1.レムエルの言葉〜母親から子への戒め
・箴言31章は箴言の終わりであり、編集者はここにレムエルの言葉と理想の妻の数え歌を掲載する。レムエルの言葉はマサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉である。
−箴言31:1「マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉」。
・母親は息子に「女たちにのめり込むな」と諭す。アブラハムは二人の妻を持った故に家庭内での紛争を招いた(創世記21:9-11,妻サラと妾ハガルの争い)。ソロモンは大勢の王妃たちに惑わされて、異教の神々を拝んだ(列王記上11:3-6)。
−箴言31:2-3「ああ、わが子よ、ああ、わが腹の子よ、ああ、わが誓いの子よ。あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに、あなたの歩みを向けるな」。
・歴史上、多妻主義を取ったために異端とされたのが、モルモン教会(末日聖徒キリスト教会)である。1830年設立の教会は創立者ジョセフ・スミスが多妻を認めたため迫害され、最後はユタ州ソルトレイクに本拠を置くようになる。今日では多妻主義を取らないが、伝道に熱心で、今日では全世界に1500万人の信徒がいるという。日本にも340の教会があり、全世界に派遣されている宣教師は8万人もいるという。教義の正しさよりも信仰の熱心が今日の隆盛を招いた。他山の石とすべきであろう。
・4節からは飲酒の弊害が語られる。「酒は身を持ち崩す」、どの時代にもどの世界にも共通の課題である。
−箴言31:4-7「レムエルよ、王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは君たるものにふさわしくない。飲めば義務を忘れ、貧しい者の訴えを曲げるであろう。 強い酒は没落した者に、酒は苦い思いを抱く者に与えよ。飲めば貧乏を忘れ、労苦を思い出すこともない」。
2. あなたの口を開いてもののいえない人を弁護せよ
・8−9節もレムエルの母親の言葉だろうか。かつてボンヘッファーは、ユダヤ人問題に口をつぐむナチス時代の教会の人々を批判して、「口を開くことの出来ないもののために、あなたの口を開きなさい。この時代、この最も小さい要求が聖書から出ていることを教会の誰が知っているだろうか」と友人への手紙に書いた。
−箴言31:8-9「あなたの口を開いて弁護せよ、ものを言えない人を、犠牲になっている人の訴えを。あなたの口を開いて正しく裁け、貧しく乏しい人の訴えを」。
・ナチスはユダヤ人を迫害したが、ドイツ国防軍の中にも、ユダヤ人救済のために働いた人々がいる。リトアニアでユダヤ人救済のために働き、そのために処刑されたアントン・シュミットの言葉が残されている(「軍服を着た救済者たち、ドイツ国防軍とユダヤ人救済」から)。
-アントン・シュミットの言葉「一人のキリスト教徒が、実際にたった一人のユダヤ人でも救済しようとすれば、ナチ党の連中のユダヤ人問題の解決はとてつもない混乱に陥るだろう。ナチ党の連中は全ての誠実なキリスト教徒を排除し、刑務所にぶち込みことは出来ないのだから」。
・しかし多くのキリスト者は見て見ぬふりをし、そのためにナチスは「ユダヤ人問題」の解決策として600万人のユダヤ人を殺すことが出来た。ただ、その見返りに、600万人のドイツ国民が戦闘や飢餓や戦災のために亡くなった。これもまた神の裁きなのだろうか。
3.理想の妻の讃美
・箴言31:10以下はレムエルの言葉から離れた「婦人讃美」である。箴言の最後はユダヤ婦人の徳を褒め称える数え歌で終わる。
-箴言31:10「有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を」。
・彼女は働き者であり、夫も商売を彼女に任せる。
-箴言31:11-14「夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。羊毛と亜麻を求め、手ずから望みどおりのものに仕立てる。商人の船のように、遠くからパンを運んで来る」。
・彼女は朝早く起きて食事の支度を為し、召使に適切な指示を出し、畑の管理も怠らない。
-箴言31:15-19「夜の明ける前に起き出して、一族には食べ物を供し、召し使いの女たちには指図を与える。 熟慮して畑を買い、手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。力強く腰に帯し、腕を強くする。商売が好調かどうか味わい、灯は夜も消えることがない。手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる」。
・彼女は憐れみに富み、貧しい人のために手を開く。
-箴言31:20-27「貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。夫は名を知られた人で、その地の長老らと城門で座に着いている。彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。一族の様子によく目を配り、怠惰のパンを食べることはない」。
・彼女の夫も息子たちも彼女を讃える。
-箴言31:28-31「息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。「有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる」と。あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ」。
・賢く有能の妻はその家庭を実り豊かにする。ユダヤは父権制社会だが、ラビたちは妻が夫に与える影響が大きいことは認識していた。
-ラビの伝承から「信心深い男が信心深い女と結婚していたが、子どもが生まれなかったのでお互いに離婚した。男の方は別のよこしまな女と結婚し、その女は彼をよこしまにした。妻の方はよこしまな男と結婚し、その男を正しい人間にした。従って全ては女性にかかっているということになる」。
・新約にも妻の信仰が夫を変えると勧める文章がある。
-1ペテロ3:1-2「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。
4.参考資料
内村鑑三「ユダヤの理想婦人」(箴言31章10〜31節の研究、大正8年(1919年)、「聖書之研究」225号)
・箴言第31章10〜31節は、ユダの理想婦人を描いたものである。そして聖母マリアも、ヨハネとヤコブの母サロメも、洗礼者ヨハネの母エリザベツも、みなこの箴言によって育てられたのである。「誰れか賢(かしこ)き女を見出すことを得ん。その価(あたい)は真珠よりも貴し。その夫の心は彼女を恃(たの)み、彼れの産業は乏しくならじ。彼女が存命(ながら)ふ間は、その夫に善き事をなし、悪しき事をなさず。彼女は羊の毛を求め、喜びて手づから働く」。注意すべきは、ここに彼女が教育を要したということは、少しも記されていない。ユダヤの理想婦人は、母または妻である。
・「彼女は夜の明けぬ先に起き、その家人に糧を与ふ。彼女はその手に捲糸竿(いとぐるま)を執り、その指に紡錘(つむ)を握る」。彼女は現代の、教育がありわがままな婦人のように、朝寝をしなかったのである。勤勉で、労働して止まなかったのである・・・第19節は、ユダヤの婦人が単に消極的に家事を治めるだけでなく、積極的に自ら進んで、その手で織った物を売って、家のためにしたと示している。そのようにして物を売ることを、彼女は恥としなかったのである。・・・「彼女は家人(いえのもの)のために雪を恐れず。そはその家人みな蕃紅(くれない)の衣を着ればなり」。蕃紅(くれない)の衣、豊かな衣服のことである。勤勉で、常に心を生活に用いるので、雪が来ても凍(こご)える恐れはない。
・また、「彼女は、商賈(あきうど)の舟の如し。遠き国よりその糧(かて)を運ぶ」。と。遠い慮(おもんばか)りによって、よく非常の時に備えるという意味であろう。あたかも日本における山内一豊の妻に例えるべきであろう。「田畝(たはた)をはかりて之を買ひ、その手の操作(はたらき)をもて葡萄園(ぶどうぞの)を植う」。と。これは婦人の仕事として手に余るもののように思われる。しかし主婦にこの心がけがなければ、何時までも借家(しゃくや)住いを免れない。また私達は、実際二十余年も辛苦(しんく)して金を貯蓄し、夫のために借金全部を返済した賢い妻の例をも知っている。
・以上述べたことは、ユダヤの理想婦人の一面である。そしてこれは、決して小事ではない。何故なら、信仰の独立の裏には、常に家計の独立が伴うからである。しかしながら、私達はさらに一歩を進めて考えなければならない。「彼女はその手を貧しき者に伸(の)べ、その手を苦める者に舒(の)ぶ」。と。一方で蓄え、他方で与える。これは常に相伴うことを要する。また実際真に同情に富んでいる人は、勤勉の人に多いのである。人生において怠(なま)ける者ほど慈善に冷淡な者はない。勤勉な人は、施しを好む。怠惰と不人情、勤勉と憐憫(あわれみ)とは、実に手に手を携えて行く。この対照中に霊的道徳的な深い意味が含まれているのである」。