1.モーセの召命(3:1−6)
・モーセは神の召命を受けた時、繰り返し辞退する。
―3:11「モーセは神に言った『わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか』」。
―4:1「モーセは言った『しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、主はあなたに現れなかった』と」。
―4:10「モーセは主に言った『ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです』」。
―4:13「モーセは言った『ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください』」。
・これに対し、神は忍耐強くモーセに応答された。
―3:12「神は言われた、『わたしは必ずあなたと共にいる』」。
―4:2-3「主は彼に言われた『あなたの手にあるそれは何か』。彼は言った『つえです』。また言われた『それを地に投げなさい』。彼がそれを地に投げると、へびになったので、モーセはその前から身を避けた。」
―4:12「それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。
・神は人間を用いてその業を為されるが、決して奴隷的服従を求められるのではなく、自由意志としての服従を求められる。従って、人は解らない時には尋ねて、求めても良いと神は言われる。
―ルカ11:9-13「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。・・・天の父は求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
2.苦しむ者の声を聞かれる神(3:7−12)
・神は人間の叫びを見て、聞いて、知って、行為される。
―3:7-8「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、・・・に至らせようとしている。」
・そして、「私は共にいる=エフィエー(私はいる)・イムマーク(共に)」ことを約束される。イムマニ(共に)エル(神)=神共にいたもう、これが神の約束である。
―私は何者でしょう、私は適任ではありませんと抗議するモーセに対し、「私が共にいる」と神は応答された。
3.神が名を明らかにされる(3:13−22)
・あなたの名前を教えてくださいと頼むモーセに「有って有るもの」と神は応答される。
―3:14「神はモーセに言われた『わたしは、有って有る者』」。
・有って有るものとは、あなたを選び、あなたと共にいる(イムマヌエル)ことである。
―エフィエー=有る(ハーヤー)の1人称単数=私は有る、アシェル=関係代名詞=WHO、訳すれば、有って有る者=英語訳 I am who I am
・神はご自身の名を「エフィエー アシュエル エフィエー」と明らかにされた。それは「私はあなたがたのために神になるであろう」との神の決意を示されたものである。
―3:16-17「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたがエジプトでされている事を確かに見た。それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」。
・イスラエルの信仰は、この導かれる神の救済の業に対する感謝が中核である。
―申命記26:7-9「われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、主はわれわれの声を聞き、われわれの悩みと、骨折りと、しえたげとを顧み、主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、しるしと、不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、われわれをこの所へ連れてきて、乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。」