1.占星術の学者たちの訪問
・イエス誕生の頃のユダヤは、ヘロデ王の時代であった。宗主権はロ-マ帝国にあり、ロ-マ総督の統治のもとに、ヘロデ王は民政を、最高法院(サンへドリン)は宗教行政を任されていた。これはロ-マ帝国における占領地懐柔策であり、ヘロデもロ-マ帝国に操られる傀儡政権の王に過ぎなかった。そしてヘロデ王や大祭司もシリアにいるローマ総督の好意を得ることに汲々としていた。
・そのような状況下、ヘロデは東方から来た博士たちが、今生まれたユダヤの王を探していると知り、自らの王位を脅かされる恐れを感じた。ヘロデの不安は当然で、彼はエドム人であり、本来はユダヤ王になる血筋ではない。彼は自分の出自を正すために、ユダヤ王家の血筋であるハスモン家の王女マリアンメと結婚し、王家と姻戚関係を結ぶことに成功した。ハスモン家は100年前、ユダヤ王家を再興し、ユダヤを支配してきた名家であった。ヘロデが結婚した頃は王位を失っていたが、ヘロデはそのハスモン家の王女マリアンメと結婚し、王家の血筋に加わることに成功した。次に彼はロ-マの支配層に取り入り、ロ-マ元老院から「ユダヤ王」の称号を得ることにも成功していた。
-マタイ2:1-3「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのべツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれなった方はどこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので拝みに来たのです。』これを聞いてヘロデは不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。」
・王位に就いたヘロデが最初にしたことは、彼の王位を奪いかねない前政権ハスモン家の血縁者の抹殺だった。まずハスモン家の当主アンテイゴノスを処刑させ、妻マリアンネとその間に生まれた二人の息子を手にかけ、妻の弟アリストブロス、妻の母アレクサンドラまでも殺害した。そして敵対するユダヤ教の指導者まで処刑した。そのせいで最高法院(サンへドリン)は弱体化し、宗教問題しか裁けなくなってしまった。そのような過去を持つヘロデは、イエスがユダヤ人の王であると聞いた途端、王座が奪われると恐れと不安に駆られた。
-マタイ2:4-6「王は民の祭司長や律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているかと問いただした。彼らは言った「ユダヤのべツレヘムです。預言者はこう書いています。『ユダの地ベツレヘムよ。お前はユダの指導者の中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者になる。』」
・祭司長と律法学者がヘロデに預言者の言葉として伝えたのはミカ5:1であった。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、私のために、イスラエルを治める者が出る。」-「エフラタ」は「ベツレヘム」の旧名である。創世紀35:19は「ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のべツレヘムの道の傍らに葬られた」と述べる。マタイは「ユダの氏族」を「ユダの指導者」に、「小さき者」を「小さい者ではない」に、「ユダの指導者」と「イスラエルの牧者」を「ユダの指導者、牧者である」とまとめている。ベツレヘムを「小さくない」というのは。イエスの誕生によって、もはや小さくない存在であると解釈したからである。
2.ヘロデの行動
・ヘロデは「ユダヤ王の誕生」と聞いて危機感を募らせたが、その場をさりげなく取り繕って、「私も行って拝もう」と本心を隠して学者を見送っている。彼は拝むつもりは毛頭なく、探し出して殺そうと考えていた。東方の博士たちはヘロデから別れた後、最初見た星が再び彼らを導くのを見て喜んだ。星は幼子の生まれた所で留まり、彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝物箱を開け黄金、乳香、没薬を捧げた。
-マタイ2:7-12「そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう』と言って送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」
・博士たちの贈り物は奇しくもイエスの生涯を表しているといわれている。「黄金」は王としてのイエスの輝かしい存在を、「乳香」は香をたくことで祈りが神に届いたことを意味する。「没薬」はミルラという樹脂からとられ、死体の防腐剤として使われ、イエスの死を表しているといわれている。博士たちはイエスを礼拝した後、ヘロデの元へ帰るなと、夢でお告げがあったので別の道を通り帰った。
・イザヤ11:1-2はイエスの誕生を預言しているとされる。「エッサイの根から一つの芽が萌え出で、その根からひとつの若枝が育ちその上に主の霊がとどまる。」この預言は何もない所から若枝が伸びて、主の霊と一つになり、大きな働きをすることを示している。イエスは何もない貧しい家庭に生まれ。貧しい家庭に育ったが、常に貧しい者の味方になり、大きな働きをされた。自ら貧しさを体験されたゆえに貧しい者らを慈しむことができた。
3.私たちはこの物語をどう読むか
・J.H.チャールズワースは、マタイは「イエスが旧約聖書に見出される預言を成就した方であるが故にメシアである」ことを証しする記事を書いているとする(J.H.チャールズワース『史的イエス』(教文館、2012年)。イエスのベツレヘム生誕はミカ5:1-3の預言成就であり、イエス家族のエジプト逃避はホセア11:1(「まだ幼かったイスラエルを私は愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」)の預言の成就であり、ヘロデによるベツレヘムの幼児虐殺、及びイエス家族のナザレへの帰還は、モーセの幼児期、出エジプトの出来事との類似を描くことによって、イエスを「新しいモーセ」と主張している。福音書がイエスの伝記ではなく、イエスがメシアであることを証しするために書かれた文書であることを知る時、この主張は説得的である。
・マーカス・ボーグは、一部の信仰者たちは「処女降誕」を受け入れる事こそが、正統的信仰であると考えている現実を認める。「あるクリスチャンたちは、それが事実を述べた話、また事実と見るべき話であって、イエスは実際に処女から生まれ、本当に賢人たちがいて特別な星に導かれてベツレヘムに来て、本当に天使たちが夜空で羊飼いたちに向かって歌ったと言い張り、彼らはそれを正統性の証拠と見る」(マーカス・ボーグ『キリスト教のこころ』)。
・しかしボーグは、イエス降誕物語を比喩的に読む時、どのような豊かさが広がるかを知ってほしい」と語る。「比喩的読み方から何が生じるのか・・・『神の霊により身ごもったイエスの物語は、イエスに起きたことが神に関わることであったと主張し』、『夜空を満たす特別の星と主の栄光は、これが私たちの闇を照らす光の物語であることを示し』、『誕生の地を訪れた異邦の賢人たちの物語は、イエスがイスラエルだけでなくすべての民族、ユダヤ人と異邦人、すべての人の光であることを認め』、『最初に誕生を告げられた羊飼いたちの物語は、その良い知らせ、福音が、特に社会から疎外された者たちに向けられていると主張し』、『天使の歌はイエスが主であり救い主であることを宣言し』、『ヘロデ王が男の嬰児虐殺を命じた物語は、モーセの時代にも同じような命令を出したファラオを思い起こさせ・・・今や新しい出エジプトが起きようとしていることを示す』」 。
・マタイが福音書2章に記すことは、彼が受けた伝承であろう。その伝承とは、東方の占星術師がイエスを礼拝するために訪問した、ヘロデ王がそれを聞いて不安になりベツレヘムの幼子たちを虐殺した、危機を告げられたイエスの両親がイエスを連れてエジプトに逃れたという内容だった。現代の私たちは、この伝承が歴史的な出来事であるのかどうかの検証はできないし、そもそも出来事の歴史性を問うことは無意味と考える。何故ならば、マタイは歴史を記述しているのではなく、彼の受けた伝承を信仰の視点から記述している。従って私たちも、信仰の視点からこの物語を聞くべきだと思える。