1.現実の挫折の中での希望
・イザヤはアッシリアの脅威の中でエジプトの救援を求める支配者たちに、「主に信頼して静かにしていよ」と預言したが、彼らは聞かなかった。イザヤの時代が終わり、アッシリアはバビロンに滅ぼされ、そのバビロンは前587年にユダを滅ぼす。その亡国の現実の中で預言者たちは希望を語り始める。イザヤ32−35章はユダ滅亡後の回復預言だ。
-イザヤ32:1-2「見よ、正義によって一人の王が統治し、高官たちは、公平をもって支配する。彼らはそれぞれ風を遮り、雨を避ける所のように、また、水のない地を流れる水路のように、乾ききった地の大きな岩陰のようになる」。
・社会の現実はここに歌われる様子とは異なる。「正義も公平」も無く、あるのは「支配と収奪」だ。
-イザヤ1:21-23「どうして、遊女になってしまったのか、忠実であった町が。そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに今では人殺しばかりだ。お前の銀は金滓となり、良いぶどう酒は水で薄められている。支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり、皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤児の権利は守られず、やもめの訴えは取り上げられない」。
・現実の政治には希望が見出せない時、預言は現実を見つめたものから、夢想的な黙示に変わって行く。正義と公平が一時的に回復されることはあっても永続しない故に、預言者は「神の支配」を待ち望む。
-イザヤ32:3-5「見る者の目は曇らされず、聞く者の耳は良く聞き分ける。軽率な心も知ることを学び、どもる舌も速やかに語る。もはや、愚かな者が高貴な人とは呼ばれず、ならず者が貴い人と言われることもない」。
・現実はふさわしくない者が政治を司り、ならず者が栄えている。預言者はそれを知った上で神の国を求める。
-イザヤ3:4-5「私は若者を支配者にした。気ままな者が国を治めるようになる。民は隣人どうしで虐げ合う。若者は長老に、卑しい者は尊い者に無礼を働く」。
・上流階級の女たちは享楽を求める。イザヤは、彼女たちが豊かさを楽しむことが出来ない日が来ると預言した。
-イザヤ3:16-17「主は言われる。シオンの娘らは高慢で、首を伸ばして歩く。流し目を使い、気取って小股で歩き、足首の飾りを鳴らしている。主はシオンの娘らの頭をかさぶたで覆い、彼女らの額をあらわにされるであろう」。
・イザヤの後継者も預言する「女たちの幸せは虚構の上にある。正義と公平に基づかない豊かは砕かれる」と。
-イザヤ32:9-14「憂いなき女たちよ、起きて、わが声を聞け。安んじている娘たちよ、わが言葉に耳を傾けよ・・・
一年余りの時を経て、お前たちは慌てふためく。ぶどうの収穫が無に帰し、取り入れの時が来ないからだ・・・安んじている女たちは慌てふためく。衣を脱ぎ、裸になって、腰に粗布をまとえ。・・・宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ、見張りの塔のある砦の丘は、とこしえに裸の山となり、野ろばが喜び家畜の群れが草をはむ所となる」。
2.神の国の待望
・32章前半は理想の王の支配を描くが、現実の社会は困窮に直面している。それゆえにこそ、預言者は現実の打開を、人ではなく神の霊による超自然的な変化に求める。その黙示思想の中からメシア待望が生まれてくる。
-イザヤ32:15-17「ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。そのとき、荒れ野に公平が宿り、園に正義が住まう。正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である」。
・そのメシアは現実の政治を変えうる者、現実の政治の閉塞を打破する政治的なメシア=解放者となる。
-イザヤ30:15「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた『お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」。
・現実の世界の中では雹が降って作物が被害を受ける時もあるだろう。しかしその苦難の中にも著者は恵みを見る。
-イザヤ32:18-20「わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう。しかし、森には雹が降る。町は大いに辱められる。すべての水のほとりに種を蒔き、牛やろばを自由に放つあなたたちはなんと幸いなことか」。
・イザヤの時代から2700年の時代が経った。世界は相変わらず「支配と収奪」の国であり、どこにも正義と公平はない。しかしクリスチャンはその中で神の国を待望して生きる。
-ルカ17:20-21「人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。
・メシアは来られた。地上のものではない神の国を形成される方として。神の支配、それは私たちがイエスに従って行く時、そこに生まれる。支配するのではなく、仕える時に、そこに神の国、神の平和が生まれる。
-マルコ10:42-45「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。