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2019年5月12日説教から

2019-5-12
「あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです」(ローマ2:25)

割礼はイスラエルが約束の民とされた祝福の儀式です。肉を切り取るという痛みを通して神の民になる犠牲を受ける象徴であり、律法の民となるしるしでした。最初に与えられた律法は、十戒で、中核は安息日規定でした。民はエジプトでは土曜日も日曜日も酷使された、その彼らに「週一日は休みなさい」として安息日が与えられました。しかし、時代が経つに従い、「安息日には仕事をしてはいけない」、「安息日に仕事をする者は罰する」と規定が強化されます。律法の祝福が呪いになる、そこに律法主義の問題が生じるのです。

これは旧約時代だけの話ではありません。日本のキリスト教は禁酒・禁煙の伝統があり、ある人が洗礼を契機にお酒をやめました。自分がお酒を止めた人は、他の人がお酒を飲むことを許せなくなります「あなたはクリスチャンなのにお酒を飲むのですか」、やがて「あなたがクリスチャンであればお酒をやめなければいけない」と言い出します。この時、彼の信仰は律法主義に、人を呪うものに変わっていきます。

パウロは本来の律法とは「隣人を自分のように愛することだ」と言います。人はキリストに出会い、自由にさせられることを通して、自分の中にある「肉の欲」が、「霊の愛」に変えられていく。「私は飲まない、しかしあなたは飲んで楽しみなさい」。これが律法から解放されたキリスト者のあり方です。礼拝さえも律法化します。礼拝は恵みの時です。だから私たちは礼拝を大事にします。しかし大事にした時、礼拝を休む人のことが気になり、やがて「礼拝を守らない人は救われない」と言い出しかねません。その時、福音が律法化します。礼拝に来ない人を呪うのではなく、「礼拝に来ることの出来ない人のために祈り続けていく」、それが福音に生かされた者のあり方です。

説教

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