すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年10月28日説教から

2018-10-28
「女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」(ヨハネ8:11)

イエスのもとに、人々が姦淫の現場で捕えた女を連れてきて、言いました「先生、この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中で命じています」。それに対してイエスは言われました「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、石を投げなさい」。イエスの答えを聞いた者は「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエス一人と、真ん中にいた女が残った」。

イエスは女に言われました。「婦人よ、だれもあなたを罪に定めなかったのか」。女が「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われました「私もあなたを罪に定めない」。この女性はマグダラのマリアではないかと言われています。イエスが十字架にかけられた時、ゴルゴタの丘まで付き従い、イエスが葬られた後は、その墓に行き、復活のイエスに最初に出会った女性です。彼女は、イエスの慈しみと、赦しにより新しく生まれ変わったのです。女を石打ちから守った温かい抱擁力、悔い改めを待つ忍耐、おおらかな罪の赦し、これらは全て主の慈しみ(ヘセド)からくるものです。

神を信じる人とそうでない人は何が違うのでしょうか。共に罪を犯します。キリスト者は罪を犯した時、それを神に指摘され、裁かれ、苦しみます。その苦しみを通して神の憐れみが与えられ、また立ち上がることができます。神を信じることの出来ない人々は犯した罪を隠そうとします。「罪を犯した」と認めることが出来ないため、罪が罪として明らかにされず、裁きが為されません。裁きがないから、償いがなく、償いがないから赦しがなく、赦しがないから平安がない。罪からの救いの第一歩は、罪人に下される神の裁きです。「私は罪を犯した」と悔改めた時、神の祝福が始まることを聖書は伝えます。

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