すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

ようこそ篠崎キリスト教会のホームページへ

2018年11月25日説教から

2018-11-25
「そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(ヨハネ黙示録21:3-4)

イザヤの時代にはイスラエルはペルシャ帝国の植民地であり、帝国に逆らう者は弾圧されました。ヨハネ黙示録の時代も、ローマ皇帝からの迫害の中で多くの人々が殉教していった時代です。しかし先見者が幻を見ることによって、現実社会も動いていきます。キング牧師の「私には夢がある」という演説はその典型です。

1963年に彼は語りました「今日の、そして明日の困難に直面してはいても、私にはなお夢がある。将来、この国が立ち上がり、『すべての人間は平等である』というこの国の信条を真実にする日が来るという夢が。私には夢がある・・・将来いつか、幼い黒人の子どもたちが幼い白人の子どもたちと手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が」。これは信仰の言葉です。神が行為される故に私たちも行為していく時、幻が現実化します。キングが夢見たように50年後のアメリカでは、黒人と白人の敵意の壁が低くされ、黒人であるバラク・オバマが大統領に選ばれています。

幻、あるいは黙示とはどのような状況の中にあっても希望を失わない、神に呼び求める行為なのです。そして神はそれを聞き届けると約束されます。創世記の初めには、「地は闇に覆われていたが、神が光あれと言われると光があった」とあります。私たちはともすれば現実の中で可能性を見つけようとし、見つからない時、もう駄目だと思います。しかしどのような闇に覆われていても、神が「光あれ」と言われるとそこに光が生じる。その神に望みを託して生きるのが私たち信仰者です。

説教

新着一覧

証などのビデオ