すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-07-19 08:43:46 (1202 ヒット)

篠崎キリスト教会では毎週の説教を聖書教育に沿って展開してきましたが、2012年5月より聖書教育は旧約の学びに入り、説教はマルコ伝に入ります。そのため、過去に行った旧約の学びを再録して提供します。

1. ダビデに対する告発

・ダビデは部下ウリヤを殺して、その妻バテシバを自分のものとした。しかし、王であろうと罪は見過ごしにされない。主はダビデを断罪し、その罪を責められる。主は預言者ナタンをダビデの下に遣わされる。
―競汽爛┘11:27−12:1「喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。主はナタンをダビデのもとに遣わされた」。
・ナタンは一つのたとえ話を王に語る。王は金持ちの男の無慈悲な行為を怒る。
―競汽爛┘12:1-5「ナタンは来て、次のように語った『二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。・・・ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った』。ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った『主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ』」。
・人は他者の罪は見えても自分の罪は見えない。だから私たちは礼拝でナタンの言葉「その男はあなただ」を聞く。
―競汽爛┘12:7「ナタンはダビデに向かって言った『その男はあなただ』」。
・ダビデは一言の言い訳もせずに罪を認め、悔い改める。王であろうと律法の下にある。主は悔い改めたものを赦されるが、罪は赦されても償いは為されねばならない。ダビデとバテシバの間に生まれた子の命はとられる。
―競汽爛┘12:13-14「ダビデはナタンに言った『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ』」。
・ダビデは罪の赦しを神に請うて言った「私は主に罪を犯した」。全ての罪は神に対して犯される。従って、私たちが被害者やその家族に謝り、赦されたとしても罪は消えない。罪の赦しが為されるのは神の憐れみだけだ。
―詩篇51:5-6「あなたに背いたことを私は知っています。私の罪は常に私の前に置かれています。あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません」。

2.悔い改めと赦し

・罪の購いとして子の命はとられる。ダビデは主の憐れみを求めて7日間断食したが子は死んだ。
―競汽爛┘12:15-18「主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデは子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。・・・七日目にその子は死んだ」。
・子が死んだことを知ったダビデは起き上がって主の家で礼拝し、食事した。ダビデの償いは終わった。
―競汽爛┘12:22-23「子がまだ生きている間は、主が私を憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食して泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで、何になろう。あの子を呼び戻せようか。私はいずれあの子のところに行く。しかし、あの子が私の元に帰って来ることはない」。
・しかし、償いはこれで終わらない。ダビデの長子アムノンは暗殺され、次男アブシャロムはダビデに反旗を翻し、戦死していく。ダビデはウリヤがなめた辱めと無念を受けなければいけない。痛みなしに罪の赦しはないのだ。この痛みを通して救いが為されていく。イスラエルも罪の償いとして70年間の捕囚を受けねばならなかった。
―イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と」。
・罪は血を持って購わなければいけない。罪の赦しとはそれほど重たいのだ。主イエスの購いは高価なものなのだ。「主よ、なぜこれほどまでに」というくらい購いの業は続く。痛みを通して、私たちは精錬されていく。
―ヘブル12:4-7「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。・・・わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい」。
・礼拝における十字架の言葉は私たちに対する告発だ。だから私たちは問う「兄弟よ、どうしたらよいですか」。それに対して、復活の赦しが語られる。礼拝は罪を告発し、悔い改めを導き、赦しを宣告する場だ。
―使徒言行録2:37-38「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに『兄弟たち、私たちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます』」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-07-12 08:42:34 (1021 ヒット)

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1.ヨナタンとの約束の履行

・ダビデはかってサウル王に命を狙われた時、サウルの子ヨナタンの保護で命を救われ、ヨナタンとの間にお互いの家を守るとの契約を結んだ。
―汽汽爛┘20:12-15「ヨナタンはダビデに言った『イスラエルの神、主にかけて誓って言う。・・・父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もし私がそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。・・・主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみを私の家からとこしえに断たないでほしい』。ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ」。
・ダビデは王となり、彼はヨナタンとの約束を思い起し、ヨナタンの血筋を尋ねた。
―競汽爛┘9:1「ダビデは言った『サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい』」。
・サウル家の従者ツィバが呼ばれ、ヨナタンの息子メフィボシェトが生き残っていることがわかり、ダビデはメフィボシェトを王宮に呼び寄せる。メフィボシェトは足が悪いゆえに殺されずに生き残っていた。
―競汽爛┘9:2-4「サウル家に仕えていたツィバという名の者がダビデのもとに呼び出された・・・王は言った『サウル家には、もうだれも残っていないのか。いるなら、その者に神に誓った忠実を尽くしたいが』。『ヨナタンさまの御子息が一人おられます。両足の萎えた方でございます』とツィバは王に答えた」。
・メフィボシェトは殺されるのではないかと恐れて、ダビデの下に出る。戦いに負けた者の子孫は全て殺されるのが当時の風習だった。しかし、ダビデはメフボシェトに「恐れるな」といって、厚遇した。
―競汽爛┘9:6-8「サウルの子ヨナタンの子メフィボシェトは、ダビデの前に来るとひれ伏して礼をした。・・・『恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、私はあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつも私の食卓で食事をするように』とダビデが言うと、メフィボシェトは礼をして言った『僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然の私を顧みてくださるとは』」。
・ダビデはメフィボシェトの地所を全て返し、彼を王宮に引き取って世話をした。
―競汽爛┘9:12-13「メフィボシェトにはミカという幼い息子がいた。ツィバの家に住む者は皆、メフィボシェトの召し使いとなった。メフィボシェトは王の食卓に連なるのが常のことであり、両足とも不自由なので、エルサレムに住んだ」。

2.人の思いを超えた神の思いに従う

・この物語は単純な友情物語ではない。サウルの孫、ヨナタンの子は王位継承権を主張する権利を持っていた。当時、ダビデに対して「サウル家から王位を簒奪した」との批判があった。
―競汽爛┘16:5-8「ダビデ王がバフリムにさしかかると、そこからサウル家の一族の出で、ゲラの子、名をシムイという男が呪いながら出て来て、・・・ダビデ自身とダビデ王の家臣たち皆に石を投げつけた。シムイは呪ってこう言った『出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。・・・お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ』」。
・実際に、ダビデはサウル家の復活を恐れて、サウル家の子孫たちをギブオン市民の要求にかこつけて処刑している。
―競汽爛┘21:8-9「王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、ギブオン人の手に渡した。ギブオンの人々は彼らを山で主の御前にさらした。七人は一度に処刑された」。
・メフボシェトを王宮に入れたのも、ヨナタンとの約束を果たすと共に、王位継承者を監視する意味もあったであろう。しかし、それ以上にダビデは主の約束を重んじた。主はダビデの家を祝福すると言われた。
―競汽爛┘7:12-13「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」。
・生きることは奇麗事では済まない。王であれば政治的な行為も必要であろう。ダビデの子どもたちの行く末を見れば、王であることは苦難の道である(子どものうち三人が王位継承の争いの中で殺されている)。それでも主の約束を信じていく。ダビデは罪を犯しながらもその約束にすがった。それゆえに主は彼を祝福された。
―イザヤ55:8-11「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。・・・雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私の元に戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-07-05 08:38:02 (1078 ヒット)

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1.サウルを殺さないダビデ

・サムエル記26章は24章と同じ事件を別の角度から記述する。おそらく、二つの異なった伝承があったのであろう。
―汽汽爛┘24:3-7「サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。・・・洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った『主があなたに、私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよいと約束されたのは、この時のことです』。・・・ダビデは兵に言った『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。
―汽汽爛┘26:2-9「サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。・・・ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。・・・アビシャイはダビデに言った『神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、私に槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます』。ダビデはアビシャイに言った『殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない』」。
・中心になる言葉は「主が油を注がれた方に手をかけるな」である。サウルへの報復は主に委ねる、歴史を形成するのは人ではなく、神であるとの信仰だ(歴史=History=His story=神の歴史)。
―汽汽爛┘26:10-11「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。主が油を注がれた方に、私が手をかけることを主は決してお許しにならない」。
・24章と同じようにダビデはサウルに、「あなたに手をかけなかった」と呼びかける。
―汽汽爛┘26:19-20「わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください。もし、王が私に対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、どうか、主が献げ物によってなだめられますように。もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますように。彼らは、『行け、他の神々に仕えよ』と言って、この日、主がお与えくださった嗣業の地から私を追い払うのです。どうか、私の血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように」。

2.主が行為されるまでの忍耐

・24章と同じようにサウルは悔い改める。しかし、この悔い改めが一時的なものであることをダビデは知るゆえに、それに期待しない。ダビデはサウルの下には帰らなかった。
―汽汽爛┘26:21-24「サウルは言った『私が誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日私の命を尊んでくれたお前に、私は二度と危害を加えようとはしない。私は愚かであった。大きな過ちを犯した』。ダビデは答えた『王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。・・・今日、主は私の手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手を書けることを私は望みませんでした。今日、私があなたの命を大切にしたように、主も私の命を大切にされ、あらゆる苦難から私を救ってくださいますように』」。
・この後、ダビデはサウルからの追跡を逃れるために、イスラエルを出て、敵陣であるペリシテ人の地に避難して、そこに1年半滞在した。主に委ねることは忍耐を必要とする。
―汽汽爛┘27:1「ダビデは心に思った『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域で私を捜すことを断念するだろう。こうして私は彼の手から逃れることが出来る』」。
・私たちにもこの忍耐が必要だ。見える現実は約束がいつ成就するかを見通せない。その中で神に信頼していく。
―競撻謄1:18-19「私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。こうして、私たちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」。
・今はわからなくともわかるときが来る。希望が砕かれることはない。だから待とう。
―汽灰螢鵐13:12「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがその時には、顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、その時には、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」。
・主が共におられれば、耐えられない苦難は与えられない。主はダビデへの約束を果たされたではないか。
―汽灰螢鵐10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-28 09:23:17 (1176 ヒット)

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1.ヨナタンの友情

・ダビデはサウル王に命を狙われ、サムエルの下に避難した。しかし、サウル王の気持ちを確かめなければ今後の展望はもてない。ダビデは彼に好意を持つ王子ヨナタンの下に行った。
―汽汽爛┘20:1-2「ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った『私が、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、私の命をねらわれるのでしょうか』。ヨナタンはダビデに答えた『決してあなたを殺させはしない』」。
・ヨナタンの立場は複雑だ。彼は王子として父の権威の下にあり、友としてダビデを愛している。ダビデはヨナタンにサウル王の気持ちを確かめるための試みを依頼し、ヨナタンはこれを引き受ける。
―汽汽爛┘20:5-8「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。お父上が私の不在に気づかれたなら“ダビデは、ベツレヘムへ急いで帰ることを許して下さい、一族全体のために年ごとのいけにえを捧げなければなりません”と答えてください。王が“よろしい”と言われるなら僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思って下さい」。
・ヨナタンはダビデの依頼を受け、父を試す。サウルは息子ヨナタンがダビデをかばうのを見て怒り狂う。
―汽汽爛┘20:30-34「サウルはヨナタンに激怒して言った『心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない』。・・・サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけた。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、怒って食事の席を立った」。
・ヨナタンはダビデに王宮を離れて逃げるように伝える。二人は別れを惜しんで泣いた。
―汽汽爛┘20:41-42「従者が帰って行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。ヨナタンは言った『安らかに行ってくれ。私とあなたの間にも、私の子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから』」。

2.主が間におられる

・ここにあるのは選びの物語だ。サウルは神に選ばれて王になったが、その委託を果たさずに、自分の権力をほしいままにし、神に捨てられた。そして、新しい王としてダビデが選ばれた。ヨナタンはそのことを冷静に認める。
―汽汽爛┘20:13-15「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。その時私にまだ命があっても死んでいても、あなたは主に誓ったように私に慈しみを示し、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれる時にも、あなたの慈しみを私の家からとこしえに断たないでほしい」。
・王権が交替する時、新王は前王の一族郎党を殺して、将来の禍根を絶つ。しかし、ダビデは王になってもそうせず、ヨナタンの息子を自分の客として迎える。ヨナタンとの友情にこたえるためだ。
―競汽爛┘9:6-8「ヨナタンの子メフィボシェトは、ダビデの前に来るとひれ伏して礼をした『メフィボシェトよ』とダビデが言うと、『僕です』と彼は答えた。『恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、私はあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつも私の食卓で食事をするように』」。
・「神が合わせたものを人が離してはならない」(マタイ19:5-6)。人間は結婚の誓いさえ守ることが出来ないのに、何故敵同士であるヨナタンとダビデの間に友情が成立するのか。そこには信仰に基づく愛がある。
―汽汽爛┘20:23「私とあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえに私とあなたの間におられる」
・自分の利害よりも相手の利害を優先することが愛だ。それは人間の業ではなく、神の業だ。
―ヨハネ15:12-13「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。
・聖書はイエスが十字架につかれることにより、敵意という隔ての壁が取り崩されたと宣言する。
―エペソ2:14-16「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」。
・人間的には王の継承者はヨナタンだ。しかし、彼はダビデが自分よりも優れていることを認め、神の選びが彼の上にあるなら、彼が王になるようにと祈る。自分を超えていく者を喜ぶことは、信仰無しには出来ない。
―ローマ12:14-15「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-19 08:56:41 (1288 ヒット)

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1.ダビデの選び

・サムエルはサウルに油を注いで王に任命したが、そのサウルは主にそむき、祝福はサウルから去った。サムエルはサウルのことを嘆くが、主はサムエルに「新しく王となるべき者を見出したので、彼に油を注げ」と命じられる。
―汽汽爛┘16:1「主はサムエルに言われた『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。私は、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。私はその息子たちの中に、王となるべき者を見出した』」。
・サムエルはためらうが、主の言葉に従い、ベツレヘムのエッサイの子どもたちに会う。その中に候補がいると知らされたからだ。長男エリアブを見たとき、彼は「この人こそそうだ」と思った。
―汽汽爛┘16:5-6「サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った」。
・しかし主は違うといわれた「容姿や外見に惹かれるな。心を見よ」と主は言われる。
―汽汽爛┘16:7「主はサムエルに言われた『容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」。
・混乱の時には強いリーダーシップを持つ者が選ばれる。ペリシテを恐れないサウルのような勇者だ。しかし、今必要な人材は、主に仕える、自分が未熟であることを知るものだ。選ばれたのは、まだ、元服前の少年ダビデだった。
―汽汽爛┘16:10-11「エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った『主はこれらの者をお選びにならない』。サムエルはエッサイに尋ねた『あなたの息子はこれだけですか』。『末の子が残っていますが、今、羊の番をしています』とエッサイが答えると、サムエルは言った『彼を連れて来させてください』。・・・エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた『立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ』。サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った」。

2.サウルとダビデ

・油を注がれたダビデは、主の導きで、王の道具もちになっていく。王の職務を間近で学ぶためだ。
―汽汽爛┘16:14-21「主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。サウルの家臣はサウルに勧めた『・・・王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう』。・・・ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた」。
・かつて油を注がれた者と、新しく油を注がれた者が、共に暮らす。やがてダビデは王の将軍、娘婿にもなっていく。民の人気はダビデに集まり、サウルから憎まれるようになる。ダビデの本当の王としての修行はここから始まる。
―汽汽爛┘18:7-11「女たちは楽を奏し、歌い交わした『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』。サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか』。この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした」。
・サウルは何故王位から退けられ、ダビデは何故王位をまっとうできたのか。過ちを犯した時の悔い改めではないかと思われる。サウルは過ちを犯した時、自分でそれを修復しようとし、ダビデは主の前に泣いた。
―詩篇51:1-4「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来た時。『神よ、私を憐れんでください、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。私の咎をことごとく洗い、罪から清めてください』」。
・誰でも過ちを犯すが、過ちを認め、悔い改める時、神は必ず赦される。悔い改めが出来るかどうかが人生を分ける。
―エゼキエル18:26-28「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」。
・私たちは実を結ぶために選ばれる。愛の実である。サウルがそのことに気づけば、違う結末があったであろう。
―ヨハネ15:16-17「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなた方を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」。

3.神を侮る男ゴリアト

・ペリシテ軍は再びイスラエルに攻め上り、イスラエル軍は彼らと対峙した。
―汽汽爛┘17:1-3「ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を張った。一方、サウルとイスラエルの兵も集結し、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ軍との戦いに備えた。ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取った」。
・そのペリシテ軍から一人の大男が進み出、イスラエル軍に一騎打ちを申し出た。彼の背丈は3メートル、よろいは50キロもあり、青銅の投げやりを持っていた。イスラエルの兵士たちは彼を恐れて、たじろいだ。
―汽汽爛┘17:8-11「ゴリアトは立ちはだかり、イスラエルの戦列に向かって呼ばわった「どうしてお前たちは、戦列を整えて出て来るのか。私はペリシテ人、お前たちはサウルの家臣。一人を選んで、私の方へ下りて来させよ。・・・今日、私はイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ」。サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた」。
・勇猛な王サウルも、王子ヨナタンもこのゴリアトに挑戦できず、彼は40日にもわたってイスラエル軍を愚弄する。そこに兄たちに食糧を届けに来たダビデが来て、イスラエルの神を愚弄する男に腹を立てる。
―汽汽爛┘17:26「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか」。
・ダビデの言葉こそ戦意をなくしているイスラエルに必要だった。彼はサウルの前に出て言う「獅子の手、熊の手から守って下さった主はペリシテ人の手からも守って下さいます」。
―汽汽1エル7:34-37「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。私は獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。・・・獅子の手、熊の手から私を守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、私を守ってくださるにちがいありません」。

4.剣も槍も必要としないダビデ

・ダビデは単身ゴリアトに向かう。彼は槍も剣も持たず、ただ石投げの道具だけを持っていく。
―汽汽爛┘17:45-47「お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、私はお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前を私の手に引き渡される。私は、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」。
・集まった全ての者(ヘブル語カーハール)は集められた者、ギリシャ語エクレシアの意味である。エクレシアはやがて教会の意味に用いられていく。集められた者は、槍も剣も必要としない。ハンナの歌がそれを示す
―汽汽爛┘2:9-10「主の慈しみに生きる者の足を主は守り、主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。主は逆らう者を打ち砕き、天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし、王に力を与え、油注がれた者の角を高く上げられる。」
・生きるためには剣も槍も要らない。必要なものは与えて下さる。この信仰があれば、人生は祝福の人生となる。
―マタイ6:31-32「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。
・重装備の敵に重装備で立ち向かったサウルは何も出来なかった。敵の戦力が自分を上まわっていることを見たからだ。信仰者は主にゆだねることが出来る。だから彼は牢獄にいても主を讃美できる。
―ピリピ1:13-14「私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」。
・ダビデはゴリアトを倒し、サウルの武将として迎え入れられる。王になるための道が開けていった。
―汽汽爛┘17:48-51「ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。・・・ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した」。


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