1.逃亡罪で逮捕されるエレミヤ
・エレミヤ書は37章以降44章まで、エルサレム最後の出来事を語る。最後の王となったゼデキヤは国内の主戦派に押され、エジプト軍を頼ってバビロンに反乱を起こし、そのためにエルサレムは包囲されている。しかしエジプト軍が来てバビロン軍は一時的に包囲を解いた。ゼデキヤはこのことが苦難の終わりだと考え、エレミヤの意見を求めた。
-エレミヤ37:1-5「ヨヤキムの子コンヤに代わって、ヨシヤの子ゼデキヤが王位についた・・・王も家来も国の民も、主が預言者エレミヤによって告げられた主の言葉に聞き従わなかった。ゼデキヤ王は・・・エレミヤのもとに遣わして『どうか、我々のために、我々の神、主に祈ってほしい』と頼んだ・・・折しも、ファラオの軍隊がエジプトから進撃して来た。エルサレムを包囲していたカルデア軍はこの知らせを聞いて、エルサレムから撤退した」。
・前701年、エルサレムはアッシリア軍に包囲され、ヒゼキヤ王は神への執り成しをイザヤに依頼し、イザヤが祈ると敵軍にペストが発生し、ユダは救われた。今回のエジプト軍救援も神の御心であり、自分たちもバビロンから救われるのではと王も民も期待し、エレミヤの確認を求めた。しかしエレミヤはきっぱりと答える「救いは命がけのものだ。降伏という屈辱なしには救いは来ない」と。「降伏する」、自分を明け渡す、それが出来る人は救われる。
-エレミヤ37:6-10「お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ・・・カルデア軍は必ず我々のもとから立ち去ると言って、自分を欺いてはならない。カルデア軍は決して立ち去らない。たとえ、お前たちが戦いを交えているカルデアの全軍を撃ち破り、負傷兵だけが残ったとしても、彼らはそれぞれの天幕から立ち上がって、この都に火を放つ」。
・先にエレミヤは故郷の土地を買った(32章)。その手続きのためにエルサレムを出ようとしたエレミヤはバビロン軍への投降を疑われ、逮捕された。日頃エレミヤはバビロンへの降伏を主張していたため、好戦派から憎まれていた。
-エレミヤ37:11-14「エレミヤはエルサレムを出て、親族の間で郷里の所有地を相続するために、ベニヤミン族の地へ行こうとした。彼がベニヤミン門にさしかかった時・・・イルイヤという守備隊長が、預言者エレミヤを捕らえて言った。『お前は、カルデア軍に投降しようとしている』。そこで、エレミヤは言った『それは違う。私はカルデア軍に投降したりはしない』。しかし、イルイヤは聞き入れず、エレミヤを捕らえ、役人たちのところへ連れて行った」。
・ゼデキヤの側近たちはエレミヤにむち打ち、彼を地下牢に閉じ込めた。先のエホヤキム王時代にはエレミヤの理解者たちも宮廷にいたが、第一バビロン捕囚(前597年)で多くは捕虜として連行され、今はエレミヤの真意を知る人々が少なくなっていたと思われる(預言者エゼキエルもこの時にバビロンに捕囚となった一人であった)。
-エレミヤ37:15-16「役人たちは激怒してエレミヤを打ちたたき、書記官ヨナタンの家に監禁した。そこが牢獄として使われていたからである。エレミヤは丸天井のある地下牢に入れられ、長期間そこに留めて置かれた」。
2.神の言葉を聞くが従わないゼデキヤ
・エレミヤの監禁中に情勢は再度変わり、エジプト軍は撤退し、再びバビロン軍がエルサレムを包囲する。ゼデキヤ王は危機感を強め、エレミヤを出獄させ、改めて意見を求める。エレミヤの意見は変わらず、このままではエルサレムは滅ぼされ、王は殺されるだろうというものだった。エレミヤは同時に身の安全を王に求めた。
-エレミヤ37:17-20「ゼデキヤ王は使者を送ってエレミヤを連れて来させ、宮廷でひそかに尋ねた『主から何か言葉があったか』。エレミヤは答えた『ありました。バビロンの王の手にあなたは渡されます』。更に、エレミヤはゼデキヤ王に言った『私を牢獄に監禁しておられますが、一体私は、どのような罪をあなたとあなたの臣下、あるいはこの民に対して犯したのですか。バビロンの王は、あなたたちも、この国をも攻撃することはないと預言していたあの預言者たちは、一体どこへ行ってしまったのですか。王よ、今どうか、聞いてください。どうか、私の願いを受け入れ、書記官ヨナタンの家に送り返さないでください。私がそこで殺されないように』」。
・ゼデキヤはエレミヤの保護を承知した。しかし「降伏せよ」というエレミヤの言葉に従うことはしなかった。ゼデキヤは優柔不断の王であった。国粋主義の部下を抑えることができず、他方エレミヤの言葉を無視することもできない。彼にできたことはただエレミヤを殺させないように自身の王宮の庭に幽閉することだけだった。
-エレミヤ37:21「ゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭に拘留しておくよう命じ、パン屋街から毎日パンを一つ届けさせた。これは都にパンがなくなるまで続いた。エレミヤは監視の庭に留めて置かれた」。
・悲劇は神の強制によってではなく、人間の不服従のために起こる。エレミヤはゼデキヤに「もしバビロン軍に降伏すればエルサレムは破壊されず、あなたも殺されない」と言った(38:17-18参照)。しかしゼデキヤは決断することができず、民と共に滅んでいく。信仰は聞くだけでは不十分なのだ。「聞いて従う」ことが求められている。前回記したように、1945年7月26日に連合国は日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を出したが、日本政府はこれを「黙殺」し、ために8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下を招いた。国の指導者の優柔不断が国を滅ぼしていく。