すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年3月4日説教から

2018-3-4
「エリヤは言った『恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれで私のために小さいパン菓子を作って、私に持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない』」(列王記上17:13-14)

エリヤの時代、シリヤ地方に飢饉が起こり、サレプタのやもめの家では食糧備蓄が底を尽き、死を覚悟していました。そのやもめに、主はエリヤのためにパンを供せよと命じられます。やもめは、最後の一握りの小麦粉でパンを作り、それを差し出します。すると「壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」という言葉通り、飢饉の間もやもめ一家は養われたという話です。

「すべてを差し出した、後は神に委ねる」とした、そこに神の救いの力が働いたのです。現代でも、このような生き方は可能なのでしょうか。貧しいやもめはレプタ二つしか持っていないから全てを献金できたと思います。レプタ一つ(50円)残してもどうしようもない。仮に彼女が10デナリ(8万円)を持っていたら半分の5デナリを自分のために残したでしょう。持たない故に神に頼り、そこから神の国が見えて来ました。サレプタのやもめも神に頼らざるを得ませんでした。神に頼るしか道がない時、「必要なものは神が与えてくださる」という不思議な経験をし、「これまで養ってくださった神はこれからも養ってくださる」との信仰が生まれ、何者にも代えがたい「神の平安」が与えられていきます。

持つ能力を与えられた人は、「大いに稼ぎ、大いに貯め、大いに捧げる」ことを目指すべきだと思います。他方、持たない人は「神に依り頼む」ことを目指していく。そして共に神を賛美して生きる時、私たちの教会が神の国の一部になって行きます。

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