江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年11月18日説教(出エジプト記2:1-10、命を主に委ねる)

投稿日:2007年11月18日 更新日:

1.モーセの誕生

・待降節を迎えて、私たちは、旧約聖書から御言葉をいただいています。先週まで3週間にわたり、創世記を学んできました。創世記は12章からイスラエル民族の歴史を記します。父祖アブラハムが神の選びを受け、その祝福が子のイサクに継承され、孫ヤコブに受け継がれていきます。そのヤコブの時代にパレスチナで大飢饉が起こり、ヤコブは12人の息子たちと共にエジプトに移住します。創世記はヤコブと息子たちがエジプトに下ったところで終わり、そこから出エジプト記の記述が始まります。創世記と出エジプト記は連続した物語です。出エジプト記1章は記します「ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行った・・・ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人。ヨセフはすでにエジプトにいた。そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった」(1:1-7)。
・「イスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった」とあります。「生めよ、増えよ、地に満てよ」(創世記1:28)と言う神の祝福が、イスラエルの民の数を増やしていきました。しかし、この祝福がエジプト人にとって脅威になり始めます。1:8は次のようなエジプト王の言葉を記します「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない」。国内に住む異民族の数が治安上脅威になるほど増えてきたため、エジプト王はイスラエル民族の人口増大を抑えようとしたのです。最初の試みは、労働の強化でした「エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した」(1:11)。労働強化による人口減を狙いましたが、イスラエルの人口増加率は落ちません。生命力が強かったのです。
・二番目の試みは生まれてくる新生男子の抹殺でした。エジプト王は助産婦に「ヘブライ人の男児は殺せ」と命じます。しかし、二人の助産婦は、王の命令に逆らって、赤子の命を救います。「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた」(1:17)。エジプト王は、次に「生まれた男の子は全てナイルに投げ込め」との命令を発します。人口増加を抑えるという政策が破れたため、今度は民族の抹殺を図ろうとしています。この政策が続けば、民族は数世代のうちに消滅します。これは「生めよ、増えよ、地に満てよ」という神の創造の業に対立する、地上の権力の反逆です。この世界は権力者(エジプト王)が支配しているのか,神が支配しておられるのかの戦いです。神は戦いの器として、一人の男子を出生させられます。その人がモーセです。
・モーセはレビ人の両親から生まれましたが、母親はエジプト人に子が殺されるのを待つよりも、後事を神に委ねて、子をナイル川に流します。「彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた」(2:2-3)。籠(テーバー)はヘブル語ではノアの箱舟と同じ言葉です。モーセと共に神がおられた事を示しています。籠はエジプト王の娘が水浴びをしていた場所に流れ着きます。王女は籠を見つけ、開けると男の子が泣いているのを見つけます。その子がヘブライ人であることは着ていた産着でわかりました。王女は父王がヘブライ人の男の子はすべて殺せと命じたことを知っていますが、彼女は父に同意していません。彼女はその男の子を自分の子にします。王女はその男の子に「モーセ」(ヘブル語=モーシェ)という名前をつけます。「水の中から引き上げた=マーシャ」からです。

2.見えない所で始まっている救いの業

・モーセ誕生の出来事は神不在と思える現実の中でも、神の見えざる手が働いていることを示しています。エジプト王はナイル川を殺戮の道具としますが、神はその川からモーセを引き上げて、命を救われています。モーセの母親は王の命令に従うことを通して、モーセの命を助けます。王の娘は、父の命令に逆らってモーセを救い出します。そしてモーセはエジプト王の宮廷で教育されます。この教育がモーセを指導者にふさわしい者にしていきました。子を捨てざるを得ないという厳しい選択が、子を指導者にふさわしく教育する場を与えるというすばらしい出来事を生んでいったのです。私たちも、出口の無い状況に追い込まれ、どうしていいのか、わからない時があります。その時は、この母親のようにできる最善を尽くせば良いのです。後は神が導いてくれます。
・また、私たちには目の前の現実しか見えません。その現実は過酷です。イスラエルは強制労働のために苦しめられ、生まれた男子は全てエジプト人によって殺されています。どこにも救いの手は見えません。そのような中で、一人の男の子の命が救われ、指導者になるための教育が始まっています。神は時が満ちた時にその行動を見えるものとされますが、見えないところで、すでに救済の業は始まっているのです。私たちは、見えないものを信じ続ける必要があります。出エジプト記は記します「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」(2:23-25)。その時に、モーセが救済者としてエジプトに派遣されます。今ようやく、神の業が見えるものとなっていきます。

3.全ては無にならない

・今日の招詞にマタイ2:14-15を選びました。次のような言葉です「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『私は、エジプトから私の子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」。
・イエスが生まれられた時、東方にしるしの星が現われ、星に導かれた三人の占星術師たちが、救い主に会うために、エルサレムに来たとマタイ福音書は記しています。彼らはエルサレム王宮にヘロデ王を訪ね、聞きます「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(マタイ2:2)。救い主がユダヤ人の王としてお生まれになったとの知らせは、地上の王ヘロデに不安をもたらしました。ヘロデは、自分を脅かす者が生まれたとの知らせに猜疑心を強め、王位を守るために新しく生まれた王を殺そうとします。彼は兵士に命令を出し、ベツレヘムとその一帯の2歳以下の男の子たちをすべて殺させます。
・子供たちを殺された母親の嘆きの声がベツレヘムにとどろきました。ベツレヘムで殺された幼子たちの家族は、何が起きたのか、何故こんなことをされねばならないのか、わからなかったでしょう。彼らはメシアが生まれた事も、そのことに危惧を感じたヘロデが、王になる可能性のあるすべての男の子を殺そうとしたことも知らなかったのです。何も知らないうちに、家族は、突然に、悲しみのどん底に突き落とされてしまいます。彼らは思ったでしょう「神は何故このようなことを許されるのか」と。彼らにはまだ神の業は見えません。
・その混乱の中で、生まれたばかりのイエスは、父ヨセフに連れられてエジプトに逃れます。イエスは命が救われましたが、ベツレヘムの息子たちは殺され、母親たちは涙を流します。しかし、その涙は報われます。キリストの苦難はその出生と共に始まり、その苦難は十字架で完成されるからです。イエスは十字架にかけられる前日に弟子たちに言われました「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。神はイエスを十字架につけるために、生まれたばかりのイエスの命を助けられたのです。ベツレヘムで虐殺された子どもたちの命も、この十字架を通して購われていきます。彼らの死は無駄ではなかったのです。
・モーセは神の民をエジプトから救い出すために、幼い命を救われました。同じころ、多くのヘブライの男の子は殺されて行きましたが、その死もまた報われます。成人したモーセはイスラエルの指導者となり、民を約束の地に導きます。「水から引き出された者(マーシャ)が、民を引き出す者(マーシャ)」にされていったのです。モーセが誕生した時、誰もそれを救いの始まりとは思いませんでした。見える現実はイスラエルへの強制労働が強化され、人々がうめき苦しみ、生まれたばかりの男子はナイル川に投げ込まれて殺されています。しかし、その中で、一人の男の子の命が救われ、エジプト王の宮廷で養育され、教育を受けています。神の救いの業は始まっているのです。
・私たちの人生にも多くの苦しみがあります。私たちも、エジプトで捕らえられていたイスラエルの民のように、うめき声を上げざるを得ない時もあります。死にたいと思う時もあるかもしれません。しかし、その苦しみの中に神は共におられる。私たちが見えない中で、私たちの救いのために働いていられる。それが時間の経過と共に見えて来る。だから私たちはどのような時にも絶望しない。信仰が恵みとして与えられているからです。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル11:1)、この言葉に、私たちは「アーメン、その通りです」と唱和します。

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