1.サマリアの女との出会い
・イエスはユダヤからガリラヤに帰る途中にサマリアを通られ、ヤコブの井戸で休まれた。
―ヨハネ4:5-6「シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れてそのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。」
・そこに一人の女が水を汲みに来た。イエスはその女に「水を下さい」と声をかけられたが、ユダヤ人の男がサマリア人の女に声をかけることは異例なことであり、女はびっくりした。
―ヨハネ4:7-9「サマリアの女が水をくみに来た。イエスは「水を飲ませてください」と言われた。・・・すると、サマリアの女は『ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか』と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」
・女は昼の暑い盛りに水を汲みに来た。村人から疎外されていたため、人目を避けて水を汲みに来たのであろう。
―ヨハネ4:16-18「イエスが『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい』と言われると、女は答えて『私には夫はいません 』と言った。イエスは言われた。『夫はいませんとは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。』」
・女はイエスが自分のことを知っておられるのを見て、驚き、村人に知らせるために村に走った。
―ヨハネ4:28-30「女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。私が行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。』人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。」
2.礼拝する場所
・ユダヤ人はエルサレムで、サマリア人はゲリジム山で礼拝し、お互いが自分たちこそ正統だと争っていた。
―ヨハネ4:19-20「女は言った。『主よ、あなたは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。』」
・多くの宗教は本山を持つ(エルサレム、ローマ、メッカ、伊勢神宮、大石寺等)。礼拝が特定の場所に限定されるとは、神が地域に限定されることであり、神が人間の支配下にある=偶像化していることを示す。
―ヨハネ4:21-23「イエスは言われた。『婦人よ、私を信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。』」
3.思いがけない地での収穫
・イエスは危険なユダヤを逃れて故郷ガリラヤに戻るために道を急がれ、そのため、近道になるサマリアを通られた。ユダヤ人にとってサマリアは異端の地であり、通常であれば、避けて通る道筋だった。
―ヨハネ4:1-4「イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、・・・ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。しかし、サマリアを通らねばならなかった。」
・そこでイエスが出会われたのは、身持ちの悪い婦人だった。しかし、彼女はイエスに出会って回心した。イエスは思いがけない収穫に心を躍らされた(ニコデモは悔い改めず、女は悔い改めた)。
―ヨハネ4:31-34「イエスは『私にはあなたがたの知らない食べ物がある』と言われた。・・・『私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。』」
・女は村人を呼びに行き、イエスに紹介し、そこでも多くの回心者が出た。思いもかけぬ収穫だった。
―ヨハネ4:35-36「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」
・私たちは与えられた地で福音の種を蒔く。私たちが収穫できなくとも次の人が収穫する。それで良い。
―ヨハネ4:37-38「『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、私はあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」