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2018年10月21日説教から

2018-10-21
「私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」(ヨハネ黙示録21:1-2)

この世は悪の世であり、支配者は権力を振るい、逆らう者は殺されていく不条理があります。しかしいつまでも悪の支配は続かない。ヨハネ黙示録は、ローマ皇帝ドミティアヌスの迫害の中で書かれました。皇帝を神として拝むことを強制され、従わない者は捕らえられ、殺されて行きました。著者ヨハネは流刑の島で幻を見ます「私は新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」。「最初の天と最初の地」とは、ローマ皇帝が力で世界を支配し、従わない者を殺している世界です。この古い世界は去って行く。そしてヨハネは「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来た」のを見ます。

エル(神)・サレム(平安)、神の平安の都が、現実の歴史の中では、争いや流血の場となっていました。その流血の町エルサレムが清められ、天から新しいエルサレムが降りて来る様をヨハネは見ています。そのような日が来るとの希望でヨハネ黙示録は閉じられています。皇帝ドミティアヌスはやがて暗殺され、迫害は終りましたが、その後も苦難は続き、人々は黙示録の記すキリスト再臨を待望します。

それから2000年の時が流れ、まだ神の国は来ていません。今、終末とキリストの再臨をどのように考えるべきかが私たちへの課題です。人は苦難に襲われた時、絶望し、祈ります。その祈りの中で、神の御手が延ばされてきて、「神は私たちを捨てていなかった。神は私たちと共におられた」ことを経験します。その時人は、「神は我らの避け所、悩める時の助け手」であると詩編46編を唱和することが出来るのです。

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