すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年7月1日説教から

2018-7-1
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル11:1)

アブラハムは約束の地に来て、住民が城砦を構え強大であることを知れば、身の危険を覚えて砂漠のネゲブに隠れます。飢饉でエジプトに下れば、自分の妻を利用して身の安全を図ります。その地でアブラハムは神から問われます「あなたは私に何ということをしたのか」。かつて禁断の木の実を食べたエバに語られ、自分の弟を殺したカインに呼びかけられた言葉です。取り返しのつかない過ちを起こしたことを知らされたアブラハムは、恥ずかしさで下を向きます。彼も私たちと同じ罪人、同じ過ちを犯す人間だったのです。

アブラハムの最初の旅立ちは、神の呼びかけに答えて「行く先を知らずに出かけた」時でした。「冒険者としての旅立ち」です。その彼が、エジプトで罪を犯し、恥ずかしい思いを抱いて約束の地に帰り、そこに祭壇を築き、主の御名を再度呼びました。その時が、「信仰者としての再出発」の時です。

聖書で信仰者と呼ばれる人は、多くの過ちを犯しています。罪を犯して悔い改める、それが信仰です。哲学者の森有正は述べています「人間というものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅を持っております。そこにしか神様にお目にかかる場所は人間にはない」。エジプトのアブラハムは、自分の妻を利用して身の安全を図りますが、そのアブラハムに神は問われます「あなたは私に何ということをしたのか」。アブラハムは「他人には知らせることができない心の一隅」で主に出会ったのです。その時、神はご自身を現して下さり、人は人生の歩みの中に、神の見えざる手が働いていることを知り、感謝します。まさに、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することなのです。私たちも、自分の罪を知り、泣き、悔い改めた時こそが、人生の再出発の時なのです。そのことをアブラハムの生涯は私たちに教えてくれます。

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