1.シオン賛歌
・詩編48編は「シオンは神が住みたもう都」と賛美する歌である。エルサレム神殿に集う会衆が賛美したシオン賛歌が詩の原型であろうと思われる。
−詩編48:2-4「大いなる主、限りなく賛美される主。私たちの神の都にある聖なる山は、高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される」。
・シオンは神の都であるゆえに、エルサレムに攻め来った諸王たちもひるみ、恐怖に陥って逃げ去ったと詩人は歌う。ヒゼキヤ王の時代に起こったアッシリア軍の敗退を思い起こしているのだろうか。
−詩編48:5-8「見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った。そのとき彼らを捕えたおののきは、産みの苦しみをする女のもだえ、東風に砕かれるタルシシュの船」。
・紀元前701年、エルサレムを包囲したアッシリア軍は突然包囲を解き、国に帰った。疫病が発生したとも、国内で政変があった為とも言われている。この事件を境に、「エルサレムは不滅である」とのシオン信仰が起こった。
−イザヤ37:36-37「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた」。
・9節以降もシオン賛歌は続く。シオンは神が住まわれる神殿がある故に永久に安泰であると。
−詩編48:9-12「聞いていたことをそのまま、私たちは見た、万軍の主の都、私たちの神の都で。神はこの都をとこしえに固く立てられる。神よ、神殿にあって私たちは、あなたの慈しみを思い描く。神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。右の御手には正しさが溢れている。あなたの裁きのゆえに、シオンの山は喜び祝い、ユダのおとめらは喜び躍る」。
・最後に「シオンは永遠に神の都である」と歌われる。巡礼者たちの讃美の歌がここに聞こえる。
−詩編48:13-15「シオンの周りをひと巡りして見よ。塔の数をかぞえ、城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ、この神は世々限りなく私たちの神、死を越えて、私たちを導いて行かれる、と」。
2.シオンは本当に永遠の都か
・どの民族も自分たちの都は永遠であると歌う。しかし地上に永遠なるものはない。バビロンは滅び、ニネベが滅んだように、エルサレムも前587年にバビロン軍により焼かれ、滅んでいった。
−列王記下25:8-9「第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った」。
・他の民族では神殿の消失と共に、信仰も消失した。しかし、イスラエルにおいては、神殿が炎上しても、全地を支配する主への信仰は消滅しなかった。イスラエル人はエレサレム陥落を自分たちの罪に対する主の怒りと受け止めた。
−列王記下24:20「 エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した」。
・バビロンに捕囚された民は、異国の地でシオンへの憧れを歌い(詩編137:1-6)、捕囚解放後は讃美と感謝を持って神殿を再建した(第二神殿)。
−ネヘミヤ12:43「その日(神殿再建の日)、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた」。
・イエス時代の神殿はヘロデ王が増築した第三神殿であった。弟子たちはその威容を賛美したが、イエスは神殿崩壊を預言される。イエスが殺された要因の一つはこの神殿侮辱罪であった。
−マルコ13:2「イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」。
・イエスの弟子ステパノもまた神殿の永遠性を否定したゆえに殺されていく。
−使徒7:46-50「ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです『主は言われる。天は私の王座、地は私の足台。お前たちは、私にどんな家を建ててくれると言うのか。私の憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、私の手が造ったものではないか』」。
・やがてパウロは、「イエスが神の生贄として死んでくださった故に、私たちはもう神殿を必要としない。むしろ、私たちの体こそ、主の霊が宿る神殿である」ことを見出していく。
−?コリント6:19「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。