1.滅びるべくして滅びたエルサレム
・エレミヤ34-36章は王国末期のエホヤキム、ゼデキヤ両王についての記述である。彼らは預言者の勧告に耳を傾けず、ついには王国を滅ぼしていく。その王たちとエレミヤの交渉過程が回想録的にエレミヤ物語の中に挿入される構造である。その中で、34章はゼデキヤの記述である。彼はバビロニア軍に降伏せよとのエレミヤの勧告を拒否する。
-エレミヤ34:1-5「主からエレミヤに臨んだ言葉。ときに、バビロンの王ネブカドレツァルとその軍隊、および支配下にある領土の全王国、全民族が、エルサレムとその周辺の町々を攻撃していた。『イスラエルの神、主はこう言われる。行って、ユダの王ゼデキヤに言え。主はこう言われる。私は、この都をバビロンの王の手に渡す。王はこれに火を放つと、彼に言うのだ。あなたは、彼の手から逃れることはできない。必ず捕らえられてその手に渡される。あなたはバビロンの王の前に引き出され、直接尋問され、バビロンへ連れて行かれる。しかし、ユダの王ゼデキヤよ、主の言葉を聞くがよい。主はあなたについてこう言われる。あなたは剣にかかって死ぬことはない。あなたは平和のうちに死ぬ。人々は、あなたの先祖である歴代の王の葬儀に際して香をたいたように、あなたのために香をたき、ああ、王様と言って嘆くであろう。このことを私は約束する、と主は言われる』」。
・ゼデキヤは国内の強硬派に引きずられ、エジプトの支援を頼みにして降伏を拒否する。ユダ王国の諸都市はすでに陥落し、エルサレムと近郊のラキシュ、アゼカだけが残されていた。
−エレミヤ34:6-7「預言者エレミヤはエルサレムで、この言葉どおりにユダの王ゼデキヤに告げた。このとき、バビロンの王の軍隊は、エルサレムと、ユダの残っていた町々、すなわちラキシュとアゼカを攻撃していた。ユダの町々の中で、これらの城壁を持った町だけがまだ残っていたのである」(ラキシュからエルサレム陥落当時の戦況を伝えるラキシュ書簡が発見されている)。
・前588年ゼデキヤは突然奴隷解放を宣言する。律法(申命記15:2)では7年目ごとの解放が定められていたが、これまで実行されたことがなかった。バビロニア軍が包囲する中、ゼデキヤは、神の好意を得て、戦いを優位に進ませたいとして行ったらしい。また軍を奴隷によって補強する狙いもあったであろう。
−エレミヤ34:8-10「ゼデキヤ王が、エルサレムにいる民と契約を結んで奴隷の解放を宣言した後に、主からエレミヤに臨んだ言葉。その契約は、ヘブライ人の男女の奴隷を自由の身として去らせ、また何人であれ同胞であるユダの人を奴隷とはしないことを定めたものである。この契約に加わった貴族と民は、それぞれ男女の奴隷を自由の身として去らせ、再び奴隷とはしないという定めに従って去らせた」。
2.奴隷を解放し、すぐに取りやめる浅はかさ
・その時、救援のエジプト軍がエルサレムに近付き、バビロニア軍は包囲を解いた。するとゼデキヤは先の奴隷解放を取り消した。神の恵みが臨み、事態が好転したから、もう必要はないと判断した。あまりにも浅はかな行為だった。
−エレミヤ34:11-17「しかしその後、彼らは態度を変え、いったん自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分とした。そのとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。『イスラエルの神、主はこう言われる。私は、奴隷の家エジプトの国からあなたたちの先祖を導き出した日に、彼らと契約を結んで命じた。だれでも、同胞であるヘブライ人が身を売って六年間、あなたのために働いたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない、と。ところが、お前たちの先祖は私に聞き従わず、耳を傾けようとしなかった。しかし今日、お前たちは心を入れ替えて、私の正しいと思うことを行った。お前たちは皆、隣人に解放を宣言し、私の名で呼ばれる神殿において、私の前に契約を結んだ。ところがお前たちは、またもや、態度を変えて私の名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。それゆえ、主はこう言われる。お前たちが、同胞、隣人に解放を宣言せよという私の命令に従わなかったので、私はお前たちに解放を宣言する、と主は言われる。それは剣、疫病、飢饉に渡す解放である。私は、お前たちを世界のすべての国々の嫌悪の的とする』」。
・ゼデキヤの行為はあまりにも目先的であり、愚かであった。人々は神殿で神と奴隷解放の契約を結んだのに、それを直ちに撤回する。彼らは契約の意味を理解していなかった。イスラエルの契約は、主に捧げられた犠牲獣を裂いて相対させ、その裂かれた獣の間を人が通り、契約を破棄した場合はこのようにされてもかまわないと誓うものであった。その命をかけた誓いを果たせと主は迫られる。
−エレミヤ34:18-20「私の契約を破り、私の前で自ら結んだ契約の言葉を履行しない者を、彼らが契約に際して真っ二つに切り裂き、その間を通ったあの子牛のようにする。ユダとエルサレムの貴族、役人、祭司、および国の民のすべてが二つに切り裂いた子牛の間を通った。私は、彼らを敵の手に渡し、命を奪おうとする者の手に渡す。彼らの死体は、空の鳥と地の獣の餌食になる」。
・バビロニア軍は一時撤退したが、やがてまたエルサレムを包囲する。都は徹底的に破壊され、廃墟となる。もし奴隷解放を実現し、神の前に悔い改めたならば、バビロン軍の占領はあってもエルサレムの破壊はなかった。ゼデキヤは神を見ず、エジプトとバビロニアの軍隊のみを見ていた。彼には志がなかった、そこに彼の愚かさがある。
−エレミヤ34:21-22「ユダの王ゼデキヤと貴族たちを敵の手に、命を奪おうとする者の手に、すなわち一時撤退したバビロンの王の軍隊の手に渡す。私は命令を下す、と主は言われる。私は、彼らをこの都に呼び戻す。彼らはこの都を攻撃し、占領して火を放つであろう。私は、ユダの町々を、住む者のない廃虚とする」。