江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年6月2日祈祷会、マタイ11:20-30「悔い改めない町を叱る」

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1.悔い改めない町を叱る

 

・イエスはガリラヤ湖周辺の町々を訪れ、数多くの癒しと宣教の業を行い、民衆はイエスを歓迎した。しかし、民衆は癒されてしまえばやがて忘れ、宣教の業に感動しても一時的であった。イエスは人々の不信仰を批判される。ガリラヤ湖北西の町コラジン、ガリラヤ湖北東の町ベトサイダ(弟子のペトロ、アンデレ、フィリポの出身地であった)、ガリラヤ湖北西岸の町カファルナウム(イエスの宣教活動の拠点であった)、これらの町々の人々はイエスの声を聴き、奇跡の業の数々を眼にしながら、悔い改めなかった。

-マタイ11:20-22「それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。『コラジンお前は不幸だ。ベトサイダお前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちより軽い罰で済む』」。

・この個所はルカにも並行していることより、共通の資料(Q=語録資料)から来ているとされる。イエスの言葉というよりも、ガリラヤで思うような伝道の成果をあげられなかった初代教会の嘆きがここに反映していると読む人もいる。

-ルカ10:13-15「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ」。

・イエスはガリラヤの町々の不信仰に比べると、「ツロとシドンの方が罪は軽い」と言い切られる。ツロはフェニキア人の町として繁栄したが、繁栄の裏には、腐敗と堕落、偶像崇拝の蔓延があった。シドンもツロに匹敵する悪徳の町として指摘されている。ツロとシドンの町の住民はイエスを知らなかったが、ガリラヤの町々はイエスと出会ったのに、悔い改めなかった。イエスは彼らに「裁きの日は近い」と語られる。

-第二コリント5:10「私たちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」。

・イエスはコラジン、ベトサイダに続き、カファルナウムの不信仰を指摘される。カファルナウムは、地中海とダマスコを結ぶ通商貿易の中継点として栄え、イエスの伝道の拠点も置かれていた。しかしその町でさえ、イエスの前に悔い改めようとはしなかった。「その罪はソドムよりも重い」と言われる。英語では同性愛をソドミーと呼ぶ。旧約聖書・創世記19:4-11の出来事から、同性愛等、性の乱れは「ソドムの罪」と呼ばれた。

-マタイ11:23-24「お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである」。

・イエスはカファルナウムを告発し、「滅ぶこともやむを得ない」と言われたのだろうか。そうとは思えない。イエスは人々の悔い改めを待ち、そのために力を尽くそうと言われている。滅びは裁きではなく、再生のためのものだ。罪を犯したイスラエルを罰せられた神は、やがて彼らの帰還を許される。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」、刈入れの喜びのためには悔い改めの涙が必要なのだ。

-詩篇126:1-6「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、私たちは夢を見ている人のようになった。その時には、私たちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう・・・主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、私たちの捕われ人を連れ帰って下さい。涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」。

 

2.私のもとに来なさい

 

・イエスの厳しい批判は終わり、11章25節からイエスの祈りが始まる。イエスの祈りは、御国の恵みを受けた幼子の祈りであり、父なる神と自らの関係に立ち戻り、改めて「天地の主である父よ」と呼びかける。イエスはここで、「すべてのことは私に任されています」と自らの使命を再確認される。

-マタイ11:25-27「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や、賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです。父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません』」。

・祈りの後半では、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」と人々を招かれている。イエスは、律法学者やファリサイ人を、「背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすため、指一本貸そうとしない」(マタイ23:4)と批判される。彼らの宗教は戒律と規定ずくめで、人々は疲れるだけであった。それに対してイエスは、「私のもとに来れば休ませてあげよう。私の軛は負いやすい」と、弟子たちを招いておられる。

-マタイ11:28-30「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。』」

・軛は牛や馬の肩にかけて車を引かせるための棒であり、軛を負うことは信従を意味する。人生の現実は不条理に満ちており、人は不条理に負けて、挫折する。しかし、そのどうにもならない不条理の現実の中で、イエスを信じてすべてを任せ、身を投じていくことで救いが与えられる。

-ヨハネ6:66-69「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた。『主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています』」。

 

3.イエスの言葉「だれでも私のもとに来なさい」を人々はどう聞いたのか

 

・「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」という言葉を刻んだ建物が、ニューヨーク港の入り口に建てられている「自由の女神像」の台座にはエマ・ラザラスの14行詩が刻まれている。

-エマ・ラザラスの詩「疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ・・身を寄せ合う哀れな人たちよ。住む家なく、嵐にもまれし者を我に送りたまえ。我は、黄金の扉にて灯を揚げん」。

・アメリカはピルグリム(巡礼者)と呼ばれた開拓者の理想をもって建国され、各国からの移民を受け入れ、「疲れし者、貧しき者は私たちの国に来なさい」というイエスの言葉を、彼らが到着する港の入り口に掲げた。アメリカ国内に様々な人種差別があり、移民排斥運動があるのも事実であるが、彼らは毎年数百万人を超える移民や難民を受け入れており、それが社会を活性化している。カトリック司祭英(はなふさ)隆一郎氏は、日本の置かれた閉塞感を語る。

-英隆一郎「黙示録から現代を読み解く」から「現代日本社会においては絶えず勝ち続けなければならない。子どもたちは偏差値で評価され、高校は東大に何人入ったかで評価される。企業は絶えず売り上げを伸ばし、株価を上げることが至上命令である。大企業も業績が悪化してしまうともう身売りをせざるを得ない。勝ち組は少数で、膨大な負け組を生み出し続けている。街からは競争に敗れた個人商店や小売業は見かけなくなった。雇用も増えているのは非正規雇用者のみである。このような競争レースから降りることの方が人間的な生き方に戻る道ではないか」。

・内向きに自分たちのことばかりを考えている社会は閉塞的になる。「疲れた者、重荷を負う者は来なさい」として他者に門戸を開くことで、日本のゆがんだ社会を変えることができる。松浦悟郎日本カトリック難民移住移動者委員長は「難民問題は教会の宣教課題だ」と語る。

-「2017 年度、日本には 195 カ国出身の 256 万人の外国人が滞在し、難民申請者は 19,628 人に膨れ上がった。しかし日本政府による難民認定者は年間 10 数名と変わっていない。日本政府は、海外から単純労働者を受入れるが、必要な労働力を一時的に確保するためだけの策である。委員会が取り組んでいる課題の一つは、「技能実習生」や「研修生」という名目での人身取引である。日本に来る技能実習生は、中国人からベトナム人にシフトしてきた。日本のカトリック教会で働いている約 30 名のベトナム人司祭と約 200名のベトナム人シスターの力を結集して、日本各地で劣悪な環境で働かされているベトナム人技能実習生たちと関わり、彼らが抱えている諸問題に寄り添い、解決の糸口を探そうとしている」。

「もう一つの課題は、ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)への対応である。日本人 とフィリピン人の間に生まれた JFC は、両国に約 20 万人いると推定されている。日本人の父親が子どもを認知すれば、両親が結婚していなくても子どもは日本国籍が取得でき、その子どもの国籍取得手続きをするためなら母親も養育者として来日し就労できる。NGO や弁護士の方々のネットワークに支えられて、助けを求めて教会にやって来る彼らに何とか寄り添おうと努力している」。

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