すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2019年7月7日説教から

2019-7-7
「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」(ヘブル12:11-12)

ヨセフは奴隷として売られた時も、無実の罪によって投獄された時も、給仕役が恩を忘れて出獄の機会を失った時も、一言も怨みや不平を言わず、焦りもしませんでした。いつまで逆境が続くのか分からない状態の中で、彼は「主が共にいて下さる」ことを信じ、与えられた境遇の中でなすべき最善を尽くしました。その生き方が彼の道を開いて行きました。

ヨセフがエジプトに奴隷として売られた時は17歳でした。エジプトに売られ、奴隷の身に落とされることによって、彼は初めて神を信じる者になりました。エジプトで投獄されたことは辛い人生の転機でしたが、投獄されなければ、王の給仕役と知り合うこともなく、王の前に出ることもなかった。そこに働く「くしき業を見よ」と創世記記者は語ります。

神の摂理を信じる者にとって、苦難こそが神の祝福の第一歩なのです。まさに「鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」。ヨセフはエジプトの宰相にまで登りましたが、それはやがて来る飢饉と一族受け入れの準備のためでした。私たちが求めるべきは人生の意味です。そして人生に意味を与えてくださる方は、生命の源であり、死を超えた存在である、「神お一人」です。強制収容所での体験を「夜と霧」に書いたフランクルは、「どんな人のどんな人生にも『見えない使命』が与えられている。それを見つけて果たすことによって、初めて人生は全うされる」と語ります。私たちは「生きているのではなく、生かされている」ことを知った時、ヨセフ物語は私たちの問題となります。

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