1.聖霊降臨
・「エルサレムを離れず父の約束されたものを待ちなさい」というイエスの言葉に従い、待っていた弟子たちの群れに聖霊が下った。イエスの復活から50日目の五旬祭(ペンテコステ)の時であった。
―使徒言行録2:1-4「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。
・風、炎、舌、いずれも神の臨在を示す言葉である。私たちはここで「何が起こったか」ではなく、ルカは「何を語ろうとしているのか」を聞いていく。ルカが語るのは、弟子たちが神の出来事を語り始めたことだ。
―使徒言行録2:5-8「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか』」。
・神の業が異なる言語で語り始められた。ある人はそれを受け入れ、別の人はそれを愚かなこととして切り捨てる。
―使徒言行録2:11-13「『彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは』。人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」。
・その群集にペテロが語り始める。かつて女中の前でさえ語ることの出来なかったペテロが、今は群集の前で語る。聖霊降臨の出来事は語ることの出来なかった者に語る力が与えられたことだ。
―ルカ22:56-57「ある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『私はあの人を知らない』と言った」。
・ペテロの語ったことは、キリストの十字架と復活である。そこでは「神に従い、隣人を愛しましょう」との倫理は語られない。倫理(何をなすべきか)より前に、信仰(何を信じるか)が必要だからだ。
―使徒言行録2:23-24「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」。
2.教会の誕生
・ペテロは人々の罪を指摘する。説教は常に罪の指摘を伴う。
―使徒言行録2:36「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。
・罪を指摘された人々は、「どうしたらよいか」を尋ねる。
―使徒言行録2:37「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいのですか』と言った」。
・ペテロは答える「キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい」。
―使徒言行録2:38「ペトロは彼らに言った『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます』」。
・その日に3千人がバプテスマを受け、共同体に加わった。ここに教会が生まれた。
―使徒言行録2:41-42「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」。
・悔い改めた人々は礼拝共同体を形成するが、その共同体はやがて生活共同体へと発展していく。
―使徒言行録2:44-45「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」。
・その共同体は周りの人を巻き込んで成長する。教会の伝道力はそこに集う人の生き方だ。
―使徒言行録2:46-47「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。