来ない。信仰者もキリストが来られるまでは、律法や風習という管理人の元に生活せざるを得なかった。
-ガラテヤ4:1-3「相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。同様に私たちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」。
・しかし、キリストが来られて私たちはこれらのものから自由になった。律法の奴隷から、神の子とせられた。
-ガラテヤ4:4-7「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。れは、律法の支配下にある者を贖い出して、私たちを神の子となさるためでした。・・・ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」。
・アブラハムには二人の妻があり、女奴隷ハガルからはイシマエルが、正妻サラからはイサクが生まれた。アブラハムの相続人になったのは最初に生まれたイシマエルではなく、約束の子イサクだった。
-ガラテヤ4:22-23「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした」。
・あなたがたはイサクのように約束によって生まれた子だ。それなのに何故、肉によって生まれたイシマエルのようになろうとするのか。イシマエルはアブラハムの家から追われたではないか。
-ガラテヤ4:28-30「あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、霊によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。しかし、聖書に何と書いてありますか。『女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである』と書いてあります」。
・あなたがたは約束の子であり、キリストが自由にして下さったのだ。二度と奴隷の身に戻ってはいけない。
-ガラテヤ4:31-5:1「兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。この自由を得させるために、キリストは 私たちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」。
2.ガラテヤ教会をもう一度生むと言うパウロ
・律法に戻るとは、かつて私たちを支配した諸霊(スイトケア)の奴隷に戻ることだ。何故解放されたのに再び奴隷になろうとするのか。
-ガラテヤ4:8-9「あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」。
・スイトケアは今日の私たちをも支配している。特定の日を崇めるとか、方角や縁起を気にする人は多い。
-ガラテヤ4:10「あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
・私は今途方にくれている。私はあなた方を正しい福音の道に立ち戻らせるために、必要であれば、もう一度あなたがたのために苦しむ。どうか正しい道に戻って欲しいとパウロは訴える。
-ガラテヤ4:19-20「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、私は今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」。
・パウロの戦いは異端との戦いだ。それは異教との戦い以上に困難だ。同じキリスト者が戦うのだ。
-ガラテヤ4:17「あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです」。
・福音もすぐ律法化する。人がキリストのためにお酒を飲まないのは福音の喜びだ。しかし、飲む人を批判し始めるとそれは律法となる。真の律法とは隣人のために祈ること、隣人の欠点を数えないことだ。
-?ペテロ4:8「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです」。