江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年6月24日祈祷会(ヨハネ黙示録2章、七つの教会への手紙Ⅰ)

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1.エペソ教会への手紙(労苦と忍耐への慰めと悔い改めの勧め)

 

・ローマ皇帝ドミティアヌスの時代、キリスト教会は皇帝礼拝を拒否した故に、迫害された。ヨハネは流刑地で幻を示され、アジア州の七つの教会宛に手紙を書いた。七つの教会はいずれもヨハネ共同体の牧会する教会であったと思われる。最初の手紙はエフェソ教会宛てのものである。エフェソはアジア州の中核都市で、そこにはローマ総督府があり、異教のアルテミス大神殿があった。またかつてパウロがそこに伝道拠点を置き、使徒ヨハネもエルサレム滅亡後、エフェソでヨハネ共同体を組織したとされる。

-ヨハネ黙示録2:1「エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる』」。

・エフェソはローマ総督府のおひざ元であり、迫害は厳しかったと思われる。また外部からの迫害と共に、内部からの異端の混乱の中にあった。迫害時には教会は内部から分裂しやすい。

-黙示録2:2-3「私は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、私の名のために我慢し、疲れ果てることがなかった」。

・その異端は、ニコライ派と呼ばれている。おそらくは迫害の中での妥協=皇帝礼拝をしても信仰は汚されないとの考えが教会に広がり始めていたのであろう。

-黙示録2:6「あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。私もそれを憎んでいる」。

・しかし、内部の敵との論争がエフェソ教会を最初の愛から離してしまった。信仰の真偽を見分けようとする熱意が、度を越し、宗教裁判的になっていたのであろう。教会内で論争が起これば、互いに批判的になり、愛し合うことを忘れる。他者を批判し始める時、私たちはキリストの愛から離れてしまう。「愛なしにはキリスト者はキリスト者たりえず、愛なしには教会は教会たりえない」。

-黙示録2:4-5「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、私はあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」。

・この迫害に耐え、教会分裂を乗り越えれば、命の木の実(永遠の命)を食べさせようと約束される。

-黙示録2:7「耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」。

 

2.スミルナ教会への手紙(死に至るまで忠実であれ)

 

・スミルナはエフェソの北50キロの海岸の町である。高台には美しい神殿があり、エルサレム陥落後、多くのユダヤ人たちが移住してきた。スミルナ教会への手紙には、イエスが、「最初にして最後の者、一度死んだがまた生きた者」と表現される。

-黙示録2:8「スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる』」。

・スミルナ教会は「苦難と貧しさの中にあって信仰を堅持していた」、その教会にイエスは「私はあなたの苦難や貧しさを知っている」と語られる。教会へは、ローマからだけでなく、ユダヤ人共同体からの迫害もあったようだ。

-黙示録2:9「私はあなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当は、あなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、私は知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである」。

・しかし、「恐れるな」、「死に至るまで忠実であれ」と命じられている。

―黙示録2:10「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」。

・迫害で殉教するものもあろう。しかし、「体を殺しても魂を殺すことの出来ない者を恐れるな」と言われる(マタイ10:28)。肉体の死(第一の死)ではなく魂の死(第二の死)こそ恐れるべきではないか。

―黙示録2:11「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」

 

3.ペルガモン教会への手紙(忠実な証人たれ)

 

・ペルガモン教会へは、イエスは、「鋭い両刃の剣を持つ者」として表現されている。

-黙示録2:12「ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる』。

・ペルガモンにはローマ皇帝アウグストスを祭る神殿(サタンの王座)があり、皇帝礼拝の発祥の地だった(日本でいえば伊勢神宮を擁する伊勢市となろうか)。権力者が神格化されれば、従わない者への迫害が生まれる。手紙では既に殉教者が出ており、組織的な迫害は始まっていないが、危険は迫っている。

-黙示録2:13「私は、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたは私の名をしっかり守って、私の忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、私に対する信仰を捨てなかった」。

・迫害が厳しくなると、棄教するものが出てくる。バラムの教え=世に従おうとして皇帝像を拝む者も出てくる。ニコライ派も同じく妥協主義者を指すのであろう。戦時中の日本の教会は天皇を神として拝み、神社参拝を認めて迫害をかわそうとした。

-黙示録2:14-15「あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる」。

・他方、韓国の教会は神社参拝を拒否し、多くの殉教者を出した。それが今日の韓国教会の隆盛と日本教会の衰退の原因の一つだと言われている。

-黙示録2:16-17「だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、私の口の剣でその者どもと戦おう。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名(イエスの名)が記されている」。

 

  1. ティアティラ教会への手紙(人の思いを見通す方からの手紙)

 

・ティアティラは織物と染色の盛んな地であり、使徒16:14に出てくる紫布商人リディアもこの町の出身である。教会には鎧を着るキリストの姿が伝達されている。

-黙示録2:18「ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる』」。

・ティアティラ教会も迫害の中で、教会が揺れていた。最後まで信仰を守り続けよと励まされている。カリスマ性を持つ偽預言者イゼベルに信仰する者が多かったようだ。

-黙示録2:19-20「私は、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、私の僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている」。

・イゼベルの教えに追従して、偶像礼拝を犯した者は罰すると書かれている。

-黙示録2:21-23「私は悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。見よ、私はこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、私が人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。私は、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう」。

・迫害はやがて終わる。私があなたのところに行き、全てを裁く。だからしばらく待てと言われる。

-黙示録2:24-29「私はあなた方に別の重荷を負わせない。ただ、私が行く時まで、今持っているものを固く守れ。勝利を得る者に、私の業を終わりまで守り続ける者に、私は諸国の民の上に立つ権威を授けよう。彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕くように。同じように、私も父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、私も明けの明星を与える。耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい」。

・地上の教会は完全ではない。世に倣って迫害を逃れようとする人もいるし、死まで従う者もいる。しかし私たちの信じる神は、私たちが弱さに負けて、「踏み絵」を踏んだ時も、その足の痛さを知る方である。この神に信頼していけばよいのではないか。

-遠藤周作「沈黙」から「司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた・・・自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、“踏むがいい”と銅板のあの人は司祭にむかって言った。“踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ”。こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた」。

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