すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

ようこそ篠崎キリスト教会のホームページへ

2018年6月3日説教から

2018-6-3
「ところで、私たちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」(2コリント4:7)

手紙を書いた時のパウロは、自分の設立したコリント教会に背かれ、孤独の中にあります。コリントの人々は「彼はキリストに直接仕えた直弟子ではないから使徒ではない」とか、「手紙では重々しいが、実際に会ってみると弱々しく、話もつまらない」と批判していました。

パウロ自身も自分が欠けの多い人間であることを承知しています。だから彼は「私を見るのではなく、私が持ち運んでいる福音を見よ」と語ります。それが招詞の言葉です。「私はみすぼらしい土の器かもしれない。あなた方はその私を見て、批判する。しかし、私が土の器だからこそ、神の栄光が現されるのだ。私が金や銀の器であれば、人は私を見てキリストを見ないだろう。だから私は自分が土の器であることを恥じない」と。

当時のパウロは「失敗した伝道者、辞任を迫られた牧師」です。しかしパウロは「途方に暮れても失望しない」。彼は失望から立ち上がる力が与えられた、それが復活のイエスから与えられる力です。コリント教会との信頼関係が崩れているにもかかわらず、パウロはコリント教会の人々を「あなたがたこそ私の推薦書、心の板に書かれたキリストの手紙」と呼びます。コリントの人々は教会の主導権を巡って争い、誘惑に負けて不品行を行っていました。それでも彼らは教会から離れず、パウロから離れず、もがいていました。それは赤裸々な人間の現実の中にあってもなお主から、教会から離れない私たちと同じです。私たちもまた「キリストの手紙」であり、世の人は私たちを見て、「キリストはどなたか」を知るのです。私たちもパウロと同じ「信仰という宝物」を神からいただきました。容器である私たちは、落とせば割れる土の器ですが、いただいているのは宝物なのです。

説教

新着一覧

証などのビデオ


神学校週間 証し

再生数:89 コメント0
伊藤真知子先生


18.05.20証し

再生数:53 コメント0
児童養護施設施設長として


2018.05.20聖歌隊讃美

再生数:43 コメント0
聖歌669番「いつかは知らねど」


2018-04-29証し

再生数:179 コメント0


 
▶証などのビデオ新着一覧 はこちらから