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2018年11月18日説教から

2018-11-18
「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。私は創造する。見よ、私はエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する」(イザヤ65:17-18)

預言者の激しい祈りに応えて啓示された言葉が、今日の招詞です。預言者はどのような絶望の中にあっても希望を持ち続け、その希望を幻として民に提示します。預言者は語ります「私はエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない」。神が共におられる故に、エルサレムは再び繁栄の都となる。そこには泣き声や叫び声は絶え、幼くして死ぬ子どもも、命の日を満たさない老人もいなくなる。

聖書が私たちに告げることは、「いかなる場合でも希望を持ち続けよ。主はそれをかなえてくださる」という約束です。その約束を信じ続けた人がヴィクトール・フランクルです。彼はユダヤ人でしたので、第二次大戦中、ナチスによって、強制収容所に送られます。フランクルは収容所で絶望して自殺を決意した二人の囚人に語りかけました「あなたを必要とする何かがどこかにあり、あなたを必要としている誰かがどこかにいるはずです。そしてその何かや、誰かは、あなたに発見されるのを待っているのです」。フランクルは、非人間的な扱いを受ける収容所の中で、生きる希望を持ち続けました。そして、人々が次々と死んでいく中でも、彼は生き延びました。彼と同じように、希望を持ち続けることを選んだ人たちも、また生き延びることができました。

これがイザヤ書の信仰であり、私たちの信仰でもあります。どのような時にも希望を持ち続けることの出来る信仰こそ宝物なのです。

説教

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