1.足の不自由な男のいやし
・ペテロとヨハネが神殿に行くと、足の不自由な人が物乞いをしていた。二人は物乞いをする男をじっと見つめた。以前のペテロたちであれば無関心に通り過ぎていたであろう。しかし今は違う。福音は他者を隣人にする。
―使徒言行録3:1-4「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『私たちを見なさい』と言った」。
・物乞いは期待して二人を見た。ペテロは彼に言う「私たちには金銀は無いが、持っているものをあげよう」。ペテロが手を取って彼を起こすと、40年間歩けなかった男が歩き始めた。本当に必要なものが与えられた。
―使徒言行録3:5-8「その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った『私には金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』。そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。・・・その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした」。
・初代教会は宣教し、癒し、施した。今日では癒しは医者が、施しは社会福祉事務所が行う。だから教会が力を失っている。困難の中にある他者の手助けをすることは今でも重要な教会の業だ。他者に関心を持つことこそ伝道だ。
―ヤコブ2:15-17「兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている時、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。・・・行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」。
・ルカ時代の人々は、障害はその人の罪か親の罪のためだと思っていた。しかし、イエスは神の栄光が現れるためだと言われた。多くの障害者がヨハネ9章を通して信仰に入っている。障害を持つ者として召されたと知るからだ。
―ヨハネ9:1-3「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか』。イエスはお答えになった『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』。
2.いやしと救い
・ペテロは癒しを見て驚いた人々に福音を語る。癒された人もやがて死ぬ。大事なのは癒しではなく救いなのだ。教会に癒しを求めてくる人が救いを見出した時に、本当の神の業が行われるのに、それに気づく人は少ない。
―ルカ17:17-19「イエスは言われた『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか』。それから、イエスはその人に言われた『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』」。
・ペテロは言う「この人はイエスの名によって癒された」と。福音は人を癒すが、その癒しは治癒以上のものだ
―使徒言行録3:11-16「その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて・・・彼らの方へ一斉に集まって来た。これを見たペトロは、民衆に言った『イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、私たちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、私たちを見つめるのですか。・・・あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全に癒したのです』」。
・「そのイエスをあなた方は十字架につけて殺した」とペテロは群集の罪を問う。責めるためではなく、悔い改めに導くための罪の指摘だ。神は人間の「否」を「然り」とされた。然りを知るためにはまず否を知ることが必要だ。
―使徒言行録3:13-15「神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。・・・あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました」。
・「無知で犯した罪は赦される、だから悔い改めなさい。立ち返ればあなた方は救われるが、そうでなければ滅びる」とペテロは群集に迫る。あなた方の「否」によって、救いは肉のイスラエルから霊のイスラエルに移ったのだ。
―使徒言行録3:17-19「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、私には分かっています。・・・だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」。
・二人の語った言葉により、5千人の者が信じた。教会はまた新しい人々を得た。伝道する教会は成長する。
―使徒言行録4:4「二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」。