1.シナイへの到着
・エジプトを出た民は3ヶ月目に神の山であるシナイに到着する。
―出エジプト記19:1-2「イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に着き、荒れ野に天幕を張った。イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。」
・シナイこそはモーセが最初に神と出会った場所であり、民はここに1年間滞在し、神の民としての訓練を受ける(出エジプト記19−40章はシナイでの記事)。このシナイで民は神と契約を結び、その条文が十戒だ。
―出エジプト記19:3-5「モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。『ヤコブの家にこのように語り/イスラエルの人々に告げなさい。あなたたちは見た/私がエジプト人にしたこと/また、あなたたちを鷲の翼に乗せて/私のもとに連れて来たことを。今、もし私の声に聞き従い/私の契約を守るならば/あなたたちはすべての民の間にあって/私の宝となる。世界はすべて私のものである。』
・神は「鷲の翼に乗せてあなたをここまで連れてきた」と言われた。イスラエルの民は、自分たちが神の導きの下にあることを忘れなかった。
―申命記32:10-12「主は荒れ野で彼を見いだし/獣のほえる不毛の地でこれを見つけ/これを囲い、いたわり/御自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように、ただ主のみ、その民を導き/外国の神は彼と共にいなかった。」
・その目的はイスラエルを聖なる民、祭司の民とし、イスラエルを通して救いを諸民族に伝えることだった。
―出エジプト記19:6「あなたたちは、私にとって/祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」
・祭司は仲保者として諸民族に仕える。ペテロは新しいイスラエルである教会の役割もそうだという。教会は他者に仕え、主の言葉を伝えるために立てられた。教会の第一の使命は宣教であり、宣教を忘れた教会は衰える。
―?ペテロ2:9「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」
・民はこの神の申し出に応じて契約を結ぶことを誓う。
―出エジプト記19:7-8「モーセは戻って、民の長老たちを呼び集め、主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語った。民は皆、一斉に答えて、『私たちは、主が語られたことをすべて、行います』と言った。」
2.神の顕現
・過越から49日目に、神は民の前に現れる。これを記念して、過越から49日目に7週の祭りを行うが、それが五旬節(ペンテコステ)である。新約においてこの五旬節に聖霊が降臨し、新しいイスラエルとして教会が生まれた。
―出エジプト記19:10-11「主はモーセに言われた。『民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。』」
・民は神の現臨を聞いた。しかし、神はモーセを通して民に語られる。ここに仲保者(預言者)の役割がある。現代の牧師も同じ役割を神から受けていると理解される。
―出エジプト記20:18-21「民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。『あなたが私たちに語ってください。私たちは聞きます。神が私たちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、私たちは死んでしまいます。』・・・ 民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。」
・モーセは言う「恐れることはない。主はあなた方のために、戒めをお与えになるのだから」。
―出エジプト記20:20「モーセは民に答えた。『恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。』」
・荒野の生活は過酷で、そこでは規律と従順が生きるために必要だ。戒めとは荒野を生きるための祝福である。
―申命記6:24-25「主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、常に幸いに生きるようにしてくださった。我々が命じられたとおり、我々の神、主の御前で、この戒めをすべて忠実に行うよう注意するならば、我々は報いを受ける。」