江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年9月2日説教(2コリント11:7-15、召命を受けて働く)

投稿日:2007年9月2日 更新日:

1.パウロを受け入れないコリントの人々

・パウロはコリント教会へ数通の手紙を書いたといわれていますが、その中で残っている手紙は二通だけ、第一コリント、第二コリントです。その第二コリントを読みますと、最初の1-9章と後半の10-13章は大きく様相が異なります。おそらく第二コリントの前半と後半は別の手紙、後半10章以下は失われたといわれている「涙の手紙」の一部ではないかと思われます。その手紙の中で、パウロは激しい言葉でコリントの人々を批判しています。まるでパウロではないかのような、初めて読めば、これが聖書か、どこに信仰があるのかと疑うような激しさです。今日はテキストとして、その第二コリント11章が与えられました。ご一緒に読んでいきます。
・10章の冒頭で彼は言います「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、この私パウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。私たちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです」(10:1-2)。パウロは最初からけんか腰です。「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」とはコリント教会の人々がパウロを批判した言葉でしょう。「肉に従って歩んでいる」とは、パウロは損得勘定で行動しているとの悪口です。パウロは悪口を言った人たちを許さないと言っています。信仰の書として読む時に、困惑を隠せません。
・コリント教会は、パウロの開拓伝道によって出来た教会で、パウロは自分の子どものように教会を愛していました。しかし、エルサレム教会から来た巡回伝道者がパウロ批判を繰り返し、教会の一部が反パウロになっていったようです。彼らは「パウロはキリストに直接従った弟子ではないから使徒ではない。私たちはキリストの直弟子だった使徒ペテロから派遣されてここにいる。私たちこそ本当の福音を伝えている」と誇ったようです。このような批判に対して反論したのが、第二コリント書10-13章です。
・反対者たちはパウロが使徒であることを否定しました。パウロはエルサレム教会からの推薦状を持っていないし、生前のイエスから直接の教えを受けた者でもないからです。しかし、パウロは自分の使徒職は神から受けたものだと主張します(10:7-8)。「私はコリント教会を開拓伝道した、そのことこそ私が使徒であることを証している、コリントは神が私に委ねてくださった伝道の場なのだ」と彼は言います。その伝道の場を混乱させる者・教会を壊そうとする者には徹底して戦うとパウロは宣言します(10:15-16)。パウロは反対者たちを「偽使徒、ずる賢い働き手、サタン」と罵っています(11:13-14)。こんな激しいパウロは見たことがありません。
・コリント教会の誤解の一つは、献金に関するものでした。パウロが教会からお金をかすめていると反対者たちは非難したのです。パウロは、コリントからの献金を受けずに、自分で働いて生活の糧を得ていました。それを反対派の人々は胡散臭いと考えたのです。パウロは言います「あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、私は罪を犯したことになるでしょうか。私は、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。・・・私は何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです」(11:7-9)。伝道者が働きの報酬を受けるのは当然ですが、報酬を受けることによって言うべきことが言えなくなる恐れがあります。だからパウロは自給伝道の道を選びました。その一方で、パウロはエルサレム教会への献金運動を熱心に勧めていました。不和の目立つユダヤ人教会と異邦人教会の和解のために、経済的に逼迫していたエルサレム教会を支援しようとしたのです。この献金活動について反対者たちは「パウロは私腹を肥やしている」と非難しました(12:16-18)。
・伝道者にとって金銭的な問題で誤解を受けることほど悲しいことはありません。だからパウロはその気持ちをコリントの人々に訴えます。「私はそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。私はあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、私の方はますます愛されなくなるのでしょうか」(12:14-15)。親は子どものためならば、自分の食べものを削ってまでも与えます。パウロもコリントの人々のためにそうしましたが、その心は通じなかったのです。

2.何故パウロはそこまで怒るのか

・パウロは反論していますが、この反論は愚かです。牧会者が批判にさらされた時、彼は沈黙すべきであり、反論しても何も良いものは生まれません。相手が聞く耳を持たないからです。パウロも反論が愚かであることを知っていますが、反論せざるを得ません。何故なら、彼らを愛しているからです。彼は言います「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いを私も抱いています。なぜなら、私はあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています」(11:2-3)
・パウロはコリント教会を自分の娘のように愛しています。自分が生み、育て、確かな人と婚約させた娘が、誘惑者の言葉に乗って道を踏み外そうとしています。娘が、婚約者を捨てて、悪い男の誘惑にのって駆け落ちしようとしているのです。その結果、何が起こるかは明白です。悪い男は娘に飽きると捨てるでしょう。娘は駆落ち相手に捨てられ、いまさら婚約者の所にも帰れないため、死を選ぶか、身を落とすかしかなくなります。「お前はそうなってはいけない。コリントの人たち、あなたがたは滅んではならない」とパウロは叫んでいます。教会はあるべき方向からそれてしまい始めました。ユダヤ主義者の影響を受けて、割礼を受けなければ救われないとか、戒めを守らなければいけないとか、キリストが教えられたことと違う方向に教会が行き始めたのです。それをパウロは異なったイエス、違った霊、違った福音と述べています(11:4)。
・違った福音のどこが悪いのでしょうか。それは神の教えではなく、人の教えだからです。人が求めるのは幸福です。人は、病気や老いや貧しさから解放されて幸福になりたいと願っています。その願いに応えて、割礼を受ければ救われる、戒めを守れば救われるという幸福宗教の教えが出てきます。それは救いの決定権を人間が持つことです。割礼を受け、戒めを守れば、救われるのであれば、神は不要です。しかし、人には命の決定権はありませんから、そこに救いはないのです。真の福音とは、神が私たちを愛し、救ってくださる事を信じていくことです。私たちを愛される神が、苦難を与えられたのであれば、その苦難を受け入れていくことによって、苦難は祝福になって行きます。病気が治らないこともまた祝福として感謝するようになります。それが正しい福音なのです。その正しい道に帰れとパウロは呼びかけているのです。

3.愚者の誇りから、キリストにある弱さへ

・今日の招詞に〓コリント12: 10を選びました。次のような言葉です「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」。パウロはコリントの人々を批判し、これほどあなたがたのために尽くしているに、理解してくれないとくどくど述べます。まるで愚か者のように彼は誇ります。しかし、自分を誇るパウロがやがて低められ、キリストを誇るようになります。それが今日の招詞の言葉です。人は神の力は強さの中に働くと考えます。健康に恵まれ、才能にあふれ、何事にも前向きな人は神に祝福されていると考えます。しかし、聖書はそう言いません。何故ならば、彼は神ではなく自分の力に頼っているからです。聖書は、神の力は「弱さの中」でこそ働くと言います。弱い人は自分を誇ることが出来ないから、神を誇る。その時、本当に良い仕事が出来るようになります。
・私たちに必要なものは強さではなく、弱さです。パウロ行伝という聖書外典によれば、パウロは「背が低く、頭ははげ、足は曲がっていた」そうです。外見は良くなかった、しかも病気がちで,説教も下手だったと言われています(10:10)。彼は伝道者に向かなかった、弱かった、だから彼は「使徒の中の使徒」と呼ばれるほどの偉大な仕事をすることが出来たのです。自分の弱さを認める、その時キリストの力が働いて、私たちは能力以上の仕事が出来るようになります。召命を受ける、神から召されて働くとは、キリストの力をいただいて働くのです。
・三浦綾子さんもそうです。彼女は普通の主婦でしたが、朝日新聞の懸賞小説に応募するために「氷点」を書きました。人の心の真ん中に「氷点」、溶かされない暗い闇=聖書でいう原罪があることを、物語化しました。これが入選し、その後彼女は多くのベストセラーを書くようになり、彼女の本を読んで、多くの人が教会の門をたたくようになりました。三浦さんが何故このような働きが出来たのか、彼女が弱かったからです。彼女は病気のデパートと呼ばれるほどの闘病体験をしています。人生の三分の一は入院している。この病気が彼女に人生とは何かを教え、彼女を偉大な作家にしました。
・ここに苦難の意味があります。苦難を通して人は弱さを教えられ、その弱さが神を求める叫びになり、その叫びに応じて、神は人に力を与えるのです。コリント教会はかたくなでした。このかたくなさがパウロにコリント第二の手紙を書かせました。パウロは怒りのままに手紙を書き進め、その怒りが、「神の力は弱さの中で働く」と言う真理を見出させました。ここに福音があります。神が私たちを愛し、救ってくださる事を信じていく時に、人は強くなっていくのです。教会に男性はあまり来ません。何故でしょうか。多くの男性は自分の弱さを認めることが出来ないからです。弱さを認めることは負けだと教育されているからです。日本では毎年32,000人ほどが自殺しますが、自殺者の70%、24,000人は男性です。弱さを認めない人は強くないのです。まさにパウロが見出したとおり「神の力は弱さの中で働く」のです。

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