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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年8月23日説教(コヘレト6:1-12、人生の幸福とは何か)

投稿日:2015年8月23日 更新日:

2015年8月23日説教(コヘレト6:1-12、人生の幸福とは何か)

 

1.富と財と名誉は人を幸福にするのか

 

・コヘレト書を読み続けています。コヘレトは6章で「人生の幸福とは何か」について語ります。世の人々は「富と財と名誉」こそ、人生の目標だと言いますが、コヘレトは反論します「人はそれらのものを墓場まで持っていけないではないか」と。彼は語ります「太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのを私は見た。ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何一つ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ」(6:1-2)。

・労苦の結果得たものを楽しむ暇もなく死んでいった、あるいは子がなく財産はすべて他の人のものになったのかも知れません。また仮に子があったとしても、何の労苦もしていない相続人に残すのもまた空しいではないかとコヘレトは2章で語っています。「太陽の下でしたこの労苦の結果を、私はすべて厭う。後を継ぐ者に残すだけ、なのだから。その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう・・・知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ」(2:18)。人が死ねば、そこに相続が起こります。コヘレトの言葉は私たちに相続とは何かを考えさせます。

・相続とは何なのでしょうか。相続人は故人の富や財を受け継ぎますが、それは当然の権利なのでしょうか。フランスの経済学者トマ・ピケティは「21世紀の資本」で述べます「資本主義下では、r(資本収益率)はg(経済成長率)を常に上回る、つまり、投資で得られる利益の伸び率は、労働賃金の上昇率を上回る。その結果ますます富んだ富裕層が、資産を子孫に残し、所得の格差を決めるのは個人の能力ではなく、世襲で相続した資本となる。r>gの社会では、資本収益率、株や不動産、債券などへの投資によって得られる利益の伸び率が賃金伸び率(経済成長率)を上回るため、貧富の格差が一段と広がる」。能力のある若い人が労苦して司法試験に合格し法律家になるよりも、資産家の令嬢と結婚した方が経済的には恵まれるという矛盾です。現代の資本主義が世襲資本主義あるいは相続資本主義になっているとしたら、相続の問題は社会的に考えるべき課題を抱えています。聖書学では相続が「マタイ効果」として問題になります。相続による経済的格差拡大をどう考えるかという問題です。

・神学者の栗林輝夫氏は語ります「今日我々が目撃しているのは、経済のグローバル化によって、『持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる』(マタイ13:2)というマタイ効果であり、一部の企業家がとてつもない報酬を得る一方、大勢の若者がワーキング・プアに転落していく光景である。資本のグローバル化は生産拠点を労働力の安い地域に移動させ、それまで人々を結びつけてきた地域の文化を根こぎにし、地方の中小都市の街を軒並みシャッター・ストリートにした。かつて日本は一億総中流の経済格差のない社会であったが、今では先進国の中でアメリカに次ぐ格差社会になってしまった」(福音と世界、2014年1月号)。経済格差拡大に伴う社会の不平等化は、教会が考えるべき神学的課題なのです。

・また旧約聖書の世界では、「長寿こそ人の幸せ」と言われてきました。コヘレトはそれにも疑問を投げかけます。「長寿を全うしても、大勢の子に恵まれても、やがて死ぬのだからそれが何になろう。長寿が人を幸せにするのか」と。彼は語ります「人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら、流産の子の方が好運だと私は言おう」(6:3)。日本人の平均寿命は戦前には50歳でしたが、戦後は80歳まで伸びました。しかしそれは、延命治療により「ただ生かされている生」、あるいは認知症で「生きているだけの生」を伴って、伸びてきた面があります。2014年度の男性の平均寿命は80.2歳、女性は86.6歳です。しかし健康寿命(WHO提唱)は男性71.1歳、女性74.2歳です。両者の間には平均10年の差があります。人生最後の10年間は、平均的には、人々が寝たきりやその他の障害を持ってその生を終えることを意味します。「寿命の伸びが人々を幸せにしてきただろうか」とのコヘレトの問いかけは、現在の私たちにも説得力を持って迫ってきます。

 

  1. 飽くなき欲望は人を不幸にする

 

・コヘレトは飽くなき欲望が人間を苦しめていると語ります「人の労苦はみな、自分の口のためである」。そして「人の食欲は決して満たされない」(6:7)。欲望には限界がないと彼は語ります。人は何かを手に入れてもさらに欲しいと思う存在です。しかし、労苦して得られた富は必ずしも人を幸福にはしません。コヘレトは語ります「勤勉が富を生み、その富が人を幸せにしないとしたら、勤勉という賢者の知恵も空しい。与えられたものに満足すればそれは恵みだが、多くの場合人は満足できず、もっとほしいと思う貪欲が人を不幸にしている」(6:8-9)。

・無限欲望は地獄の世界だと思います。ダイエーを創業した中内功(いさお)氏は1957年に「主婦の店ダイエー」を大阪で創業し、「良い品を安く」をモットーに薄利多売で売り上げを伸ばし、次々に店舗を全国展開し(チェーンストア化)、1980年には小売業日本一になりました。その後、コンビニ、ホテル、レストラン、人材紹介等様々な事業を展開していき、最盛期には従業員6万人を抱えました。ただ1990年以降のバブル崩壊で、土地を担保にした借入方式で業容拡大してきたダイエーの業績が急速に悪化し、創業した会社は次々に人の手にわたり、2005年失意のうちに亡くなります。彼はダイエーの会長退任時に次のように語ったと伝えられています「これまでの人生で楽しいことは何もありませんでした」(1999年1月)。未曾有の事業を残した中内氏の人生が幸せでなかったとしたら、まさにコヘレトの語る通り、「すべては空しい」のです。

・コヘレトは語ります「すべては一つの所に行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る」(3:20)。どんなに労苦して事業を起こし、財を蓄えても、すべては「一つの所、陰府」に行く。「空しいではないか」とコヘレトは語るのです。最後にコヘレトは語ります「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない」(6:12)。コヘレトのいう通り「人が死んだらどうなるのか、誰にもわからない」、確かにそうです。わからない。しかしわからないから求める。「永遠の命について」も私たちにはわかりません。だから求めるのです。

 

3.コヘレトのニヒリズムを克服するために

 

・コヘレトはニヒリズムの罠の中にあります「人はやがて死ぬ、死ねばすべてが終わりだ」。このコヘレトのニヒリズムを克服する唯一の道は復活信仰だと思います。今日の招詞として第一コリント15:14を選びました。次のような言葉です「そして、キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」。新約聖書は「キリスト・イエスが復活した、だからキリストを信じる者もまた死を超えた命に生きることが出来る」という信仰を私たちに伝えます。イエスはローマ帝国により十字架刑で処刑され、墓に葬られました。その死んだイエスが弟子たちに現れた、その顕現体験から「イエスは復活された」という復活信仰が生まれ、その復活の視点から「イエスの死は私たちの罪のためであった」という贖罪信仰が生まれました。この贖罪信仰と復活信仰こそ、聖書の語る福音です。パウロはローマ書の中で書きます「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かして下さるでしょう」(ロ-マ8:11)。

・そしてパウロは決定的な言葉を語ります。今日の招詞です「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」。復活、体のよみがえりをどう理解するかは難しい問題です。イエスが十字架刑で殺され、葬られたことは歴史的な事実です。十字架刑の時に逃げ去った弟子たちが復活のイエスに出会い、「イエスはよみがえられた」として教会を形成していったことも歴史的事実です。しかし出来事の背後にある「復活のイエスとの出会い」は、歴史的な言葉では表現できず、あえて表現すれば「弟子たちの異常な心理体験」と言わざるを得ないでしょう。しかしパウロ自身、復活のイエスに出会っています(15:8)ので、確信を持って語ります「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(15:20)。人は死んだ後眠りにつく、その死者の中からキリストが復活された。キリストが初穂であり、私たちもキリストに従って復活する、だから「死は勝利にのみ込まれた」(15:54)とパウロは語ります。

・ヨハネ福音書によれば、復活の朝、イエスの十字架死から三日目、イエスの弟子たちは自分たちも捕らえられることを恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていたとあります(ヨハネ20:19-20)。そこにイエスが来られ、「あなたがたに平和があるように」と言われ、ご自身の傷ついた手とわき腹をお見せになりました。その時、「弟子たちは主を見て喜んだ」とヨハネは記します。ここに二つの復活物語があります。「死からよみがえられたイエスの復活」と、「絶望と恐怖からよみがえった弟子たちの復活」の二つです。イエスがどのようにして復活されたのか、聖書は語らず、私たちも知りません。しかし、絶望の底にあった弟子たちがよみがえったことを聖書は証言し、歴史も証明します。それで充分ではないでしょうか。復活とは死んだ者をよみがえらせるだけでなく、今生きている者を、根底から変える力をも持つのです。この力こそがコヘレトのニヒリズムを打ち破る力です。

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