1、罪なきイエスを裁く者の罪
今日は受難日礼拝です。主イエスはピラトの法廷で死刑の判決を受け、刑場まで連れて行かれました。ヨハネ福音書は記します「イエスは、自ら十字架を背負い、『されこうべの場所』、ヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」(19:17)。十字架刑の宣告をうけた罪人は自分が架けられる十字架を背負わされ、刑場へ向かうことになっていました。十字架は縦木と横木を組み合わせたもので、相当な重さです。刑場へ向かう道は「ウィア・ドロロサ(悲しみの道)」と呼ばれた、でこぼこの悪路でした。そこを罪人が十字架を背負わされ、道の両側には物見高い群衆が押し寄せ、衆人環視の中を、重い十字架を背負わされて刑場へ向かう、十字架刑は、その最初からすでに恥と苦しみの残酷な刑罰だったのです。
ヨハネは記します「(されこうべの場所で)彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒に他の二人をも、イエスを真ん中にして、両側に、十字架につけた。」(19: 18)。「されこうべ」という名称はヘブライ語では「ゴルゴタ」ですが、ラテン語では「カルバリ」となり、この名称(カルバリ)が、広く通用しています。だからでしょうか、新生讃美歌等の歌詞にはラテン語の「カルバリ」を使うものが多いようです。
十字架刑はローマが政治犯に適用する極刑で、両手両足を釘づけにしました。そのため、釘づけにされた両の手と足に体重がかかり、手と足はだんだん引き裂けて、焼けるような痛みが起こり、貧血と痛みによる気絶と蘇生を繰り返し、一日から長くて数日間、生死の間をさまよい、力つきて死を迎えるのでした。十字架の刑は人間の耐ええるかぎりの極限の苦痛と、辱めをあたえる刑罰でした。それはまた時の権力に背いた者はこうなるという見せしめでありました。
十字架の上には、その罪人を処刑する理由となる「罪状書き」を掲げるのが慣わしになっていました。ピラトは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」とその罪状書きに書きました。この「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という罪状は、皮肉なことに、もともとユダヤ人がイエスを最初に訴えた時、持ちだした罪状でした。しかし、「ユダヤ人の王」が十字架に架けられると言うことはただ事ではありません。王がなぜ十字架に架けられるのか。という疑問を持つはずです。
イエスが「ユダヤ人の王」であるなら、彼ら祭司長たちはイエスを十字架に架けるどころか、まっ先にイエスの前にひれ伏さねばなりません。そこで祭司長らは民の間に起こるかも知れない疑いを恐れて、ピラトに「ユダヤ人の王」と書かずに、「この男はユダヤ人の王を自称していた」と書いてほしいと訴えました。しかし、ピラトは彼らの要求には応じませんでした。こうしてイエスは「ユダヤ人の王」として、十字架にかけられることとなります。
2、不条理なイエスの死
ヨハネ福音書は十字架につけられたイエスの衣服を、兵士たちが分け合い、下着については「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めようと話しあった」と記述します(19:24)。ヨハネはそれを「彼らは私の服を分け合い、私の衣服のことでくじを引いたという聖書の言葉が実現するためであった」(19:24)と記します。この「私の衣服のことでくじを引く」、詩編22:19の引用です。ヨハネが事細かく兵士たちがイエスの服をわけ合ったことを書いたのは、この旧約の預言が成就したことを言いたかったのです。
預言の成就とは神の意志によって起こる出来事を指します。イエスは、世を愛し、人を愛し、福音を伝え、癒しの業を行い、人々を救いました。それなのに、最後の最後には身に着けた下着まで奪われ、全てのものを与えたすえに、十字架の辱めをうけ、命まで奪われました。しかしそれは神の御心だったとヨハネは詩篇を引用して述べます。人間の罪を購うためには、罪のないイエスが十字架に架けられ、罪ある者と共に数えられて、苦しみを受け、死に渡され、死から復活されなければならなかったのです。
私たちはバプテスマによって、イエスの死に倣い、イエスの死と復活にあずかる者となりました。私たちはバプテスマによってイエス・キリストと結ばれたのです。今日の招詞はローマ6:5−6を選びました。「もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」イエスの死と復活は、今ここに居る私たちの救いにつながっているのです。ですから、後代の人々はイエスが十字架に架けられたこの金曜日を、「Good Friday」と名付けました。イエスの死によって、私たちが罪を赦された、その感謝を込めての命名です。
3.君もそこにいたのか
今夜の礼拝の中で末常夫妻が讃美されました聖歌400番「君もそこにいたのか」は、黒人霊歌「Were You There」を中田羽後が訳詞したものです。見事な訳詞だと思います。この歌を歌うと本当に、イエスの十字架を前にして心が震えるように感じると言う人もいます。
十字架の下には大勢の人々がいました。イエスを十字架につけた祭司長や律法学者、イエスを処刑するために集められたローマ軍の兵士、イエスの十字架に心を引き裂かれている婦人たち、弟子たちも遠くからこの処刑を見守っていたのでしょう。その時、私たちはどこにいたのでしょうか。2000年前に、遠いユダヤの地で、ナザレのイエスと呼ばれる男が処刑された、それは私とは何の関係もない出来事だと考えるならば、私たちは今日、ここにいない。そうです。この物語は私たちの出来事なのです。
讃美歌は歌います「君もそこいたのか 主が十字架につくとき、ああ なんだか心が 震える、震える、震える、君もそこいたのか」、「君も聞いていたのか 釘を打ち込む音を、ああ、なんだか心が 震える、震える、震える、君も聞いていたのか」、「君も眺めていたのか 血潮が流れるのを ああ なんだか心が 震える、震える、震える、君も眺めていたのか」。
「君もそこにいたのか」という讃美歌は、さらに続きます。「君も墓にいったのか 主をばほうむるために。ああ なんだかこころが ふるえる、君も墓にいったのか」、「君もそこにいたのか 主がよみがえられたとき、ああ なんだかこころが ふるえる 君もそこにいたのか」。十字架の出来事は復活の出来事に連続します。十字架はおぞましい、残酷な刑です。しかし、復活の光の下で、十字架は、救いの出来事に変えられていきます。
イエスの十字架刑の時、弟子たちはそこにいず、ただ婦人たちが立ち会っていました。弟子たちは逃げ去っていたのです。彼等はイエスの弟子として捕えられるのが怖かった。同時に、十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかった。人は強いもの、優れたものを崇めますが、弱いもの、無力なものはこれを捨てます。弟子たちはイエスを捨てました。パウロが言うように、「十字架の言葉はユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなもの」(1コリント1:23)です。
しかし、その弟子たちがやがて「十字架で死なれたイエスこそ、私たちの救い主である」と宣教を始めます。何が起こったのかでしょうか。イエスが復活し、その復活のイエスに出会うことにより、弟子たちが変えられていったとしか思えません。イエスの十字架から100年もしないうちに、ローマ帝国の到る所に、イエスを救い主とするキリスト教会が立てられていきました。何故ナザレのイエスの死が、人々の魂を揺さぶったのでしょうか。十字架とそれに続く復活こそが、多くの人々を「信じない者から信じる者に変えていった」(20:27)のです。
私たちは、受難の物語を自分には関係のないこととして受け止めがちです。しかし、この歌はそこのところを、「私たちも、主の受難に立ちあいながら傍観していたのではないか」と言う罪の告白を促す歌になっています。「十字架のあがないを前にして、傍観者であることをやめよう」とこの歌は呼びかけます。私たちも十字架に立ち会った。その時は何もしないで、出来事を眺めているばかりだった。しかし、人生における苦しみの中で、復活のイエスに出会った。だから、今日ここにいる。もう傍観者であることをやめよう。イエスに従う者として生きよう。その時、私たちの人生は意味あるものに変えられていくのです。