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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2018年5月17日祈祷会(士師記9章、ギデオンの子アビメレクの罪)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.アビメレクの罪

・イスラエルをミディアンから救ったギデオンは、王になってほしいという民の要請を断る。その行為は、表面上は謙遜であるが、事実上彼は王の生活を行い、多くの側女を持ち、70人の子を産ませ、その内の一人にアビメレク(父は王)と名づける。
―士師記8:29-31「ヨアシュの子エルバアルは自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」。
・ギデオンの高慢が新しい罪を生む。ギデオンが死ぬと子のアビメレクは母方のシケムに行き、「王として立つので支援して欲しい」と要請し、シケムの一族はそれを受け入れる。
―士師記9:1-3「エルバアルの子アビメレクはシケムに来て、母方のおじたちに会い、彼らと母の家族が属する一族全員とに、こう言った『シケムの全ての首長にこう言い聞かせてください。あなたたちにとって、エルバアルの息子七十人全部に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か。但し私が、あなたたちの骨であり肉だということを心に留めよ』。母方のおじたちは、彼に代わってこれらの言葉をことごとくシケムのすべての首長に告げた。彼らは『これは我々の身内だ』と思い、その心はアビメレクに傾いた」。
・ギデオンは王になることは神の主権を侵すことだと拒否した。息子のアビメレクは王になるために兄弟を殺す。しかし、罪の根源は父ギデオンにある。
―士師記9:4-5「彼らがバアル・ベリトの神殿から銀七十をとってアビメレクに渡すと、彼はそれで命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせた。彼はオフラにある父の家に来て、自分の兄弟であるエルバアルの子七十人を一つの石の上で殺した。末の子ヨタムだけは身を隠して生き延びた」。
・彼を支援したのはカナン人であるシケム族、資金は偶像神の神殿から出た。彼はその資金で親衛隊を雇い、兄弟を殺して王位につく。彼の生き方は「自分で正しいと思うことをする」生き方であり、彼はカイン〜レメクにつながる末裔である。
―創世記4:23-24「レメクは妻に言った『アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』」。

2.アビメレクの最後

・王とは神の委託を受けて民を統治するものであり、彼は最初から王の資格を欠いていた。神の召命を受けずに自分の力でなった王位は、神により剥奪される。
―士師記9:23-24「神はアビメレクとシケムの首長の間に、険悪な空気を送り込まれたので、シケムの首長たちはアビメレクを裏切ることになった。こうしてエルバアルの七十人の息子に対する不法がそのままにされず、七十人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになる」。
・アビメレクは反抗する部族を攻め滅ぼす。シケム族の町ミグダルでは、多くの民が死んだ。
―士師記9:45-49「アビメレクは、その日一日中、その町と戦い、これを制圧し、町にいた民を殺し、町を破壊し、塩をまいた・・・ミグダル・シケムの人々、男女合わせて約千人が皆、こうして死んだ」。
・別のシケム族の町テベツを攻めた時、女の投げた碾き臼が彼の頭を直撃し、彼は死んだ。
―士師記9:52-53「アビメレクはその塔のところまで来て、これを攻撃した。塔の入り口に近づき、火を放とうとした時、一人の女がアビメレクの頭を目がけて、挽き臼の上石を放ち、頭蓋骨を砕いた」。
・ギデオンの子アビメレクは、父の意思に反して世襲制を望み、70人の兄弟を殺しにして自ら王位についたが、その統治は3年と続かなかった。神は、一人の女の手によってアビメレクの悪に報い、難を逃れたギデオンの末子ヨタムの呪いを実現した。この物語をどう受け止めたらよいのだろう。それはギデオンの死後生じた内輪もめと権力闘争であり、神によって召されカナンの地を制定した士師たちの物語とはいささか趣を異にする。王位の継承には多くの場合、血が流される。ソロモンも兄弟を殺して王位についている。ソロモンの即位は血にまみれたものであった。
−ダビデの死期が迫った時、王位継承を主張したのは四男アドニヤであり、彼は軍の司令官ヨアブと大祭司アビアタルの支持を取り付け、旗揚げした。反対派はソロモンの母バト・シェバを動かして巻き返しを図った。バト・シェバとその子を愛していたダビデは、ソロモンを後継者に指名し、即位の儀式を執り行うように部下に命じる。こうしてソロモンが油を注がれ、王に即位した。形勢は変わった。アドニヤは助命を求めて幕屋に逃げた。ソロモンは一旦アドニヤの助命を認めたが、すぐ後にアドニヤを処刑し、自分に逆らった軍司令ヨアブを殺し、アドニヤ側に立った大祭司アビアタルを追放する(列王記。

3.この物語をどう考えるか

・この物語は、歴史は誰が支配しておられるのか、人間か神かを問いかける。歴史の主体が人であればそこは弱肉強食の力の世界になる。歴史の主体が神であれば、そこにおいては委託と正しさが求められる。
―申命記8:17-18「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。
・支配者が悪を行い始めた時、私たちはどうするか。士師記は委託されない者の支配は必ず終わることを告げる。人は自らまいたものを刈り取る。そこに神の正義がある。それに委ねよと聖書は教える。
―ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われると書いてあります』。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
・しかし現場では待てない。1933年にナチスがドイツの政権につき、官憲として服従を要求した時、多くの教会はヒトラー政権を神の権威の基に成立した合法的政権として受け入れていく。その中で、改革派教会は「国家が神の委託に正しく応えていない場合、キリスト者は良心を持って抵抗すべきである」ことを主張し(バルメン宣言)、ナチスとの武力を含めた戦いを始める。神に委ねるとは私たちが傍観することを意味しない。神は私たちを通してその御業を為される。悪の暴走を止めるためにヒットラー暗殺計画に参加したボンフェッファーは語る。
−ディートリッヒ・ボンヘッファー「「教会は、他者のために存在する時にだけ教会である・・・教会は、あらゆる職業の人に、キリストと共に生きる生活とは何であり、他者のために存在するということが何を意味するかを、告げなければいけない」(D. ボンフェッファー「獄中書簡」39-440p)。

4.現代の世界情勢の中で士師記を読む

・イスラエルとパレスチナが共に首都と主張する聖地エルサレムを、トランプ米大統領は一方的にイスラエルの首都と宣言し、2018年5月14日に米大使館のエルサレム移転に踏み切った。5月14日はイスラエル建国から70年の記念日であった。パレスチナ側は猛反発しており、パレスチナの抗議デモへ向けてイスラエル軍は実弾や催涙弾を放ち、この日だけで50数人が死亡、2千人以上が死傷した。
・トランプ氏は大統領選の時から一貫してイスラエル寄りの姿勢を堅持する。10日には「歴代大統領が選挙で公約しながら、決してできなかった米国大使館のエルサレム移転が、ついに実現する」と自賛した。 背景には、米人口の4分の1を占めるとされる最大の宗教勢力、キリスト教福音派の支持を確実にしたい思惑がある。同派の大半は「イスラエルは神がユダヤ人に与えた」と考え、ユダヤ人を祝福すれば神の祝福を得られると信じ、大使館移転を熱烈に歓迎している。米国は今年11月には中間選挙が控える。トランプ氏が率いる米共和党が上下両院の過半数を確保するには、キリスト教福音派の支持が不可欠だ。
・5月15日は、パレスチナから見れば、70年前のイスラエル建国でパレスチナ人約70万人が難民になったことを思い起こす「ナクバ(アラビア語で大破局の意味)の日」だ。パレスチナ自治区で14日に始まった大規模抗議デモは15日まで続くとみられ、数万人規模が参加するとみられる。この問題は士師記にも通じる。士師記は当然に「パレスチナはイスラエルの嗣業の土地だ」という前提に立つ。しかし自国を滅ぼされる先住民側から見れば、それは悪であり、悲劇だ。イエスやパウロはこの問題をどう解決するのだろうか。
−1コリント10:23-24「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」。

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