すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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今週の招詞(2009年2月8日説教から)

2009-2-8
「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた『私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである』」(マルコ8:34-35)

人々が宗教に求めるものは「救い」、「幸福」です。私の病気を治して欲しい、この苦しみを取り去って欲しいと思うから、教会に来る。しかし教会に来る人々に、イエスは冷や水を浴びせられるような言葉を語られます「自分の命を救いたいと思う者は、それを失う」だろうと。

なぜならば、自己の救いを追及していった先にあるのは自己義認だからです。ペテロはある時言いました「私たちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、私たちは何をいただけるのでしょうか」。命の支配権は私たちではなく神にあります。神の前に義であることが救いであり、それは「自己を捨て他者のために生きる存在になる」ことだとイエスは言われます。

自己実現は自己否定から来る。逆説的なようですが真実です。癒しも同じではないでしょうか。私たちがあくまでも病気からの治癒を求めた時、私たちは失望するかもしれません。なぜならすべての病気が癒されるわけではないからです。癒されない病もあり、癒されないことの中にも神の恵みがあるのです。イエスが与えられたのも「治癒」ではなく「癒し=慰め」でした。教会もまた「ある者は癒され、ある者は癒されなかったが生きる勇気を与えられた」と言われる場所になるように祈っていきましょう。

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