1.安息年の規定
・7年毎の安息年には、土地を休ませよと命令される。基本的には弱った地力の回復のための措置である。
―レビ記25:2-4「あなたたちが私の与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。」
・人は不安に思う『7年目に収穫が出来なければどうやって生きていくのか』。私を信じ、委ねよと神は言われる。
―レビ記25:20-22「『七年目に種も蒔いてはならない、収穫もしてはならないとすれば、どうして食べていけるだろうか』とあなたたちは言うか。私は六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。あなたたちは八年目になお古い収穫の中から種を蒔き、食べつなぎ、九年目に新しい収穫を得るまでそれに頼ることができる。」
・土地は神のものであり、人は一定期間その使用を許されているに過ぎないとの考えが背景にある。今日のパレスチナ問題の根源には、パレスチナの土地はユダヤ人に与えられた嗣業の地であるとの誤ったシオニズムがある。
―レビ記25:23「土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地は私のものであり、あなたたちは私の土地に寄留し、滞在する者にすぎない。」
・この考え方は新約にも継承される。私たちはこの地上では寄留者に過ぎず、土地や財産に執着するなと命じられている。
―ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」
2.ヨベルの年
・安息年の7倍の年、50年目にヨベルの年が設定された。ヨベルとは雄羊の角笛を指す。
―レビ記25:8-10「あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。」
・ヨベルの年には全ての負債は免除され、土地も返還された。人にやり直しの機会を与えるためである。
―レビ記25:13-16「ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。・・・あなたはヨベル以来の年数を数えて人から買う。すなわち、その人は残る収穫年数に従ってあなたに売る。その年数が多ければそれだけ価格は高くなり、少なければそれだけ安くなる。その人は収穫できる年数によってあなたに売るのである。」
―レビ記25:39-41「もし同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年まであなたのもとで働かせよ。その時が来れば、その人もその子供も、あなたのもとを離れて、家族のもとに帰り、先祖伝来の所有地の返却を受けることができる。」
・カナンの地に入り、時代が経るに従い、土地の占有化が進み、地主と小作の階級対立が起き、土地の再配分により、社会正義を実現しようとした試みであった。しかし、実際には土地の占有は進んで行った。
―イザヤ5:8-9「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに、この地を独り占めにしている。万軍の主は私の耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は、必ず荒れ果てて住む者がなくなる。」
・富める者がますます富み、貧しい者がますます貧しくなるという社会の在り様を変えるためには、人の心が変えられなければならない。イエスが宣教の始めに言われたことは、この富や財からの解放の宣言だった。
―ルカ4:18-21「『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』・・・イエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」