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2009年3月22日説教から

2009-3-22
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(汽茱魯4:9−10)


ヨハネは十字架のイエスの中に、「愛の極限」を見ています。十字架に愛の極限を見た者はもう前のような生き方をすることは出来ません。ヨハネ福音書3章に登場するニコデモも「新しく生まれ変わる」ために、イエスの十字架を仰ぐ必要がありました。

ニコデモは福音書のなかに3回出てきます。最初は福音書3章の、イエスの「新しく生まれる」と言う言葉を理解できない存在です。2回目は最高法院でのニコデモで、イエスを捕らえて殺そうと計画するユダヤ当局に「相手の言い分を聞いてからでなければ、逮捕するのは不当だ」とイエスを弁護します(7章)。しかし、「あなたはイエスの仲間なのか」と問われて黙り込みます。まだ、ニコデモは新しく生まれていません。

しかし、三度目に出てくるニコデモ(19章)は違います。最高法院が死刑を宣告し、十字架にかけられて死んだイエスの遺体の引取りを当局に申し入れ、公然とイエスを埋葬しています。彼にはもう、この世の財産や地位に対する執着はありません。彼は長い道のりを歩いて、やっとイエスの言われたことを理解しました。十字架に上げられたイエスを見て、彼は自我から解放されたのです。

「神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」、このことを知った時、人の人生は変わり始めるのです。

説教

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