1.最後の勧告
・パウロは手紙を閉じる前に、「今度、教会を訪問する時は、きちんと調査の上、処罰が必要な人は処罰します」と強い言葉を送る。処罰とは教会からの除籍を含む行為であろう。
-?コリ13:1-2「私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。全てのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません」。
・前回訪問で、パウロは反論せず、戻ってきた。そのため「パウロは口ほどのことはない」と高をくくる者も出た。私は個人としては弱いが、キリストの力を持つから強い、この強さを次回訪問で示そうとパウロは言う。
-?コリ13:3-4「あなたがたはキリストが私によって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。私たちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」。
・パウロは言う「あなたがたは他者の意見に惑わされ、私の使徒性を疑い、非難した。そのことはあなたがたが真性な信仰に立っているかを逆に問うものだ」。非難は個人の思いから出る、それは信仰に基づくものではない。
-?コリ13:5-6「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが」。
・私の願いは、私の正しさが証明されることではなく、あなたがたが正しい道に戻ることだ。
-?コリ13:7-9「私たちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それは私たちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。 私たちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。私たちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、私たちは祈っています」。
・キリストにある悲しみは人を命へと導く。従って、必要があれば厳しい措置もとる。しかし、あなたがたがその前に悔い改めてくれることを願うとパウロは書く。
-?コリ13:10「遠くにいてこのようなことを書き送るのは、私がそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです」。
2.祝祷
・これまで厳しい言葉を連ねてきたパウロは一転して、祝祷を述べ始める。厳しい言葉もコリントを愛すれば故であったからだ。ここでパウロは五つの祝福を述べる。
-?コリ13:11「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」。
・喜ぶこと、これが聖徒の第一の条件だ。何故なら、喜ばしい祝福である福音を受けたものが信徒になる。
-ローマ12:1 5「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。
・完全なものになること、信仰に成熟したものになることだ。成熟していないから、争いが生じる。
-?コリ3: 3「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」。
・励ましあうこと、それは相手の弱さを責めることではなく、弱さを担っていくことだ。
-?コリ12:9「主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。
・思いを一つにする。お互いが祈りあう時思いは一つになる。
-エペソ4:13「私たちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」。
・平和を保ちなさい。信徒の基本は平和である。相手が兄弟であれば争いようがないではないか。
-ローマ12:17-18「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。・・・全ての人と平和に暮らしなさい」。
・最後に祝祷を述べる。聖徒の交わりにおいては、どのようなことがあっても最後は祝福の言葉で別れる。
-?コリ13:13「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。