1.士師記とはどのような書か
・創世記の学びを終え、9月には士師記を読んでいきます。皆さんの中には、士師記を読んだことがないという人もおられるでしょうが、そこにも大事な使信があります。士師はヘブル語で「ショフェティーム」、英語では「Judges」と呼ばれ、裁き司、治める者という意味です。エジプトを脱出したイスラエルが約束の地に入り、ダビデ・ソロモンの統一王朝を形成するまでの250年間の苦難の歴史が、指導者「士師」の物語を通して、描かれています。
・イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出て(出エジプト)、神が与えると約束された地に向かって歩んで行き、やがてモーセは死に、後継者ヨシュアに率いられて、民は約束の地カナンに入ります。約束の地と言っても、そこには先住民族が住んでおり、イスラエルは彼らと戦いながら、土地を獲得しなければなりませんでした。しかし、鉄製の武器を持ち、城壁で守られた都市を攻略することは難しく、当初は人があまり住んでいない山地に入り、そこに定着を始めたと言われています(1:19)。
・神が与えると約束された土地をイスラエルは占領することが出来ませんでした。歴史的には武力に勝る敵を追い払えなかったということでしょうが、士師記はそれを「神を信頼しない」不信仰の故と記します(2:1-3)。戦いを通して、イスラエルはカナンの地に少しずつ足場を築いていきますが、周辺部族からの絶え間ない侵略に常に悩まされます。士師記はそれを「民が主を忘れ、罪を犯した時に、裁きとして略奪者が送られた」と理解しています(2:14)。
2.ギレアドの苦難
・異邦人の侵略に悩んだ民の一つがギレアドの民です。主の前に罪を犯したイスラエルを、主はアンモン人の支配下に放置されたと士師記は語ります。「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた・・・主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された」(10:6-7)。アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、さらには川を越えて西岸の地域をも侵し始めます「敵は・・・十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた」(10:8-9)。
・イスラエルは救いを求めますが、主は拒否されます「バアルやアシュトレトの偶像の神を拝んでいるのなら、その神々に救いを求めればよいではないか」。しかし、イスラエルなおも救済者を求め、主は彼らを救うためにエフタを選ばれます。エフタは隊商を襲う夜盗集団の頭でしたが、その勇敢さは聞こえていたので、人々は彼に指揮官になるよう頼みます。「帰って来てください。私たちの指揮官になっていただければ、私たちもアンモンの人々と戦えます」(11:6)。
・エフタはギレアド出身でしたが、遊女の子であったため、故郷を追われてトブの地にいたと士師記は記します(11:1-3)。その自分を追放した町の人たちが、自分が困ると助けを乞いに来る。エフタは当初は指導者になることを断ります。「あなたたちは私をのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜ私のところに来るのですか」。しかし度重なる要請にやむを得ず、承諾します。
3.戦いのために立てられたエフタ
・エフタはギレアドの指導者となり、民のために、アンモン人と戦う準備をします「エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた』(11:11)。やがてエフタはアンモン軍と戦い、これを撃破し、ギレアドの地を守りますが、そのために取り返しのつかない犠牲を払うことになります。それが娘を生贄として捧げる出来事です。エフタは故郷の人々の懇願を受け入れ、アンモン人との戦いに臨みますが、勝つ自信が持てません。そのため彼は「勝利の暁には家の者を生贄として捧げます」と誓願します。「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰る時、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(11:30-31)。
・彼はおそらく召使を捧げる心積もりであったのでしょう。召使ならば死んでも良いと思ったのでしょう。戦いはエフタの勝利になり、エフタが家に帰ってみると、彼を最初に迎えたのは、彼の娘でした。「エフタがミツパにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った『ああ、私の娘よ。お前が私を打ちのめし、お前が私を苦しめる者になるとは。私は主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない』」(11:34-35)。娘は悲しみますが誓願の言葉を破ることは出来ません。彼女は「生贄」として捧げられ、死んで行きました(11:36-39)。
3.罪の縄目の中で
・今日の招詞に士師記21:25を選びました。次のような言葉です「そのころイスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。アブラハムが息子イサクを生贄として捧げよと命じられた時、主は備えの羊を送ってそれを止めさせられました(創世記22:10-15)。しかし、今回は何もされません。アブラハムのイサク奉献との違いはどこにあるのでしょうか。アブラハムは何十年間もの祈りの結果与えられた子であるイサクを、「生贄として捧げよ」と命じられます。アブラハムには主の御心がわかりません。しかし、一言も反論せず、主の命に従います。彼はイサクを連れてモリヤの山に向かい、途中でイサクは父に尋ねます「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」。それに対してアブラハムは応えます「子よ、必要なものは神が備えて下さる」(創世記22:8)。しかし、エフタは「誓願」という形で神と取引し、その罪を問われました。
・礼拝学者のジョン・バークハートは、人は何故礼拝するかについて語ります「私たちが生きている社会は、ほとんどすべての価値が『それは何の役にたつか』という尺度によって測られている・・・私たちの中の多くは、この世は『役に立つ』ものと『役に立たない』ものの二種類に分類できると考えている」。エフタは神が役に立つと信じるゆえに、捧げものと引き換えに神の恩恵を求めました。彼は神を利用しようとした罪の結果を突きつけられたのです。しかも追い詰められても悔い改めることをしなかった。バークハートは続けます「神をまるで私たちの目的を達成するための手段であるかのように取り扱うことは、私たち自身が神であると思い込むことに他ならない」(越川弘英「今礼拝を考える」p29-30)。
・本当に意味のある捧げものとは自分自身を捧げることです。かつてモーセは罪を起こした民衆を救うために祈りました「この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された書の中から消し去ってください」(出エジプト記32:31-32)。仮に、エフタが「娘を助けて下さい。そのためには私の命を消し去ってもかまいません」と祈れば、主はおそらく許されたでしょう。エフタに欠けていたものは「神は憐れみ深い」という信仰です。エフタは「神に為した誓願は守らなければいけない」と自分の正しさに固執し、神の正しさと憐れみに物事を委ねなかった。そのことが娘を殺したのです。
・士師記の物語は当時の悪の現実、イスラエルに王がなかった時代、それぞれめいめいがどのように、自己満足的に生きていたか、その堕落の極み、偶像礼拝、不品行、内乱の状況を描いています。私たちが神を離れ、自分の心の基準に従って歩みだすと、結果的には、悪と混乱を極めていく他はありません。人間が「自分の目に正しいと見える」ことを行う時、その必然的な結果は暴力的な混沌なのです。士師記の物語をそのことを私たちに告げます。・聖書でいう罪=ハマルテイアとは、「的から外れる」という意味です。的から外れる、神なしに生きるという意味です。神なき世界では、人間は人間しか見えません。他者が自分より良いものを持っていればそれが欲しくなり(=貪り)、他者が自分より高く評価されれば妬ましくなり(=妬み)、他者が自分に危害を加えれば恨みます(=恨み)。神なき世界では、この貪りや妬み、恨みという人間の本性がむき出しになり、それが他者との争いを生み出していき、世は弱肉強食の、食うか食われるかの世界になります。士師記の「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」ことによる混乱はそのことを示唆するのです。バークハートを紹介した越川先生は語ります「礼拝とは何かを獲得するために人々が集まる場ではなく、私たちに本当に必要なものが既に与えられていることを知って感謝する人々の集いなのです」(同p32)。