聖書教育の学び

2019年11月3日聖書教育の学び(ゼカリヤ1,2,3章 祈祷会資料から)

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1. ゼカリヤ1章、ゼカリヤの見た幻

1.1 ゼカリヤ書とはどのような書か

 

・前538年ユダの人々は70年間のバビロン捕囚から故国帰還を許され、帰国した彼らはエルサレム神殿再建工事を始めるが、先住者の妨害や経済的困難で再建は頓挫する。前520年、預言者ハガイが神殿再建のために人々を励まし、工事が始まる。ゼカリヤもほぼ同じ時期に預言を始めた同労者である。ゼカリヤの父イドはゼルバベルや大祭司ヨシュアと共に帰国した第一世代であり、ゼカリヤはハガイの後輩であった。

-ゼカリヤ1:1「ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ」。

・ゼカリヤ書は第一(1-8章)と、第二(9-14章)に別れ、第二は後世アレキサンダー時代の黙示であり、別の時代の預言だ(前4世紀)。イザヤ書と同じく、異なった世代の二つの預言書が同一書として編集されている。第一ゼカリヤの時代背景は概ね次のとおりである(江札宮夫、聖書の呼ぶ声から)。

-BC538キュロスⅡ世第一年、シェシュバツァル帰還(エズラ1・1)、神殿建設失敗(シェシュバツァル処刑)。BC520ダレイオスⅠ世第二年(6月1日ハガイ預言開始、神殿再建の勧め(ハガ1・8)、6月24日作業開始(ハガ1・15)、7月21日ゼルバベルとヨシュアを激励(ハガ2・1)、8月ゼカリヤ召命預言(ゼカリヤ1・1)、9月24日神殿の基礎が置かれる(ハガ2・18)。同日、ゼルバベルが王に指名される(2・23)。11月28日ゼカリヤ八つの幻を見る(ゼカ1・7)。シオンの回復と、ゼルバベルのメシヤ宣言。この後、ゼルバベル失脚)。BC517ダレイオスⅠ世第四年、断食と回復の預言(ゼカリヤ7・1)、BC515ダレイオスⅠ世第六年、第二神殿完成(エズラ8・15)。

・エルサレムに帰還した人々は神殿再建の工事を始めるが、廃墟の中での再開であり、人々の士気は低い。ゼカリヤはその人々に「神に立ち返れ、そうすれば神も帰って下さる」と励ます。

-ゼカリヤ1:2-6「主はあなたたちの先祖に向かって激しく怒られた。あなたは彼らに言いなさい。万軍の主はこう言われる『私に立ち帰れ・・・そうすれば、私もあなたたちのもとに立ち帰る』。あなたたちは先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに、『万軍の主はこう言われる。悪の道と悪い行いを離れて、立ち帰れ』と呼びかけた。しかし、彼らは私に聞き従わず、耳を傾けなかった、と主は言われる。その先祖たちは、今どこにいるか。預言者たちは永遠に生きているだろうか・・・彼らは立ち帰って言った『万軍の主は、私たちの歩んだ道と行った業に従って、私たちを扱おうと思い定められ、そのようにされた』」。

・人々が国を滅ぼされ、バビロニアで70年の苦難の生活を負わされたのは、主の言葉に従わなかった故である。あなた方はその先祖の道を歩んではいけない。あなたたちが悔い改めなければ神殿を再建しても無駄だと。神殿は入れ物に過ぎない。必要なものは中身であるあなた方の信仰と行いである。

-ゼカリヤ8:16-17「『あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき、平和をもたらす裁きをせよ。互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。これらすべてのことを私は憎む』と主は言われる」。

 

1.2 ゼカリヤの見た幻

 

・ゼカリヤは一晩の内に8つの幻を見る。それが1-6章に展開する。その幻はいずれもユダがペルシャの植民地から独立して新しいダビデ王(ゼルバベル)の下で国の再建を図る夢である。概要は次の通りである。

-第一の幻:シオン再建の約束。第二の幻(2・1):ユダを滅亡に導いた4つの角(アッシリヤ、バビロン、エジプト、ペルシャ)と、その敵の打倒が示される。第三の幻(2・5):エルサレムの再建と繁栄、シオンの回復が、神の御業として現れるのを告げられる。第四の幻(3・1):大祭司ヨシュアと主の僕、若枝の登場。第五の幻(4・1):ゼルバベルの定礎と二人のメシヤの預言。第六の幻(5・1):加害者や妨害者(捕囚時、侵入して来たサマリヤ人やエドム人)の排除が語られる。第七の幻(5・5):異教の神々の排除。第八の幻(6・1):青銅の山から4両の戦車が出て来て四方に散り、離散者への解放が伝達される。

・1章には第一の幻が記される。それは人々が気づかない内に、エルサレムが主の警護の中にあるとの幻だ。

-ゼカリヤ1:7-11「ダレイオスの第二年十一月、シェバトの月の二十四日に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ『その夜、私は見た。ひとりの人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。私が“わが主よ、これは何ですか”と尋ねると、ひとりの御使いが私に語りかけ“それが何なのか、教えよう”と言った。すると、ミルトスの林の中に立っている人が答えて“これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ”と言った。彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた“私たちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています”』」。

・かつてエルサレムは神の都として栄えた。しかし、今神殿は廃墟となり、町を護る城壁も破壊された。人々はこの廃墟に神がおられるのか、疑っていた。その人々にゼデキヤは「神は共におられる。共にいて、私たちを見守っておられる。エルサレムは再建される」と伝える。

-ゼカリヤ1:12-17「主の御使いは言った『万軍の主よ、いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています』。私に語りかけた御使いに、主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた・・・『万軍の主はこう言われる。私はエルサレムとシオンに、激しい情熱を傾け、安穏にしている諸国の民に対して激しく怒る。私はわずかに怒っただけだが、彼らはそれに乗じて災いをもたらした・・・私は憐れみをもってエルサレムに帰り、わが家をそこに建て直させると万軍の主はこう言われる。エルサレムには、測り縄が張られる。再び、呼びかけて言え。万軍の主はこう言われる。私の町々は再び恵みで溢れ、主はシオンを再び慰め、エルサレムを再び選ばれる』」。

・私たちには「神の守りの手」は見えない。そのため私たちは「神は何をしておられるのか」と泣事をいう。列王記で預言者エリシャは敵軍に囲まれ、不安に怯える民に、神の軍の姿を幻で示す。

-Ⅱ列王記6:15-17「神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った『ああ、御主人よ、どうすればいいのですか』。するとエリシャは『恐れてはならない。私たちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い』と言って、主に祈り『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た」。

・どのような時も神は共にいて下さる。それが私たちの信仰だ。ヨセル・ラコーバーの言葉はそれを示す。

-2013.11.17説教から「1939年ドイツ軍はポーランドに侵攻し、ワルシャワ市内にいたユダヤ人50万人はユダヤ人居住区(ゲットー)に押し込められ、周囲と隔離された。当初はユダヤ人の隔離と強制労働が中心だったが、やがて民族絶滅に方針が変わり、ゲットーから大勢の住人が絶滅収容所に移送されて行く。「このまま死を待つよりは戦おう」としてゲットーのユダヤ人たちは1943年叛乱を企てるが、ドイツ軍に制圧され、住民は殺される。その中の一人がヨセル・ラコーバーだ。彼の妻と二人の子は戦争初期の空爆で死に、残りの子どもたちは飢餓の為に死に、ヨセルだけが残された。彼は戦火の中で手記を書き、それをガラス瓶の中に入れ、レンガ石の裏に隠した。戦後、その手記が発見され、出版された。その中で彼は書く「神は彼の顔を世界から隠した。彼は私たちを見捨てた。神はもう私たちが信じることができないようなあらゆることを為された。しかし私は神を信じる」(Yosel Rakover,Talks to God,by Zvi Kolitz)。

 

2. ゼカリヤ2章、エルサレム復興の幻)

2.1  ゼカリヤの見た第二の幻

 

・前538年ユダはバビロニア捕囚から解放され、第一陣の人々が帰国するが、再生の象徴である神殿の再建工事は頓挫した。最初の帰国から20年、預言者ハガイが立って神殿再建のために人々を励まし、工事が始まった。ゼカリヤも同じ時期に預言を始めている。そのゼカリヤは一晩の内に八つの幻を見た。第一の幻は人々が気づかない内に、エルサレムが主に護られているとの幻だ。

-ゼカリヤ1:7-11「その夜、私は見た。一人の人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。私が“わが主よ、これは何ですか”と尋ねると・・・ミルトスの林の中に立っている人が答えて“これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ”と言った。彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた“私たちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています”』」。

・次にゼカリヤが見たのは、四本の角と四人の鉄工の幻だった。ゼカリヤが御使いにその意味を尋ねると、イスラエルを苦しめた国々の角が破られるとの幻だった。「主が報復される」、私たちはそれに委ねれば良い(参照ロ-マ12:19-21)。イエスの言われた「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という言葉も同じだ。

-ゼカリヤ2:1-4「私が目を留めて見ると、四本の角があるではないか。私に語りかけた御使いに『これは何ですか』と尋ねると、彼は『それはユダ、イスラエル、エルサレムをちりぢりにした角である』と答えた。更に主は私に四人の鉄工を示された。『彼らは何をするために来るのですか』と尋ねると、『これらの角は、だれも頭を上げる者がないほどに、ユダをちりぢりにしたものである。また、これらの人々は、ユダをちりぢりにするために、ユダの地に角を振り上げ、彼らを震え上がらせた国々の角を切り倒すために来るのだ』と言われた」。

 

2.2  ゼカリヤの見た第三の幻

 

・第三の幻は測り縄を手にした人の幻である。例え、地上は廃墟でも、天ではエルサレム城壁建設の計画が進んでいることを暗示している。古代パレスチナにおいては国の安全は城壁なしには考えられなかった。

-ゼカリヤ2:5-9「私が目を留めて見ると、一人の人が測り縄を手にしているではないか『あなたはどこに行かれるのですか』と尋ねると、彼は私に、『エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです』と答えた。私に語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、彼に言った。『あの若者のもとに走り寄って告げよ。エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる。私自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。私はその中にあって栄光となる』」。

・城壁が完成するまで、主が「町を囲む火の城壁となられる」とゼカリヤは預言した。ルターは「神こそわがやぐら」と歌った。この信仰である。

-新生讃美歌538番「神はわがやぐら、わが強き盾。苦しめる時の、近き助けぞ。おのが力、おのが知恵を、頼みとせる、陰府(よみ)の長(おさ)も、など恐るべき」。

・前538年の帰国令に従って故国に帰った人々はごく一部で、多くはまだバビロニアにいた。帰れない人、帰らない人がいた。国家を再建するには彼らの力が必要だった。ゼカリヤは彼らを帰国させるとの主の預言を聞く。

-ゼカリヤ2:10-13「急いで、北の国から逃れよと主は言われる。天の四方の風のように、かつて、私はお前たちを吹き散らしたと主は言われる。シオンよ、逃げ去れ、バビロンの娘となって住み着いた者よ。栄光によって私を遣わされた、万軍の主が、あなたたちを略奪した国々にこう言われる。あなたたちに触れる者は私の目の瞳に触れる者だ。私は彼らに向かって手を振り上げ、彼らが自分自身の僕に奪われるようにする。こうして、あなたたちは万軍の主が私を遣わされたことを知るようになる」。

・その主の声を聞き、ゼカリヤはエルサレムの民に「喜べ、仲間たちが帰ってくる」と告げる。

-ゼカリヤ2:14-17「娘シオンよ、声をあげて喜べ。私は来て、あなたのただ中に住まう、と主は言われる。その日、多くの国々は主に帰依して、私の民となり、私はあなたのただ中に住まう。こうして、あなたは万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知るようになる。主は聖なる地の領地として、ユダを譲り受け、エルサレムを再び選ばれる。すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる」。

・神殿は前515年に完成した。しかしエルサレム城壁が完成したのはそれから70年後、エズラ・ネヘミヤの時代だった(前445年)。エルサレムは城壁無しで70年間も護られた。それは主が護られたからだとゼカリヤは言う。

-ゼカリヤ2:8-9「エルサレムは人と家畜に溢れ、城壁のない開かれた所となる。私自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。私はその中にあって栄光となる」。

・国を護るのは軍事力と城壁なのだろうか。エルサレムは堅固な城壁があった時代にバビロニアに侵略され、滅んだ(前589年)。また城壁再建後もローマにも滅ぼされた(後70年)。本当に国を護るのは城壁ではない。国民の信仰あるいは信義ではないだろうか。日本国憲法前文は歌う「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。これで良いのではないだろうか。今、日本は現代の城壁である日米安保の強化のために機密保護法案の制定を急いでいるが、本当に必要なことなのだろうか。

-イザヤ37:33-36「主はアッシリアの王についてこう言われる『彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。私はこの都を守り抜いて救う。私自らのために、わが僕ダビデのために』。主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」。

 

3. ゼカリヤ3章、ヨシュアの大祭司任職

3.1 ヨシュアの大祭司職についての反対の動き

 

・バビロニアから帰国した捕囚民たちは、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを中心に、破壊されたエルサレム神殿の再建をすべく、その基礎石を築いたが、先住民たちの介入によって工事は中断した(エズラ4:23-24)。神殿工事が再開されたのは、その18年後であった。

-エズラ記5:1-2「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた」。

・しかし、人々の中には大祭司ヨシュアの正統性について疑問を持つ人々がいた。その内容は不明であるが、工事再建にあたって宗主国ペルシャと妥協したとか、先住民たちと契約を結んだとかの噂があったのかもしれない。いずれにせよ、反対者たちはヨシュア指導下の神殿再建に反対した。ゼカリヤの見た第四の幻はこのヨシュアに関するものである。ヨシュアはサタンの告発を受けて、「汚れた衣」を着て、天の法廷に立たされている。

-ゼカリヤ3:1-3「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンを私に示された。主の御使いはサタンに言った『サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃え差しではないか』。ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた」。

・「火の中から取り出された燃え差し」とは、滅亡から逃れた、あるいは捕囚から逃れたという意味であろうか。捕囚時代か帰国後かに、ヨシュアには大祭司として責められるべき行為があった。それ故、ヨシュアは汚れており、聖なる指導者に相応しくないとの批判があったのであろう。しかしヨシュアなしには神殿再建工事は進まない。そのため、主は彼の罪を赦し、汚れた衣を脱がせ、晴れ着を着るように命じられた。

-ゼカリヤ3:4-5「御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った『彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい』。また、御使いはヨシュアに言った『私はお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい』。また、御使いは言った『この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい』。彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた。主の御使いは立ち続けていた」。

・人は罪を犯さざるを得ない存在であるが、ある人々は罪を犯した者を決して赦そうとしない。4世紀に起きたドナティスト論争もそうである(詳細:参考資料)。キリスト教はローマ帝国で禁止され、迫害され、棄教する者も出たが、その後改心して司教になった者もいた。それに対して過去に棄教した者の行ったサクラメントは無効であると唱える者たちが出て大きな混乱が起きた。他者を許さない人々は自分が神(裁き主)になる。これはイエスが最も嫌われたことである。

-マタイ7:1-5「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」。

 

3.2 ヨシュアの大祭司任職とゼルバベル即位への期待

 

・主はヨシュアを祝福される。改めてヨシュアに対する大祭司職が、他の祭司たちも同席する中で、認証される。

-ゼカリヤ3:6-8「主の御使いはヨシュアに証言して言った『万軍の主はこう言われる。もしあなたが私の道を歩み、私の務めを守るなら、あなたは私の家を治め、私の庭を守る者となる。私はあなたがここで仕える者らの間に歩むことを許す。大祭司ヨシュアよ、あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。あなたたちはしるしとなるべき人々である。私は今や若枝であるわが僕を来させる』」。

・任職の言葉の中に「私は今や若枝であるわが僕を来させる」とある。メシア預言である。具体的にはヨシュアとともに神殿再建に取り組んだ総督ゼルバベルが王となり、王と大祭司の任命によりユダがペルシャの支配から脱して独立国になることをゼカリヤは夢見たと思われる。

-ゼカリヤ4:9-10「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主が私をあなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である」。

・メシア(油注がれた者)とはイスラエルの支配者の意味である。人々はゼルバベルが王となることを望んだ。しかし彼はやがて支配者ペルシャに逆らう者として処刑されていく。人々がイエスに期待したものもイスラエルの王である。しかしイエスはそれを拒否された故に、人々の失望を買い、殺されていく。イエスがローマの死刑法である十字架で殺されたのは、ローマに対する反逆者としてである。

-マルコ15:31-32「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った『他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう』。一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」。

・人々は何故王を求めるのだろうか。競争的な人間社会で勝ち抜くためである。しかし人間の王を求めることは神の支配を拒否することだ。王政は必要悪であることを再認識する必要がある。

-サムエル上8:6-9「裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい』」。

-聖書教育の学び

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