1. 主の日の霊の付与の預言
・ヨエルは2章で、いなごの害と日照りの害の終了を預言する。災いの時は終わり、回復の時は来た。その日が主の日の到来だ。しかし預言は為されたが、回復はまだこれからであり、人々の見る現実は荒廃と貧困の中にあった。その中で、終わりの日の聖霊降臨が預言される。
−ヨエル3:1-2「その後、私はすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、私は奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」。
・終末時の霊の付与はイザヤ書他でも預言されている(イザヤ44:3,32:15,ゼカリア12:10)。それは現実世界の大転換を意味する。今見えている世界が如何に荒廃していようと、状況は一変するという希望の預言だ。
-イザヤ44:3「私は乾いている地に水を注ぎ、乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫に私の霊を注ぎ、あなたの末に私の祝福を与える」。
・これまで、神の霊は、特別なカリスマを必要とする預言者や王に与えられてきたが、これからは全ての人に与えられる。もう預言者を通して神の言葉を聞くのではなく、直接神に聞くことが出来る。それはエレミヤがエルサレム陥落の時に聞いた「新しい契約」の言葉と同じだ。
−エレミヤ31:33-34「しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、主を知れと言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者も私を知るからである、と主は言われる。私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」。
・ヨエルは主の日の有様を伝統的な幻の中に描く。この主の日のしるしは新約にも継承される。
−ヨエル3:3-4「天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる」。
-マルコ13:24-25「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」。
・最後にどのような時が来たとしても、主の名を呼ぶ者は救われるとヨエルは預言する。
−ヨエル3:5「しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように、シオンの山、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいる」。
2.ヨエル書と新約聖書
・初代教会は、弟子たちへの聖霊降臨こそが、ヨエルの預言成就だと受け止めた。「イエスが復活した、自分たちに聖霊が下った。今まさに終末の日が来ている」との高揚感の中で、ペテロはその説教を始めている。
-使徒2:14-21「ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち・・・私の言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。“神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。私の僕やはしためにも、そのときには、私の霊を注ぐ。すると、彼らは預言する・・・主の名を呼び求める者は皆、救われる”』」。
・使命感にあふれた説教は人々を動かし、その日だけで3千人が受洗したという。危機の中で使徒は霊にあふれて語り、聞く人々もそれを真剣に受け止めた故であろう(巻末:戦時下の教会の伝道−教勢と入信者、参照)。
-使徒2:41「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」。
・その霊は息子や娘だけでなく、老人にも奴隷にも与えられる。新しい世界においては、人間社会の身分も差別も打ち破られる。パウロもイエスの受難と復活により、新しい世界が来たと信じた。
-ガラテヤ3:26-28「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。
・そしてパウロは、ヨエルの預言が異邦人もまや終末時には救われるとの御心の成就だと理解した。
-ローマ10:12-13「ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。“主の名を呼び求める者はだれでも救われる”のです」。
*ヨエル3章:参考資料
戦時下の教会の伝道−教勢と入信者(原 誠、同志社大学神学部基督教研究 第63巻 第2号 、要約)
1.なぜこの論文を書いたのか
本稿は、戦時下の教会における伝道活動の実態に関し、出版された各個教会史の記述を手がかりとして、この時代の信仰のありよう(当時のキリスト者の信仰的特質)をあきらかにしようとしたものである。日本のファシズムの時代は、1931 年の満州事変以後、政治、思想、軍事などあらゆる面において社会全体が強固にうち固められ、蟻のはいでるすきまもないような戦時体制が確立した時代であった。
この戦時体制のなかで国家による宗教統制も激しさをまし、大本教やひとのみち教団への弾圧や、キリスト教関係においても38年の大阪憲兵隊による13 条の質問、配属将校をめぐって上智大学、同志社大学で起こった神社問題、あるいは燈台社、救世軍などに対する攻撃など、この国体の枠外に存在することを認めない状況が進行した 。国家がキリスト教会を歴史的に国際的な関係をもち、敵国の宗教であるとして疑心の目で見ていた時に、そのように見られていたキリスト教会自身は、みずからの存在をその状況のなかでどのように認識して礼拝をおこない、教会の活動を続け、そして信徒は教会に何を求めて集っていたのか。そしてまたそのような状況下に、あらたに信仰を表明してクリスチャンとなったかれらにとって、キリスト教信仰とはどのようなこととして理解し、認識されていたのか。これらをあきらかにすることは日本のキリスト教の質を問う時に、重要な課題となるであろう。
2.戦時下の教会の受洗者は年5,929名だった
戦時下のキリスト教会の教勢は、礼拝出席の数に見ることができる。1941 年に成立した日本基督教団(以下、教団と記す場合がある)は、当時のプロテスタント・キリスト教のほぼ全教派の教会を統合して成立したゆえに、その教勢によっておおむね当時のプロテスタント・キリスト教の数を知ることができる。この時期の教団の教勢は、教団創立後最初に刊行された『日本基督教団年鑑』(1943 年版) によれば、1942 年教団創立時の教会数は1875、教師数は2830 名、信徒総数200118 名、現住陪餐会員99518 名、朝礼拝出席37048名、1 教会平均20 名、現住陪餐会員の朝礼拝に出席している比率は37.2 %、祈祷会出席13043 名、受洗者5929 名、CS 出席62936 名というものである。
3.現在の受洗者は年1,900名である
この数字を1998 年の統計と比較してみると、教会数1726、教師数2170 名、信徒総数202361 名、現住陪餐会員100650 名、朝礼拝出席59941 名、1 教会平均37 名、現住陪餐会員の朝礼拝に出席している比率は59.6 %、祈祷会出席10745名、受洗者1900名、CS 出席22000名である。つまり41 年に成立した教団と現在を比較してみると、教会数、教師数、祈祷会出席者数はやや減少しているものの、信徒総数、現住陪餐会員数は変わらないということが指摘できる。教団は、戦後直後の1945 年12 月28 日の宗教団体法廃止以後50 年頃までに多くの教会が旧教派の教会設立へと離脱していった。この減少を考慮しても、当時の受洗者数が5929 名であり、現在の教団の受洗者数が2000 名前後である。戦時下当時よりも現在のほうが受洗者の数が少ない、という事実をどのようにとらえるべきであろうか。
4.なぜ困難な時代の受洗者が現在より多かったのか
一般的にいえば戦前から戦中の時代は、「制約された信教の自由下における伝道」の時であり、戦後は「保証された信教の自由を求めての伝道」の時として認識できる。つまり戦後の「保証された信教の自由」の時代において、日本基督教団にあっては約2000 名前後の受洗者であるのに対して、戦前、戦中という「制約された信教の自由」の時代において、受洗者の数が年間に5000 名であったということの意味を問う必要がある。