1.イスラエルとユダの回復の預言
・エレミヤ30〜31章は慰めの書と呼ばれ、エレミヤが自らの預言を弟子口述筆記させ、それをバビロンの捕囚民に送った預言集だ。捕囚地の人々はそれを回覧して読んだ。31章前半ではエルサレム滅亡時に為された預言、後半は「新しい契約」が語られる。北イスラエルは前722年にアッシリアに滅ぼされ、ユダは前587年に滅びた。しかし、「剣を免れた者は荒れ野で恵みを受ける」、荒野(捕囚)は単なる苦難の場ではなく、人が受けいれるとき恵みの場になる。契約の民が、再び救いだされ、共にエルサレムで礼拝すると預言される。
−エレミヤ31:2-6「主はこう言われる。民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける、イスラエルが安住の地に向かうときに・・・乙女イスラエルよ、再び、私はあなたを固く建てる・・・再び、あなたはサマリアの山々にぶどうの木を植える。植えた人が、植えたその実の初物を味わう。見張りの者がエフライムの山に立ち、呼ばわる日が来る『立て、我らはシオンへ上ろう、我らの神、主のもとへ上ろう』」。
・31:7−14もまた捕囚民の帰還預言である。帰還の喜びが預言されている。
−エレミヤ31:7-14「ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。諸国民の頭のために叫びをあげよ。声を響かせ、賛美せよ・・・見よ、私は彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める・・・彼らは泣きながら帰って来る。私は彼らを慰めながら導き、流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。私はイスラエルの父となり、エフライムは私の長子となる・・・主はヤコブを解き放ち、彼にまさって強い者の手から贖われる。彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て、主の恵みに向かって流れをなして来る・・・私は彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる・・・私の民を良い物で飽かせると主は言われる」。
・31章前半では前720年にアッシリアにより滅ぼされた北イスラエルを含めた回復預言がなされている。兄弟国北イスラエルの復帰はユダにとっての悲願であったが、実現しなかった。北イスラエルが回復されたのは、イエス時代の直前、マカベア期であった。イエスの生まれられたガリラヤも北イスラエルの領国だった。
−イザヤ8:23 「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」。
2.新しい契約の準備
・31:15-22には「ラケルがラマで泣き」という言葉が出てくる。ラケルはヨセフとベニヤミンの母であったが、下の子を生むと間もなく死んだ。ラマに墓があった。北イスラエルの民がアッシリアに強制移住させられた時、人々はラマに集められ、そこから連れ行かれた。彼女は子たちの成長を見ることなく死ぬ悲しみをし、今度は子たちの滅びを見て悲しむ。その悲しむラケルが子たちの帰還を見て、今度は喜びの涙を流すと預言される。
−エレミヤ31:15-21「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る・・・エフライムは私のかけがえのない息子、喜びを与えてくれる子ではないか・・・彼のゆえに、胸は高鳴り、私は彼を憐れまずにはいられないと主は言われる。道しるべを置き、柱を立てよ。あなたの心を広い道に、あなたが通って行った道に向けよ。おとめイスラエルよ、立ち帰れ。ここにあるあなたの町々に立ち帰れ」。
・このラケルはマタイ福音書で、イエスの身代わりにベツレヘムの子どもたちが殺された時、母親たちが嘆き悲しむ時の引用として用いられる。母親にとって、腹を痛めた子の喪失ほど悲しいものはない。
−マタイ2:16-18「ヘロデは・・・ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』」。
・31:23―30には「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」ということわざが引用されている。捕囚民の中には「先祖が罪を犯したために、自分たちが苦難を受けている。神は不当にも我々に罪を帰しておられるのではないか」として悔い改めをしない者たちもいた。しかし「人は自分の罪のゆえに死ぬ」、罪の責任は自ら負わなければいけないと言われている。
−エレミヤ31:23-30「見よ、私がイスラエルの家とユダの家に、人の種と動物の種を蒔く日が来る、と主は言われる。かつて、彼らを抜き、壊し、破壊し、滅ぼし、災いをもたらそうと見張っていたが、今、私は彼らを建て、また植えようと見張っている、と主は言われる。その日には、人々はもはや言わない『先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く』と。人は自分の罪のゆえに死ぬ。だれでも酸いぶどうを食べれば、自分の歯が浮く」。
【2010年7月1日祈祷会の学び(エレミヤ31:1-30補足資料)】
*人生における荒野の意味(2008年2月11日説教から)
・申命記の背景にあるのは、イスラエルの出エジプトの体験です。エジプトで奴隷だった民はモーセに導かれてエジプトを出ますが、彼らが導かれたのは約束の地ではなく、荒野でした。荒野だから、食べ物に乏しい。食べ物がなくなると民は神を呪い、エジプトを出るのではなかったとつぶやきます「我々はエジプトの国で、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられた」(出エジプト記16:2-3)。その不平を言う民に、神は天からマナを与えて養われました。
・民が約束の地、カナンに導き入れられたのは、40年後でした。エジプトとカナンは隣の国、徒歩で2週間の距離なのに、民は40年間も荒野を歩かされたのです。イスラエルの人々は思ったでしょう。「最初にエジプトを出た仲間の多くは荒野で死んでしまった、これが救いなのか、神は私たちを愛しておられるのか」と。しかし40年間を振り返った時、彼らは神に感謝します「この40年間、まとう着物は古びず、足がはれることもなかった。神は荒野に共にいてくださったのだ」。
・申命記をもう少し読んでいきますと、約束の地に入った民がどうなったのかが書かれています。イスラエルの民は約束の地に入ると、定住して農耕生活を始めます。そうすると人は倉を建てて、作物を蓄えるようになります。その時、自分の蓄えに頼り、神を忘れ始め、偶像崇拝を始めます。神がいなくとも生きられるからです。やがて、豊かな人はますます豊かになり、貧しい人はますます貧しくなるという社会的不公平が生じてきます。そこから振り返った時、人々は、「荒野の方が良かったのではないか。そこには神との生き生きした交わりがあり、人と人が助け合う生活があった」ことに気づき始めます。物質的な豊かさが人を幸福にしないことに気づいたのです。
*異邦人のガリラヤ(2010年4月11日説教から)
・そしてイエスがヨハネから独立して宣教の業を始められる時が来ます。マタイは記します「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」(4:12)。このカファルナウムを、マタイは「ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町」と説明します。マタイはこの説明文をつけることで、イエスの宣教の開始をイザヤ預言の成就であると主張します。イザヤは次のように預言しています「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ8:23-9:1)。「ゼブルン」と「ナフタリ」は、最初にガリラヤ地方に住んだイスラエル部族の名です。そのガリラヤは「辱めを受けた」、国境沿いにあるその地は、イザヤの時代にアッシリアに征服され、その属州にされたのです(前732年)。その後もガリラヤは外国人に支配されてきました。イザヤの預言は、「異邦人の支配を受けている、闇の中を歩む民、死の陰の地に住む者たちが光を見る」、異邦人支配から解放されて再びイスラエルに回復されると預言するものです。そのガリラヤでイエスが宣べ伝えられた福音は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と要約されています。「天の国」とは「神の国」と同じです。イエスが、このガリラヤにおいて神の国が始まったと宣言されたのです。それは「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝く」という預言の成就が為されるであろうとの使信です。
*ラケルの泣く声(2003年12月28日説教から)
・今日の招詞としてエレミヤ書31:15―17を選んだ。次のような言葉だ。
「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」
・前半の15節は、ヘロデによって子供達を殺されたベツレヘムの母親達の嘆く声を、マタイが預言の成就としてエレミヤ書から引用した言葉だ(マタイ2:18)。「子供達が殺された、もう何の希望もない」とベツレヘムの母親達は泣いた。ラケルも同じ悲しみを経験している。彼女はヤコブの妻であり、このヤコブ=イスラエルの子供達がイスラエル12部族を構成する。イスラエル民族はダビデ・ソロモンの時代には栄えたが、やがて北のイスラエルと南のユダの二つに分かれた。紀元前722年、北のイスラエル王国はアッシリヤに占領され、大人も子供も遠い国に捕虜として連れて行かれた。その時、民族の母であったラケルが、子供達がいなくなったことを嘆いたと伝えられる言葉がこのエレミヤ書31章だ。イスラエルはその後、紀元前587年にも同じ悲劇を経験する。今度は南のユダ王国がバビロンに占領され、捕囚として連れて行かれる人々がこのラマ(後のベツレヘム)で集められ、ここから異国に連れて行かれた。従って、ヘロデによる子供達の虐殺はベツレヘムが経験する初めての涙ではない。
・ヘロデがベツレヘムの子供を虐殺した事実は歴史書にも載らない。書くに値しない日常的出来事だからだ。それにもかかわらず、私たちは希望を失くさない。悲しみの向こうに解放があることを知っているからだ。エレミヤはラケルの嘆きを記した後で、神の言葉を続ける「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある。息子たちは自分の国に帰って来る。」(エレミヤ書31:16-17)。マタイはベツレヘムの悲しみを終わらせるために、イエスが来られたことを言いたくてエレミヤ31章を引用したのだ。