すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年4月8日説教から

2018-4-8
「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」(1コリント1:22-24)

キリストは十字架で殺されました。十字架刑とは残虐な拷問と処刑であり、愚かであり、無意味であり、おぞましいものです。しかし神はイエスをこの十字架につけられた。そのことを通して「神は人間に悔い改めを迫られた」とパウロは語ります。

人間は有史以来戦争を続けてきました。互いに殺し合うことこそが人間の本質であり、気に入らない者は殺す。それを文字通りに提示するのがキリストの十字架です。十字架に直面して、救いは人から来ないことを知り、神の名を呼び求めるようになります。だからこの十字架こそ「神の知恵」、「神の力」になりうるのです。

十字架は救いのしるしではなく、絶望のしるしです。イエスは十字架上で「何故私を棄てられたのか」と叫んで死んで行かれました。しかし神はそのイエスを十字架死から起された。それを知った時、もう「私はパウロに」、「私はアポロに」、という言葉が出るはずがないとパウロは語るのです。教会はこの世にある故に、世の行いが入り込んできます。教会は会員が「自己実現する」、「自分の正しさ」を主張する場ではなく、「神の正しさ」を賛美する場です。神の正しさという視点から見れば、パウロもアポロもただの人にすぎません。パウロは語ります「私は十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」。キリストが私たちのために死んで下さった、それこそが福音だと彼は語るのです。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」、この言葉を今日は覚えたいと思います。

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