江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2002年12月29日説教(マタイ2:1-12、キリストの誕生)

投稿日:2002年12月29日 更新日:

1.イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれられた。

・イエスがユダヤのベツレヘムで生まれられた時、星に導かれて、東方から三人の博士たちがイエスを礼拝するために来たとマタイは伝える。「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」と彼等は告げたという(マタイ2:1-2)。
・東方の博士とはギリシャ語ではマギー(マグの複数形)で、魔術師、占星術師、今日でいう天文学者を指す。当時は占星術が盛んで、人々は天体の異変を見て未来を知ろうとした。アレキサンダー大王が生まれた時にも天に異変があって占星術師が「アジアを滅ぼすものが生まれた」ことを告げたという。紀元前7年に土星と木星が接近して異常な輝きを示したことが文献で確認されており、これを占星術師たちが見て、その星を追ってユダヤに来たのだと言われている(これは794年に一度の出来事であり、このことが前7年に起こったと推定されるため、天文学者のケプラーはキリストの生誕がその時だと推定し、現在に至っている)。
・「ユダヤ人の王として生まれられた方は何処におられますか」という占星術師たちの言葉は、ヘロデを不安にした(マタイ2:3)。何故なら彼が現在のユダヤ王であり、新しい王の出現は彼の王権の否認であったからだ。ヘロデはイドマヤ出身の異邦人であり、ローマ軍の支持でユダヤを支配していたハスモン家を滅ぼし、武力で王になった(前40年)。従って、彼の支持基盤は不安定で、正当性を保つためにハスモン王家の血を引くマリアンメを妻に迎えたが、いつ自分が追放されるか解らないという猜疑心にかられ、ハスモン家出身の妻を殺し、妻の母や兄弟を殺し、三人の子をも反逆の疑いで処刑している。このようなヘロデであるから、占星術師たちの言葉に新しい敵対者の出現を予感し、メシヤが何処に生まれる事になっているのかを祭司長たちに質した。祭司長たちは旧約聖書ミカ書の預言を引いて、それはベツレヘムであると答えた。「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう」(マタイ2:6、ミカ5:2)と書かれてあるからだ。
・ベツレヘムはエルサレムの南方10キロの所にある小さな村で、ダビデの出身地として知られていた。占星術師たちはベツレヘムを目指してエルサレムを出発した。東方でみた星が彼らに先立って進み、彼等はイエスとその両親が住む家に導かれ、幼な子を拝し、黄金・乳香・没薬を献げたとマタイは記す。その後、ヘロデのもとに帰るなという神からの啓示を受けたため、彼等は別な道を通って故国に帰っていったという。他方、御使いはヨセフにも現れ、「ヘロデが命を狙っているのでエジプトに逃げよ」と指示し、ヨセフはマリヤと御子イエスを連れてエジプトに逃れたとマタイは記す。
・その後ヘロデはベツレヘムに軍隊を派遣し、2歳以下の男の子を全て殺し、ベツレヘムには子が殺されたことを嘆く母親の泣き声が鳴り響いたとある。三人の占星術師が、イエスを礼拝するために訪問したのかどうかについては歴史的事実であるのかは確認できない。しかし、ヘロデがベツレヘムで新しい王が生まれるとの預言を聞いて不安にかられ、幼児を虐殺したのは歴史的事実であろうと思われている。ヘロデはイエス誕生後3年経った紀元前4年に死ぬが、その時ユダヤ中の重要人物を競技場に集め、「自分が死んだら全員を殺せ、そうすれば人々が涙するだろう」と遺言して死んでいったことは歴史書(ヨセフス・古代史)に明記されている。この遺言はさすがに実行されず、人々は解放されたが、自分の子を反逆の疑いで処刑し、自分の死を人々が悼むために大勢の市民を殺そうとしたヘロデであれば、ベツレヘムの幼児を殺すことをためらわなかったであろうと言われている。
・クリスマスは神の子の誕生を祝う時だが、そのクリスマスの直後に幼児虐殺の出来事があったことを私たちは覚える必要があろう。正に、神の子は暗き中に生まれられたのである。


2.地上の王ヘロデと全人類の王イエス

・三人の博士たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は何処におられますか」と言って訪ねて来た。この「ユダヤ人の王」という称号はイエスが十字架につかれた時、ローマ総督ピラトがイエスの罪状書きとして十字架の上に掲げたものだ。既にここにイエスの十字架が予告されている。マタイはここで「馬小屋で生まれ、十字架上で死ぬことがユダヤ人の王のしるしである」ことを告白している。遠くからの星が人々を導いたのは王宮ではなく、馬小屋だった。神の子は十字架で無念の内に殺された。そのことを通してマタイは、神ご自身が苦しまれることによって、人間と苦しみを共にして下さる神の愛が示されたと理解している。
・ヘロデは自分の王位を脅かす存在としてイエスを抹殺しようとしたが、果たせなかった。ヘロデの後継者たちは自分たちの安定を乱すものとしてイエスを捕えて十字架に架けたが、イエスは復活され、彼らの試みは失敗した。このことは私たちに何を伝えるのか。
・ヘロデは自分の地位を守るために自分の子供さえ殺し、ベツレヘムの幼児を虐殺し、無辜の市民さえ殺した。ヘロデは特別の極悪人なのだろうか。歴史は違うという。人類の歴史は血にまみれている。第二次大戦の時、ナチスは600万人のユダヤ人を殺した。同じ大戦で日本軍が殺した中国や韓国他の人々の数も数百万人に上るだろう。アメリカが報復でドイツや日本を爆撃して殺した人々の数も数百万人になる。ヘロデはベツレヘムの幼な子を虐殺したが、現在はイスラエル軍がパレスチナ自治区にあるベツレヘムの子供たちを殺している。人間の歴史は罪の暗さにあふれている。このような暗さ、人間の罪がもたらす血の歴史の中で、人はどのようにすれば将来に希望を持つことが出来るのだろうか。それでも人々は信じる。例え一人一人の命は小さいものであっても、その一人一人の命がこの世の秩序を越えた宇宙的秩序を構成していることを。「一人の命は地球よりも重い」という言葉はその信念の現れだ。キリスト者はその宇宙的秩序を神と呼ぶ。キリスト者は次のように信じている。見えるものは悲惨である、しかしその見えるものを超えて見えない神が歴史を支配されていると。
・今日の招詞にヘブル書11:23を選んだ。
「信仰によって、モーセの生まれたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。」
モーセが生まれた時、イスラエル人はエジプトの地で奴隷とされていた。エジプト王は異邦人であるイスラエル人が非常な勢いで増えるのを見て不気味に思い、「イスラエル人の男の子が生まれたら全て殺せ」と命じた(出エジプト記1:22)。モーセの両親は生まれた赤子を殺すに偲びず、王の命令を無視して三ヶ月間これを育て、その後は神に委ねて赤子を籠に入れてナイル川に流し、籠はエジプト王の娘に拾われ、モーセはエジプトの王子として育てられた。神はイスラエルを奴隷の身から救うためにモーセを立てられ、そのモーセを殺そうとするエジプト王の手からこれを救い出された。エジプト王はモーセを殺そうとしてこれを果たせず、モーセは解放者としてイスラエルの民をエジプトから救い出した。ユダヤ王ヘロデはイエスを殺そうとしてこれを果たせず、イエスは人類の解放者として人々を罪の縄目から救い出された。聖書が私たちに告げることは、恐るべき人間の罪の現実の只中にさえ、神の御旨が行われ、御心が成就していく事実である。2000年後の今日、栄華を誇ったローマ皇帝もいず、地位を守るために多くの人を殺したヘロデ王もいず、ただイエスは神の子であったと信じる信仰者のみが残されている事実はこれを証しする。「神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」(ローマ8:31)、聖書が伝えるのはどのような時にも神が共におられるから、あなたたちには平安があるという使信である。


3.共におられる神

・イエスの誕生を聞いて、ヘロデ王は不安を感じた。イエスの誕生を聞いて、エルサレムの指導者たちも不安を感じた。現状に満足するものにとって神の子の出現は現状の否定であり、不安をもたらす。私たちがこの世の常識、道理、世間並の暮らしに満足していれば、私たちにとっても神の子の出現は不安材料でしかない。しかし、私たちはこの世の安定がいかにもろいものかを既に知ってしまった。幸せな結婚生活を始めても、障害をもつ子が生まれてくれば、その家庭は危機を迎える。そういう家庭がたくさんあることを私たちは知っている。三組に一組が離婚する社会にあっては、離婚は他人事ではなく、離婚すれば妻と子は経済的窮乏に陥るのが現実だ。生活力がないためだけに、夫の横暴に耐えている妻が大勢いることも私たちは知っている。会社の中枢で働いていても都合が悪くなれば会社は個人を捨てる。日本ハムや雪印食品の牛肉偽装事件が教えるものは、例え会社のために偽装を行ったとしてもそれが明るみに出れば会社は個人を切り捨てるという事実だ。会社だけでなく、国家も個人を平気で切り捨てる。北朝鮮の拉致被害者が25年間も放置されていたのは国もまた個人の平安に究極的な関心は払わないという事実だ。このような情況下で、私たちは自分たちの平安を人間に委ねることはできない。
・それではどうすれば良いのか。私たちのそれぞれはある時、この世に、人間に絶望したことがあった。その苦難の時、逃げ道がなくどうしようかと思い悩んでいる時に、「私はあなたと共にいる」との神の声を聞いた。そして自分たちの生き方が根源的に変えられた。その体験を通して、「神が私たちの味方であるならば、誰が私たちに適しえようか」と告げるパウロの言葉が真実であることを知った。今日、私たちはヘロデの迫害から神がイエスを守られたことを知った。エジプト王からも神がモーセが守られたことを知った。キリスト者は長い人生の中で、神が私たちを守り、導いてくださることを経験的に知っている。だから、見える情況がどんなに暗く絶望的であっても、私たちは希望を捨てない。希望を持つことによって、暗き情況は変らずともそこに光が差し込む。神共にいましたもう、これさえあれば他には何も要らないのではないか。マタイ2章は私たちにそれを伝える。

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