1.レカブ人とエレミヤ
・エレミヤ書34-36章は、王国末期のエホヤキム、ゼデキヤ両王時代の記事が挿入されている。34章においてはバビロン軍包囲から逃れるために神の好意を得ようとして行われた奴隷解放が、エジプト軍救援に依りバビロン軍包囲が一時解除されると取り消された出来事を通して、神の戒めと真剣に向き合おうとせず、目先の利害のみを求めるゼデキヤの態度が責められていた。それに対して35章に出てくるレカブ人は先祖の教えに従い、都市生活を拒否して荒野時代の生活を守っていた。エレミヤは彼らの教えに対する誠実さを称賛する。
-エレミヤ35:18-19「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちは、父祖ヨナダブの命令に聞き従い、命令をことごとく守り、命じられたとおりに行ってきた。それゆえ、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。レカブの子ヨナダブの一族には、私の前に立って仕える者がいつまでも絶えることがない」。
・レカブ人はミデイアンの地に住んだ半遊牧ケニ人の子孫と言われる。彼らは出エジプトの折、イスラエル民族に加わり、エルサレム近郊に住んだ。王国初期、一族のヨナダブはエリヤの偶像追放運動に参加し、父祖からの信仰の純粋性を守るために、荒野の生活を維持し、酒を断つように子どもたちに命じた。しかし、このたびのバビロン軍侵攻により居住地を追われ、エルサレムに来たところをエレミヤが会った。
-エレミヤ35:1-2「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代に、主からエレミヤに臨んだ言葉。『レカブ人一族のところへ行って、主の神殿の一室に来るように言い、彼らにぶどう酒を飲ませなさい』」。
・エレミヤはこの命令に従い、レカブ人の指導者たちを神殿に招き、彼らにブドウ酒を与えようとした。もちろん彼らがぶどう酒を飲むかどうかを試すためではなく、象徴行為としての業であろう。
-エレミヤ35:3-5「私は、ハバツィンヤの孫であり、イルメヤの子であるヤアザンヤとその兄弟、その子ら、つまりレカブ人の一族全員を連れて、主の神殿にある、神の人イグダルヤの子ハナンの弟子たちがいる部屋へ行った。・・・私はレカブ人一族の前にぶどう酒を満たした壺と杯を出し、彼らに『ぶどう酒を飲んでください』と言った」。
・レカブ人たちは「私たちは父祖の教えに従い、ぶどう酒は飲みません」と彼らは答え、エレミヤは彼らの教えに対する誠実さに感銘を受ける。
-エレミヤ35:6-11「我々はぶどう酒を飲みません。父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです。また、家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むように。そうすれば、お前たちが滞在する土地で長く生きることができる、と言いました・・・生涯、我々も妻も、息子、娘たちもぶどう酒を飲まず、住む家を建てず、ぶどう園、畑、種を所有せず、天幕に住んでいます・・・今は、バビロンの王ネブカドレツァルがこの国に攻め上って来たので、エルサレムに行き、カルデア軍とアラム軍の攻撃を避けようと言って、エルサレムに滞在しているのです」。
2.レカブ人の忠誠をエルサレムの人々も見よと主は言われた
・時の王エホヤキムはバビロン軍に忠誠を誓ったが、エジプト軍救援見通しが立った時、バビロンに反逆し、ためにバビロン軍の侵攻を招いた。次のゼデキヤ王は奴隷解放を宣言しながらすぐに取り消した。このように約束を守ろうとしないエルサレムの人々にこの愚直なまでのレカブ人の真実を伝えよとエレミヤは主から命じられる。
-エレミヤ35:13-17「行って、ユダの人々とエルサレムの住民に告げよ。お前たちは私の言葉に従えという戒めを受け入れないのか・・・レカブの子ヨナダブが一族の者たちに、ぶどう酒を飲むなと命じた言葉は守られ、彼らはこの父祖の命令に聞き従い、今日に至るまでぶどう酒を飲まずにいる。ところがお前たちは、私が繰り返し語り続けてきたのに聞き従おうとしなかった・・・それゆえ・・・私は、ユダとエルサレムの全住民に対して予告したとおり、あらゆる災いを送る。私が語ったのに彼らは聞かず、私が呼びかけたのに答えなかったからである」。
・ここで称賛されているのは、レカブ人の信仰(荒野に住む、ぶどう酒を飲まない)ではなく、レカブ人の誠実さであることに留意すべきだ。レカビ人は信仰の不純化を恐れて荒野に住んだが、本当の信仰は文化を拒否しない。しかし同時に文化に飲み込まれて信仰を失くす(世俗化)現代に対する警告としてこの記事を読むべきであろう。
・レカブ人の信仰はセクト的で狭い。彼らは文化を拒否し、禁欲し、神の言葉よりも教祖の言葉を重んじる。しかし彼らの揺るがぬ信仰とその純粋性には学ぶべきものがある。今日のレカブ人として想起されるのは、再洗礼派の伝統を守り、アメリカ移民時代の生活を守り続けるアーミッシュの人々であろう。私たちは彼らの狭い信仰にならう必要はないが、彼らの聖書に対する愚直なまでの忠実さには敬意を払う必要がある。また、エホバの証人やモルモン教徒たちもセクト化しているとは言え、彼らの信仰の愚直なまでの誠実さには学ぶべきものがあろう。
*エレミヤ35章(参考資料)現代のレカブ人〜アーミッシュを考える
アーミッシュ(Amish) (日本大百科全書 小学館より)
16世紀のオランダ、スイスのアナバプティスト(再洗礼派)の流れをくむプロテスタントの一派であるメノナイトから、1639年に分裂した一派。ヤコブ・アマンJacob Ammanを指導者として始まったためアーミッシュとよばれる。イエスやアマンの時代の生活を実践しようとする復古主義を特徴とする。メノナイトと同様、ルターやツウィングリの国教会制度を拒否(教会と国家の分離を主張)、国民性やイデオロギーの違いで人を殺すより、牢獄へ行った方がよいとする平和主義を貫く。映画『刑事ジョン・ブック-目撃者』(1985)で広く知られるようになった。現代文明を拒否して電気や車を使わず、馬車を用いて、おもに農業を営む。地味な服装は信仰の表れである。アメリカ合衆国では、義務教育や兵役拒否で国家と争うが弾圧は受けなかった。権威や偶像を認めず、自然とともに暮らすアーミッシュの質素な生き方から何かを学ぼうとする現代人もいる。アーミッシュ単独の実数はつかみにくいが、メノナイト系全体では、1990年現在、北アメリカに約38万人、世界に約85万6000人といわれている。
彼らは専用の教会をその集落に持たず、普通の家に持ち回りで集い、神に祈る。これは教会が宗教を核とした権威の場となることを嫌って純粋な宗教儀式のみに徹するためである。学校教育はすべてコミュニティ内だけで行われ、教育期間は8年間である。1972年に連邦最高裁において、独自学校と教育をすることが許可された。教師はそのコミュニティで育った未婚女性が担当する。教育期間が8年間だけなのは、それ以上の教育を受けると知識が先行し、謙虚さを失い、神への感謝を失うからだとされる。教育内容は、ペンシルベニアドイツ語と英語と算数のみである。
アーミッシュには「オルドゥヌンク(Ordunung)」という戒律があり、原則として快楽を感じることは全て禁止される。以下のような規則を1つでも破った場合、アーミッシュを追放され、家族から絶縁される。
屋根付きの馬車 は大人にならないと使えない。子供、青年には許されていない。
交通手段は馬車(バギー)を用いる。これは、アーミッシュの唯一の交通手段である。自動車の行き交う道をこれで走るために交通事故が多い。
アーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され互いの交流が疎遠になる。
怒ってはいけない。
喧嘩をしてはいけない。
読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。
賛美歌以外の音楽は聴いてはいけない。
避雷針を立ててはいけない(雷は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされる)。
義務教育以上の高等教育を受けてはいけない(大学への進学など)。
化粧をしてはいけない。
派手な服を着てはいけない。
保険に加入してはいけない(予定説に反するから)。
離婚してはいけない。
男は口ひげを生やしてはいけない(口ひげは男性の魅力の象徴とされる歴史があったから)。ただし、顎ひげや頬ひげは許される。
2006年10月、ランカスター郡の小学校に「神を憎む」という男性が闖入し、児童や教員を銃で殺傷する事件が発生したが、13歳のアーミッシュの少女が自分より小さな子供に銃口が向けられた際、身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃された。その後、彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、犯人の家族を葬儀に招いたという。