1.群衆へのパウロの弁明
・パウロはエルサレム神殿で、パウロを裏切り者と非難していたユダヤ教保守派の者たちに捕まり、リンチを受ける。ローマ守備隊の介入により難を逃れたパウロは、自分を殺そうとした者たちへ語り始める。
-使徒22:1-3「『兄弟であり父である皆さん。これから申し上げる弁明を聞いてください。』パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った『私はキリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。』」
・パウロの時代、キリスト教は「この道」と呼ばれていた。パウロは情け容赦のない「この道」の迫害者として、大祭司やすべての長老たちによく名を知られていた。
-使徒22:4-5「『私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、私のために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。』」
・迫害の旅を続けるパウロは、ダマスコ途上で突然強烈な光におそわれ、地上に打ち倒された、パウロはその時を境に、キリスト教の迫害者から擁護者に転じた。
-使徒22:6-11「『旅を続けてダマスコに近づいた時のこと、真昼ごろ、突然、天から強い光が私の周りを照らしました。私は地面に倒れ、「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と言う声を聞いたのです。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「私は、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがありました・・・主は、「立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」と言われました。私は、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれてダマスコに入りました。』」
・パウロの熱心は自分の信じるものに対する熱心であり、それは異なる考えの者を迫害する。パウロは後に「私は自分の義に熱心であったが神の義に熱心ではなかった」と述べる。
-ローマ10:2-3「私は彼ら(ユダヤ人)が熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです」。
・アナニアは回心したパウロを導く役目を主から与えられた。
-使徒22:12-14「『ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人が私のところに来て、そばに立ってこう言いました「兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。」するとそのとき、私はその人が見えるようになったのです。』」
・不思議な神の選びは、パウロをキリスト教の迫害者から、福音宣教者に変えてしまった。
-使徒22:15-16「『アナニアは言いました。「私たちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口から声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、バプテスマ(洗礼)を受けて罪を洗い清めなさい。」』」
・パウロは高名な律法学者ガマリエルの薫陶を受けたラビとして、キリスト教徒を迫害した。そこまでは、パウロを罵る群衆も納得できた。しかし、パウロは「神は異邦人を含む全人類を愛され、イエスを世に遣わされた」と述べると、群衆は激高した。彼らは「神はユダヤ人だけを愛して、選ばれた」と信じていた。
-ロ-マ9:30-32「義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした・・・イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。」
・パウロの経験から私たちが学ぶべきは、「回心とは、『わが道を行く』生き方から、『主の道を行く』生き方に変えられる」ことだ。生まれつきの私たちは「わが道を行く」歩みをしている。自分の人生は自分のものであり、自分の道は自分で選ぶと思っている。そのような歩みをしている私たちに、主が出会われ、「なぜ、私を迫害するのか」と語りかけられ、「わが道を行く」ことが、主を苦しめ、敵対することであることを示され、変えられる。今のパウロは、ユダヤ人たちの怒りによって殺されそうになり、ローマの囚人となった。危機的な状況なのに、彼は落ち着いている。それは、彼が「わが道」でなく、「主の道」を歩んでいるからだ。主にお会いし、「わが道」から「主の道」へと方向転換することによって、私たちは、病や苦しみや悲しみの中にあっても、死に直面する時にも、慰め、喜び、平安の内に歩むことができるのだ。
2.異邦人伝道者として遣わされたパウロ
・ダマスコからエルサレムに戻ったパウロは、出来事の意味を知るために、エルサレム神殿に行き、祈る。
-使徒22:17-21「『さて私はエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていた時、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。私についてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。私は申しました。「主よ、私が会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流された時、私もその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者の上着の番をしたのです。」すると主は言われました。「行け。私があなたを遠くの異邦人のために遣わすのだ。」』
・パウロは「異邦人に福音を伝えよ」と主が言われたと証しする。この言葉はユダヤ人を激昂させた。自分たちこそ選びの民であり、異邦人は神に救われる資格はないと思っていることを批判されたからだ。ユダヤ人たちの騒ぎは大きくなり、彼らが口々に「この男を殺せ」と叫び始めた。
-使徒22:22-25「パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。』彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃りを空中にまき散らすほどだったので、千人隊長はパウロを兵営へ入れるように命じ、人々がどうしてこれほど、パウロに対してわめき立てるのかを知るため、鞭で打ちたたいて調べるようにと言った。」
・いつの世にも、どこの世界にも、福音を語っても受け入れない人たちは常にいる。しかし、私たちは語り続けなければいけない。その中にも、主の民はいるからだ。
-使徒言行録18:9-10「主は幻の中でパウロにこう言われた『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には私の民が大勢いるからだ』」。
3.最高法院での審判へ
・ロ-マ軍の取り調べの基本は、自白の強要で、そのために鞭打ちがなされた。鞭には骨片や陶片を埋め込んであり、裸の背中を打つと、皮膚は破れ肉が裂け、死に至る者さえあった。パウロはロ-マ帝国の市民権を持っていると主張して、この刑罰を免れた。
-使徒22:26-28「パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。『ロ-マ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってよいのですか。』これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところへ行って報告した。『どうなさいますか。あの男はロ-マ帝国の市民です。』千人隊長はパウロのところへ来て言った。『あなたはロ-マ帝国の市民なのか。私に言いなさい。』パウロは、『そうです』と言った。千人隊長が、『私は、多額の金を出して、この市民権を得たのだ』と言うと、パウロは、『私は、生まれながらのロ-マ帝国の市民です』と言った。」
・千人隊長はパウロを取り調べるため、最高法院(サンへドリン)の招集を命じ、パウロは最高法院という公の場所で弁明することとなった。その弁明が23章に続く。
-使徒22:29-30「そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがロ-マ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。翌日、千人隊長は、なぜ、ユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。」
・人は使命が与えられている限り死なない。死は、使命を帯びて派遣された人間が、派遣された期間を終えて神のもとに呼び返されることだと聖書は語る。パウロもエルサレムでその命を守られた。
-ローマ14:10-12「私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。こう書いてあります『主は言われる。私は生きている。すべてのひざは私の前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえると。それで、私たちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです」。
4.最高法院でのパウロの弁明
・パウロを民衆のリンチから救ったローマの守備隊長は、パウロが何故告発されたかを知るために、ユダヤ人議会を召集するように求めた。こうして、パウロは最高法院の議員の前で証しをする機会を与えられた。彼は最高権力者である大祭司さえも恐れていない。
-使徒23:1-2「パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前に生きてきました。』すると、大祭司アナニアはパウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。パウロは大祭司に向かって言った。『白く塗った壁よ。神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従って私を裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、私を打て、と命令するのですか。』」
・この大祭司アナニアは強欲で知られ、民衆の評判も悪く、紀元66年のユダヤ戦争時に暴徒に暗殺されている。ルカはこの事実を踏まえて、「神があなたをお打ちになる」とパウロに語らせている。
-使徒23:3-5「近くに立っていた者たちが、『神の大祭司をののしる気か』と言った。パウロは言った。『兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに「あなたの民の指導者を悪く言うな」と書かれています。』」
・イエスご自身も大祭司の前に不遜であるとして、下役から平手打ちをされている。権威を嵩に高ぶるものは真理の声を聴こうとはしない。
-ヨハネ18:22「イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、『大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか』と言って、イエスを平手で打った」。
・パウロは議場に復活を信じる多くのファリサイ派がいるのをみて、「自分は復活信仰で裁かれている」と語り始めた。するとファリサイ派とサドカイ派の間に激しい論争が始まり、議場は大混乱となった。
-使徒23:6-9「パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であること知って議場で声を高めて言った。『兄弟たち、私は生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです。』パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派の間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれも認めているからである。そこで騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、『この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか』と言った。」
・ファリサイ派とサドカイ派の論争は激しさを増すばかりで、パウロに危険が及びそうなので、千人隊長は議場へ入り、パウロを救出した。その夜パウロは主から励ましを受けた。
-使徒23:10-11「こうして、論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた。その夜、主はパウロのそば立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ロ-マでも証ししなければならない。』」
・使徒言行録23章の記事は、宗教改革者マルティン・ルターの裁判を想起させる。彼は1521年ウォルムス国会で、ローマ教皇に対する告発を取り消すように、皇帝カール5世から求められた。その時、彼は、「私は神にそむくことは出来ない、ここに私は立つ」としてそれを拒否する。
-1521年 4月17日ルターの証言「私は教皇と公会議の権威は認めません。なぜなら、それらは互いに矛盾しているからです。私の良心は神の御言葉にとらわれているのです。私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。なぜなら、良心にそむくことは正しくないし、安全でもないからです。これよりほかに私はどうすることもできない。ここに私は立つ。神よ、私を助けたまえ。アーメン。」