すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2017年5月21日説教から

2017-5-21
「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです」(ローマ8:33-34)

キリスト者になることは、イエスが十字架の苦しみを負われたように、私たちも苦しみを担っていくことだとパウロは言います。しかし一人で担うのではないと彼は言います「もし神が私たちの味方であるならば、だれが私たちに敵対できますか」。

彼はそれまでの生涯で、何度も投獄され、鞭打たれ、法廷に引きずり出されています。法廷には告発する者と弁護する者、そして裁きを行う者がいます。「もし裁く者(裁判官)が神であり、神が私たちの味方であるとすれば、何も恐れることはないではないか」と彼は言うのです。パウロの生涯は苦難の連続でした。この世的に見れば、パウロの生涯は苦労ばかり多く、報いは少なかった。しかし、パウロ自身の認識は異なります「私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」。

人が地上の出来事のみに目を奪われている時、彼の信仰は揺らぎます。しかし彼が天上に目を向け、すべては神の支配の中にあることを確認する時、不条理も一時的なものであることに気づきます。彼はやがて死ぬでしょう。しかし神は死を超えて慈しんで下さると信じる故に彼の心は平和です。救いは肉体の死を超えて存在します。信仰とは、この「目に見えないものを望んでいく」ことです。現在の苦難は将来の栄光のためにある、それを知った時、「苦難が苦難のままに祝福になっていく」。それが私たちに与えられた福音なのです。

説教

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