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2017年4月9日説教から

2017-4-9
「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」(第二コリント7:10)

イエスは大声で、ほとんど非難するように、神に叫ばれました。神は見えません。闇が全てを飲み込んでいます。それにもかかわらず、イエスは「わが神、わが神、どうして」と叫ばれました。苦難がなぜ与えられるのか理解できない、神がなぜ沈黙されておられるのか分からない。しかし神はそこにおられ、この叫びを聞いておられる。その確信がイエスに「わが神、わが神」と叫ばせたのです。この叫びは信じる故の叫びであり、極限の中の信仰の叫びなのです。

神はイエスを十字架で見捨てられました。しかし、墓に葬られたイエスを神は起されます。ペテロは証言します「神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」。絶望の中で「わが神、わが神、どうして」と叫んで死んで行かれたイエスを、神は復活させてくださった。そこに私たちの希望の源泉があります。その時、私たちは叫びます「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせる」と。イエスの十字架上での絶叫こそ、神の御心に適った悲しみであり、私たちが本当に聞くべき言葉なのです。

私たちが苦難の中でうめく時、そのうめきが祈りとなります。神を信じる者だけが、神の不在に耐えることができます。世は神なき世界の有様を示しています。この中で私たちは「神の前に、神と共に、神なしに生きる」。イエスは十字架上で絶望しながら、なお「わが神、わが神」と神を呼び続けられた。そこにイエスの信仰があり、神はこの信仰に応えられた。多くの人がそれ故に、十字架のイエスに希望を見出してきました。「わが神、わが神、どうして」、この絶望の中の叫びこそ祝福への道なのです。

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