すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2009年5月17日説教から

2009-5-17
「イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか』。女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」(ヨハネ8:10−11)

イエスは姦淫の罪を犯したとして目の前に連れられてきた婦人に、その罪を問いただすことなく、ただ一言だけ言われました「行きなさい、もう罪を犯さないように」。婦人が悔い改めたから赦しが宣言されたのではなく、赦しが宣言された故に悔い改めが始まります。

弱く罪を犯さざるを得ない私たちを神は赦して下さった、そこに私たちは神の愛(アガペー)を見ます。アガペーの愛とは、赦されたゆえに赦す愛です。「私もあなたを罰しない」、罪あるままで赦された者は、その罪を悔い改め、新しく立ち上がることができます。この赦しが婦人(おそらくはマグダラのマリア)の人生を根底から変え、彼女はイエスの十字架と復活の証人になりました。

また、姦淫の女に対して石を投げようとしていた人々にイエスは言われました「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。その言葉を聞いた人々は、自分たちは「石を投げる資格はない」と悔い改めました。「罪のない人はいない」、石を投げる資格を持っているのは神だけなのです。

もし、私たちが「自分は罪がない、悪いのはあの人だ」と言い続けるならば、私たちはキリストの十字架を知らない者なのです。十字架を知る者は人を赦す愛を知るからです。

説教

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