すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2019年1月6日説教から

2019-1-6
「そこで、王は答える『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』」(マタイ25:40)

最後の審判についてイエスが述べられた言葉です。「お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた」。そしてイエスは言われます「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのだ」。

洗礼者ヨハネは人々に教えました「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ」、「規定以上のものは取り立てるな」、「金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな」。ヨハネの語る「悔い改めにふさわしい実」とは、自分の置かれた場で神の御心にかなう生き方をすることでした。それをマタイの文脈で言い直せば「飢えている人に食べさせ、のどが渇いている人に飲ませ、旅をしている人に宿を貸し、裸の人に着せ、病気の人を見舞い、牢にいる人を訪ねる」行為です。生活の中での愛の実践です。今まで隣人の欠乏を苦にもしなかった私たちが、隣人の困窮に気付き、一つのパンを二つに分けて片方を相手に差し出す。この隣人愛の実践が社会を変えていきました。

ロドニー・スターク「キリスト教とローマ帝国」によれば、ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、死者は数百万人にも上り、人々は感染を恐れて避難しましたが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬した。この「食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせたとスタークは考えています。彼は最後に述べます「キリスト教が改宗者に与えたのは人間性だった」と。この生活の中での愛の実践、それこそがイエス・キリストに従う者にとってのふさわしい行為なのです。

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