すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年9月9日説教から

2018-9-9
「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」(第一ヨハネ3:16)

ヨハネにとっては「愛し合う」とは「相手のために命を捨てる」ことであり、その根拠は「イエスが私たちのために命を捨てて」下さったという贖罪愛にあります。神の子が私たちのために死んでくださった、だから私たちも他者のために死んでいこうと信仰です。人間の愛は常に自己の利益を求めて相手を裏切りますが、神の愛はその裏切り続ける者のために死ぬ愛です。この贖罪愛が私たちをキリスト者にします。

贖罪信仰は理性で理解することが難しい事柄です。だから「それは犠牲の論理だ」との批判が出てきます。「宝島」を書いた作家のロバート・スティーヴンスンは、らい病者たちが収容されたハワイのモロカイ島を訪れます。島では、修道院のシスターたちがらい病者の世話をしていました。島を訪れた彼は歌います「この所には哀れなことが限りなくある。手足は切り落とされ、顔は形がくずれ、さいまれながらも、微笑む、罪のない忍苦の人。それを見て愚か者は神なしと言いたくなろう」。しかし、彼は続けます「もう一度見つめるならば、苦痛の胸からも、うるわしさ湧き来たりて、目に留まるは歎きの浜で看取りする姉妹たち。そして愚か者でも口をつぐみ、神を拝む」。らい病者のために自分の生涯を捧げる人がいます。この人たちこそ、キリストの贖罪死に心動かされた、キリストにある愚者です。

この世は神がいないかのように悪で満ちている社会です。その中で世の力に迎合しよとせず、キリストの苦難と連帯しようとする人々がいます。その人々を通して、「神の愛が全うされる」という言葉が成就します。知性や理性を超えた信仰の力、贖罪愛こそが、証ししていくべきものなのです。

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