すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

ようこそ篠崎キリスト教会のホームページへ

2019年6月2日説教から

2019-6-2
「女が『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」(ヨハネ8:11)

ファリサイ派の人々は姦通の現場で捕えた女性を連れて来て、イエスに「どう裁かれますか」と聞いて来た時、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、石を投げなさい」と答えられました。イエスは、「あなたは本当に神の前に無罪だと言えるのか、本当に姦淫の思いを抱いたことはないのか」という問いかけをされたのです。良心を持つ人は誰も、「自分は神の前に罪を犯したことがない」と言うことが出来ません。だから誰も石を投げることが出来ませんでした。

聖書に語る「罪」を英語は、法を犯す罪Crimeと、内なる心で犯す罪Sinと言い分けます。そしてこの内なる罪Sinこそが外に現れ出て、Crimeとなるのです。聖書のいう罪を正しく認識した時、誰も他人を裁けなくなります。イエスは残された女性に言われます「婦人よ、だれもあなたを罪に定めなかったのか」。女性が「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい」。ここに在るのは無条件の赦しではありません。

「私もあなたを罪に定めない」とは、「あなたは罪を犯した。しかしあなたはこの辱めを通して自分の罪を知った。もう十分だ」という意味です。ここに、「人を滅ぼすための裁き」ではなく、「人を生かすための裁き」が為されています。パウロが「互いに重荷を担いなさい」と語る時、人を排除するのではなく、受け入れなさいと勧めています。イエスが一人の女性の人生を買い取られたように、あなたも赦された者として、あなたの出会う相手の人生を買い取りなさいとパウロは語ります。ガラテヤ書には「イエスの愛」と、それに従う「弟子パウロの愛」が息づいています。そこを読み取った時、この聖書の言葉が私たちの生き方を変える言葉になるのです。

説教

新着一覧

証などのビデオ


多言語による主の祈り

再生数:30 コメント0
ペンテコステ礼拝讃美


聖歌隊讃美

再生数:26 コメント0
スピリット・ソング


2019.05.19聖歌隊讃美

再生数:50 コメント0
新生讃美歌390番「地球のどこかで」...


2019.03.10聖歌隊讃美

再生数:213 コメント0
インマヌエル


 
▶証などのビデオ新着一覧 はこちらから