すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年10月7日説教から

2018-10-7
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:3‐5)

イエスの山上の祝福の冒頭の言葉です。詩編1篇は「幸いだ」と言う言葉で始まります。「幸いだ」(ヘブル語アシュレイ)はギリシャ語訳聖書では「マカリオス」と訳されました。この「マカリオス」が、「山上の祝福」の冒頭の言葉です。原文では「幸いだ、貧しい者たち。神の国は彼等のものだ」とあります。「幸いだ、神に逆らう者の計らいに従って歩まない者は」という詩編1:1の構成と同じです。イエスはガリラヤ湖のほとりで、詩編1篇を想起しながら、目の前にいる人々に「あなた方は貧しいゆえに幸いだ」と言われたのです。

イエスの下に集まってきた人々は幸福を求めていました。その人々にイエスは言われます「あなた方は貧しいからこそ幸いだ。あなた方は悲しんでいるから幸いなのだ」。イエスは貧しさや病気は不幸であるという現実を十分に承知したうえで、苦しむ人々に「私の所に来なさい」と呼びかけ、その不幸を幸いに変えようと約束されます。彼は宣教の始めに宣言されます「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれた」。イエスは自らの十字架死を通して、不幸を幸いにする道を開かれました。

水野源三さんは子どもの時に熱病にかかって全身麻痺になり、動くものは唯一その眼球だけでした。彼は目の瞬きで意思を母親に伝え、母がそれを文字にする形で、詩を書きました。彼は歌います「もしも私が苦しまなかったら、神様の愛を知らなかった。多くの人が苦しまなかったら、神様の愛は伝えられなかった。もしも主イエスが苦しまなかったら、神様の愛は現われなかった」。「苦しんだからこそ神様に出会えた、だから私は幸いだ」といえる世界がここにあります。

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