1.シケム契約の締結
・ヨシュアは長老たちをシケムに集め、最後の言葉を託す。シケムはアブラハムが「土地を与える」との約束を受けた場所、その約束が500年を経て成就した。ヨシュアはアブラハム以降の歴史を回顧する。
−ヨシュア記24:1-11「ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、ヨシュアは民全員に告げた。イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、私はあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。彼にイサクを与え、イサクにはヤコブとエサウを与えた・・・ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。私はモーセとアロンを遣わし、エジプトに災いをくだしたが、それは私が彼らの中にくだしたことである。その後、私はあなたたちを導き出した・・・あなたたちがヨルダン川を渡り、エリコに達した時、エリコの人々をはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたたちに戦いを挑んだが私は彼らをあなたたちの手に渡した。』」
・そして今、あなた方は約束の地にいるが、それは「あなたたちが自ら勝ち取ったものではない事を覚えよ」とヨシュアは語る。
―ヨシュア記24:13「私は更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている」。
・主がこれほどの恵みを下さったのだから、あなた方も真心を込めて、主に従いなさい。それを誓約しなさいとヨシュアは迫る。そして言う「たとえ、あなたたちが主にそむいても、私と私の家は主に仕える」。
―ヨシュア記24:14-15「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、私と私の家は主に仕えます」。
・民は誓約する「私たちも主に従います。主の業をこの目で見たのですから」。
―ヨシュア記24:16-18「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。私たちの神、主は、私たちと私たちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、私たちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、私たちの行く先々で・・・私たちを守ってくださった方です。主は・・・全ての民を私たちのために追い払って下さいました。私たちも主に仕えます。この方こそ、私たちの神です。」
・ヨシュアは民を信じない。彼らはこれまで何度も主を裏切ってきたし、これからも裏切るだろうと彼は考えている。
―ヨシュア記24:19-20「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」
・民は再度主に仕えることを誓約した。ヨシュアはここに主と契約を結ぶ。シケム契約である。
―ヨシュア記24:21-25「民がヨシュアに、『私たちは主を礼拝します』と言うと、ヨシュアは民に言った。『あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。』彼らが、『その通り、私たちが証人です』と答えると、『それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい』と勧めた。民はヨシュアに答えた。『私たちの神、主に私たちは仕え、その声に聞き従います。』その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた」。
・そしてヨシュアは死んだ。
−ヨシュア記24:29-30「これらのことの後、主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・セラに葬られた。それはガアシュ山の北にある。」
2.人は契約を守ることが出来ない
・ヨシュアの薫陶を受けた民は、一代目の間は主の契約を守った。
−ヨシュア記24:31「ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた御業をことごとく体験した長老たちの存命中、イスラエルは主に仕えた。」
・この言葉は「ヨシュアと長老たちが生きている間、イスラエルは主に仕えたが、その後はそうでなくなった」ことを示唆する。著者はイスラエルの滅びという現実の中で、ヨシュア時代を回顧している。
−士師記 2:7-11「ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある。その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。」
・一代目の悔改めも二代目、三代目になると薄れてしまう。それが世の常だ。民は主なる神を忘れ、再び偶像の神を拝む。イスラエルの預言者は繰り返し、モーセとヨシュアの呪いが実現すると警告する。
―イザヤ1:21-28「どうして、遊女になってしまったのか、忠実であった町が。そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに、今では人殺しばかりだ・・・支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり、皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤児の権利は守られず、やもめの訴えは取り上げられない・・・ シオンは裁きをとおして贖われ、悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。背く者と罪人は共に打ち砕かれ、主を捨てる者は断たれる」。
・主はエレミヤにも言われる。人は自らの力で神の戒めを守ることは出来ない。人は、黒人がその肌の色を変えることが出来ないように、その悪を捨てることが出来ないのだ。人は砕かれなければならないと。
―エレミヤ13:23-24「クシュ人は皮膚を、豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも、正しい者となりえよう。私はお前たちを散らす、荒れ野の風に吹き飛ばされるもみ殻のように」。
3.律法からの解放
・砕きとして、バビロン軍によるエルサレムの破壊、民の捕囚が来た。しかし、まさにその時、救いの約束が与えられる。エレミヤに新しい契約の約束が与えられたのは、エルサレム炎上のその時であった。
―エレミヤ31:31-33「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつて私が彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」。
・この新しい契約がイエスの十字架を通して実現する。変えることの出来なかった人の心が十字架を通して変えられる。古い契約は動物の犠牲の血で書かれたが、新しい契約はイエスの血で書かれた。
―ルカ22:19-20「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた『これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』。食事を終えてから、杯も同じようにして言われた『この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である』」。
・人は戒めを守り続けることはできない。だからキリストの十字架が必要だったとパウロは語る。
−ガラテヤ3:10-14「律法の実行に頼る者はだれでも呪われています。『律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです。律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、『正しい者は信仰によって生きる』からです。律法は、信仰をよりどころとしていません。『律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる』のです。キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また私たちが約束された"霊"を信仰によって受けるためでした。」