すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

ようこそ篠崎キリスト教会のホームページへ

2017年6月11日説教から

2017-6-11
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか」(マタイ 5:46-48)

イエスの言葉をローマ13章の文脈の中で読めば、「ローマ皇帝がどのような悪逆な人であっても、彼を愛し、彼のために祈り、彼を隣人にしなさい」とパウロは語っています。私たちは、隣人とは自分を愛してくれる人、自分の兄弟姉妹だと思っています。しかし、聖書が教えるのは、隣人とは自分を憎む人、自分に危害を加える人です。

「そういう人とは隣人になれない」と私たちは抵抗しますが、イエスはその私たちに問われます「あなたの信仰はどこにあるのだ」。私たちの周りには、私たちの悪口を言う人、言われなき攻撃をする人が必ずいます。私たちはその人たちが嫌いです。しかし、その嫌いな人にためにキリストは死なれた。その嫌いな人を愛することが神を愛することだと告げられます。「イエスが罪にあるあなたのために死んでくれたから、あなたは新しい命をもらったではないか。それなのに何故嫌いな人のために死ねないのか。パウロはあのネロをさえ隣人として愛せと書いたではないか」。

隣人が私たちに悪を働いても報復するな、裁くのは神であって私たちではない。私たちがするべきは自分を憎む者のために祈ることです。その祈りを通して、その人は隣人になっていく。「神の力を信じ通せ、殺されても信じ通せ」、そう命じられています。聖書の教える生き方は理性的に納得できるものではありません。それは「信仰を持って従え」と語られます。信仰ゆえに迫害された時、パウロは「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いるな。祝福を祈れ」と教えました。こういう生き方に私たちは招かれています。

説教

新着一覧

証などのビデオ


17-06-18cnoncert後半

再生数:34 コメント0


17-06-18concert前半

再生数:45 コメント0


2017-06-11 証し 神学校に学ん...

再生数:27 コメント0


2017年6月11日聖歌隊讃美...

再生数:22 コメント0
祈れないあなたのために


 
▶証などのビデオ新着一覧 はこちらから