すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2018年2月11日説教から

2018-2-11
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいている私たちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマ8:22-23)

パウロの語る「うめく」という言葉も、マルコ7章と同じ「ステナゾー」です。パウロは「被造物がすべて、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」と言います。この世にはあまりにも悲しいこと、不条理なことが多く、その中でどうしてよいかわからない時、うめくしかないです。しかしその「うめき」から何かが生まれます。

パウロは語ります「私たちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」。マルコ7章では、近隣の人たちが、「耳が聞こえず舌の回らない人」の課題を三人称、自分には関係のない問題とはとらえずに、二人称、自分の家族の問題と同じようにとらえ、その人をイエスの元に連れて来ました。その信仰がイエスに「共にうめく」ことを可能にさせ、この人の癒しを導きました。それを可能にしたのは、村人の働きでした。

「三人称の出来事を二人称化する」、それこそイエスが私たちに求められていることです。隣人と共に生きるとは、ある時には相手の重荷を担う生き方になります。しかし素晴らしい生き方です。何故ならそのことを通して神の栄光を見る、神と出会うのですから。私たちが「エファタ」と言っても耳の悪い人の耳を開けることは出来ないでしょう。しかし、私たちは「聖なる方との出会い」体験を通して、それが出来る方がおられることを知ります。私たちには出来ないことでも神には出来る、その信仰を持って、私たちは人々を教会に招き、イエスとの出会いを祈るのです。

説教

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