江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年7月11日説教(ヤコブ2:1-17、行いのない信仰を捨てよ)

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1.世の価値観を教会に持ち込む人々への戒め

 

・7月はヤコブ書を読んでおり、今日は第2章です。ヤコブ2章には、「世の価値観を教会に持ち込む人々」への戒めが語られています。当時、集会で富める者は丁重に扱われ、貧しい人は軽視されるという現実がありました。ヤコブは記します「私の兄弟たち、栄光に満ちた、私たちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」(2:1)。ヤコブは具体例を引いて諭します「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、私の足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」(2:2-4)。仮に私たちの教会の礼拝中にホームレスの方が汚い服装で入って来たら、私たちは眉をひそめるでしょう。ヤコブの指摘は当たっています。私たちは世の価値観をそのまま教会内に持ち込んでいます。「それがキリスト者としてふさわしい行為なのか」とヤコブは問いかけます。

・ヤコブは語ります「私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた」(2:5-6a)。ヤコブは主イエスの山上の説教を想起しています。イエスは語られました「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる・・・しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている」(ルカ6:20-24)。「貧しい者こそ約束された神の国を受け継ぐ人であると主は言われたではないか」とヤコブは語ります。他方、「富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか」(2:6b-7)。それなのになぜ金持ちを優遇し、貧しい人を辱めるのか。

・イエスはルカ16章「金持ちとラザロ」の譬えの中でも、金持ちに対して語られています「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、貧しいラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ」(ルカ16:25)。「神は貧しい者の味方である」という考え方が聖書の一貫した教えです。ヤコブは続けます「もしあなたがたが、聖書に従って、『隣人を自分のように愛しなさい』という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます」。(2:8-9)。「隣人を自分のように愛しなさい」という教えこそ、「最も尊い律法」だとヤコブは語ります。パウロもこの教えこそ律法の中核だと語ります「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされる」(ガラテヤ5:14)。

・ヤコブは追い打ちをかけるように語ります「自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです」(2:12-13)。パウロも語ります「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(ローマ13:10)。「愛は隣人に悪を行わないのに、なぜあなたは教会の中で貧しい人を辱めるのか、あなたの信仰はどこにあるのか」とヤコブは問いかけるのです。

 

2.行いのない信仰は死んだ信仰だ

 

・ヤコブは「御言葉を行う人になりなさい・・・聞くだけで終わる者になってはいけません」と私たちに命じました(1:22)。彼は語ります「私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか」(2:14)。彼は迫ります「もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている時、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(2:15-17)。

・人は反論するでしょう「行為が人を救うのではなく、人を救うのは信仰だ」。ヤコブは答えます「よろしい、あなたの信仰を見せてみなさい」。相手は見せられない、形がないからです。ヤコブは語ります「行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、私は行いによって、自分の信仰を見せましょう。あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか」(2:18-20)。

・そして彼は結論を語ります「人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません」(2:24)。パウロは「人は行いではなく、信仰によって義とされる」(ローマ4:24)と語ります。ヤコブの考え方はパウロと異なるのでしょうか。しかしヤコブも「行いが人を救いに導く」と語るのではありません。救われた者はどのように生活すべきかをヤコブはここで述べており、だから「行いの伴わない信仰は死んでいる」と語るのです。

 

3.行いの実践例を見る

 

・今日の招詞にマタイ25:40を選びました。次のような言葉です「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』」。ここでも「行い」の大事さが語られています。今年三月に起きた、名古屋入国管理施設におけるスリランカ女性の死をめぐって、難民を犯罪者のように収容する入管法の改正議論が高まっています。移民や難民は聖書では「寄留者」と呼ばれます。寄留者や孤児は誰にも頼ることができない弱い立場におり、その権利は絶えず脅かされています。「寄留者を大事にせよ」と旧約聖書は繰り返し語りますが、現代では「難民を大事にしなさい」と読み替えるべきでしょう。ヤコブが語るように「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさいといいながら、そのために何の行為もしないことは聖書の教えに反する」行為なのです。神は私たちに、「目の前に困窮と苦しみの中にいる人がいれば、その人に愛の責任を負いなさい」と命じておられます。

・それを現実の政治の中で実行したのが、ドイツのメルケル首相です。2015年以降、シリア内戦のために1400万人の難民が生まれ、隣国トルコやパレスチナでの受け入れが限界に達し、数百万人の難民が欧州に流入しました。欧州各国は難民を受け入れましたが、やがて「限界だ」として新しい難民の受け入れを拒否しました。「彼らはかわいそうだが、私たちの暮らしも大事だ」と。その中で、2015年、ドイツはメルケル首相の下で、100万人のシリア難民受け入れを表明しました。国内では激しい反対意見もありましたが、彼女はそれをドイツ基本法(憲法)に基づいて行いました。メルケルは語ります「ドイツ社会は現在安定し、繁栄を享受している。ところが、外では大変な混乱と悲劇が起きている。命からがら逃れて、我が国を目指している人々がたくさんいる。我々の憲法は人間の尊厳を基本としている。この尊厳は我が国民だけに保障されているのではなく、外国人にも認められている。つまり、彼らが我が国に入ってくるなら、我々は彼らを快く受け入れ、憲法の保障する人間の尊厳の実現に全力をあげなければならない。我々にはそれがやり遂げられる」(2015年8月インタビューから)。ドイツが亡命申請者に対して寛容な態度を取る背景には、ナチス時代の反省と悔い改めの中で、戦争や政治的迫害に苦しむ市民に対し積極的に手を差し伸べるという「理念」があります(ドイツの憲法である基本法第16条A項は、「政治的な迫害を受けている者には亡命権を与える」と明記しています)。亡命権を明文化していない日本国憲法との大きな違いです。しかし日本も先の大戦で中国やアジア諸国に対して重大な侵略行為をしています。その償いの視点から、「亡命権」を憲法の基本的人権に取り組む必要があります。

・メルケル首相は2018年に「私の信仰~キリスト者として行動する」(邦訳:新教出版社)という著作を出しています。彼女においては、ドイツの政治的課題、すなわち経済政策、難民対策、環境問題、グローバル化、安全保障など、さまざまな問題への取り組み姿勢の根底に、確固たるキリスト教信仰が存在しており、信仰と行動がしっかりと結びついています。そこには、「信仰か、行いか」という二分法で立ち止まる人の陥りがちな曖昧さや停滞はありません。信じることと行動することが一体化しており、変化を恐れず前向きで、実にきっぱりしていています。彼女の演説を見るとまるで牧師の説教原稿のようです。彼女もまた、ヤコブが述べるように、「行いの伴わない信仰は役に立たない」と考えています。

・他方、日本は難民受け入れに極度に消極的で、毎年1万人の難民申請に対し、認定が50人前後です。日本の制度では、難民認定の実務を法務省入国管理局が担い、難民を「保護する(助ける)」というより、「管理する(取り締まる)」という視点が強いためとされます。この根底にあるのが1978年最高裁判決で「外国人の基本的人権保障は在留制度の枠内で与えられている」との判断です。法曹関係者は入管法が憲法の上位にあるのはおかしいと批判しています。先にメルケル首相は語りました「ドイツの憲法は人間の尊厳を基本としている。この尊厳は我が国民だけに保障されているのではなく、外国人にも認められている。つまり、彼らが我が国に入ってくるなら、我々は彼らを受け入れ、憲法の保障する人間の尊厳の実現に全力をあげなければならない」。ドイツ憲法の考えの根本にあるのは聖書の戒め、「隣人を自分のように愛しなさい」という教えです。日本人は聖書を知らないし、隣人愛の大切さも知らない故に、憲法を自国民のみに適用するとしています。非キリスト者である同胞国民に対して、少数者である私たちキリスト者が「キリストの言葉と生き方を知らせる」役割を与えられているのです。

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