篠崎キリスト教会では、毎週土曜日13時-15時に、聖書の学び会を公開で開催しています。現在10名ほどの方が参加されていますが、そのうち3-4名はネット(zoom)でのご参加です。目的は教会内外の方たちと、聖書をじっくり読み、語り合い、分かち合うことです。
先週、創世記原初史を読み終わり、今週からヨブ記に入ります。ヨブ記のテーマは「苦難の意味」です。世の中には悪人と思える人が栄え、善人とされる人が苦難の中に生涯を終えることがあります。突然の災害や事故で亡くなる方も多い。そのような時、人は叫びます「神はいるのか、いるのであれば何故このようなことを為されるのか」。これまで多くの人が不条理の中で苦しみ、ヨブ記を読んできました。「苦難は罪の結果与えられるのか」、「苦難は人を鍛錬するためにあるのか」、「苦難は意味を見出せない不条理なのか」。ご一緒に学んでいきます。
参加ご希望の方は川口までご連絡ください。テキスト(PDF)とzoomIDを送ります。川口アドレスはmk24@biglobe.ne.jpです。
テキストの一部を公開します。
1.3ヨブ記1章参考資料:苦難の意味
・ヨブ記は、「人生にはなぜ苦難があるのか」を追求した書だ。私たちは誰もが平穏無事な生活を望んでいるが、人生には多くの悲しみや苦しみがあり、平穏な人生が波乱に満ちた労苦の人生になることもある。何故そのような不幸や悲しみが自分に起こるのか、私たちには理解できない。ある人は突然の難病に苦しめられる。別の人は家族を交通事故で失くす。突然、職を解雇されて家族がバラバラにされる人もいる。神がこの世を支配し、私たちを愛しておられるとすれば、何故このような苦難が私たちに起こるのか。「人生には何故苦難があるのか」、人間は昔からこの問いをして来たが、誰も答えを持たない。
・2011年3月に起きた東北大震災もまた人々に大きな苦しみを与えた。2万人の方が亡くなった災害を見て、多くの人が「何故」と問うた。新約聖書をケセン語に訳した医師の山浦玄嗣(はるつぐ)さんは、岩手県大船渡で震災に遭った。その時、テレビ、新聞、雑誌などのインタビューアが彼の処に殺到し、繰り返したずねた「こういう実直で勤勉な立派な人々が何故こんな目に合わなければならないのか。神はこういう人たちを、いったいなぜこんなむごい目に遭わせるのか。あなたは信仰者としてどう思いますか」。山浦さんは語る「わかるわけがない、私は彼らのしつこさに腹が立ってきました」(山浦玄嗣「3.11後を生きる」)。人は因果応報の考え方にとらわれている。「災害に遭ったのは何か罪を犯したからだ」と決めつけ、それが見当たらない時は、「お前たちの信じる神はお前を救えないのか。何のために信心するのか」と問いかける。この意味のわからない、不条理な苦しみが、何故あるのかを追求した書がヨブ記である。