1.真理とは何か
・ユダヤ人の何人かはイエスを信じた。その信じた人々に、イエスは「真理の中に留まりなさい」と言われた。
―ヨハネ8:31-32「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『私の言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』」
・自由にする=自由人になる=奴隷ではなくなる、の意味である。だから、ユダヤ人たちは、「自分達は誰の奴隷でもない、自由人だ」と反論した。
―ヨハネ8:33「彼らは言った。『私たちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。あなたたちは自由になるとどうして言われるのですか。』」
・イエスは反論される「あなた方は本当に自由なのか、あなた方は罪の奴隷ではないのか」と。
―ヨハネ8:34-38「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。・・・あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちは私を殺そうとしている。私の言葉を受け入れないからである。」
・私たちは本当に自由なのか。パウロが言うように、私たちは罪の縄目の中もがいているのではないか。
―ローマ3:10-18「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」
2.真理への反対者
・ユダヤ人たちはあくまでも、自分達はアブラハムの子孫であり、神の嫡出子であると主張する。
―ヨハネ8:39-41「私たちの父はアブラハムです・・・『私たちは姦淫によって生まれたのではありません。私たちにはただひとりの父がいます。それは神です』」
・しかしイエスは言われる「あなたたちが神から出た者であれば、私の言葉を聞くはずだ。」
―ヨハネ8:39-41「イエスは言われた。『アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこの私を、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。』」
・そしてイエスは決定的なことを明らかにされる「あなた方の父は神ではなく、悪魔なのだ」と。
―ヨハネ8:44-47「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。・・・神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」
3.ユダヤ人たちの怒り(=私たちの怒り)
・イエスの言葉はユダヤ人たちの怒りを招く。
―ヨハネ8:52−53「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『私の言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。私たちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。・・・いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」
・イエスは言われる「わたしは自分の栄光を求めない。私が求めるのは父の栄光だ」。私たちが、神に属するか、悪魔に属するかは、私たちが自分の栄光を求めるかどうかで判別される。
―?ヨハネ3:15「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。」
・イエスは「私はアブラハムより前にいた」。これは、ユダヤ人には、赦せない言葉だった。彼らは石を採ってイエスを殺そうとした。私たちも都合の悪い言葉を聞くとき、イエスから離れていく。
―ヨハネ8:58-59「イエスは言われた。『はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、私はある。』・・・ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。」