すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2017年10月8日説教から

2017-10-8
「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ15:34)

ヨブ記の言葉「私は知る、私を贖う者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる」は、もともとの意味を超えて、人々に読まれてきました。「仮に自分が無念のままに、汚辱の中で死のうとも、神はそれを知り、いつの日か憐れんで下さる」という希望を人々はこの言葉に見ました。それはイエスの十字架の叫びとも重なります。人は死ねば「塵に帰る」、虚しい存在ですが、今神により生かされている。今生かされているという事実が、死後も生かされるであろうとの希望を持つことを許します。

ヘンデル「メサイア」の第3部第40曲はヨブ記19:25-26の言葉「私は知る、私を贖う者は生きておられる。またこの肉体が蝕まれようとも、私はこの身をもって神を仰ぎ見るであろう」から採られています。それに続く言葉は第一コリント15:20です「何故ならば、キリストは実際に死者の中から復活し、眠りについている人たちの初穂となられたからだ」。ヘンデルは、復活の希望の中に、不条理の克服を見ています。

花の詩画集を書いておられる星野富弘さんは、事故で首の骨が折れて全身不随になり、口に絵筆をくわえて花を描き、詩を書かれます。彼は歌います「私の首のように、茎が簡単に折れてしまった。しかし、菜の花はそこから芽を出し、花を咲かせた。私もこの花と同じ水を飲んでいる。同じ光を受けている。強い茎になろう」。キリストの復活を信じる時、私たちはどのような状況に置かれても、「私は知る、私を贖う者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる」と言えます。そして、この信仰がある限り、折れた茎から新しい芽が生まれるのです。これが福音に基づく希望です。

説教

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