すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2008-06-11 18:52:06 (1415 ヒット)

 篠崎教会では、水曜夜の祈祷会で旧約聖書を1章づつ読んでいます。創世記から始まったこの旧約の学びが今は列王記下21章まで来ました。その6年間の学びがホームページの旧約書庫に入っています。6年間学びを続けて思いますのは、旧約聖書を読むには忍耐が必要だということです。時には祭儀や儀式が数章にわたって続き、ここからどのように御言葉を読み取ればよいのか、わからなくなる時もあります。しかし、そのような忍耐の後で、目からうろこの喜びがあります。最近経験した喜びは申命記の発見です。

 列王記下21章は悪王と呼ばれたマナセの年代記です。マナセの父ヒゼキヤ王は預言者イザヤに従って善政を行いました。しかし、子のマナセの時代になると、アッシリアの勢力が強まり、マナセはユダヤに異教礼拝を取り入れます。親アッシリア派の台頭の中で、イザヤたち独立派の祭司は迫害されていきました。この時代にイザヤはのこぎり刑で殺されたと言われています。その迫害の中で、残された祭司たちは父祖からの伝承をまとめなおし、律法を編集して行きました。その結果出来上がった文書が申命記と言われています。

 マナセの孫ヨシヤはこの申命記に従い、改革を進めますが、やがてエジプトとの戦いで戦死、改革は挫折します。そしてヨシヤの死後、10年で国は滅びました。ヒゼキヤの改革もヨシヤの改革も全ては無駄に終わったかに見えました。申命記を編集した祭司たちの努力も報いられませんでした。しかし、イスラエルの民は亡国の後もバビロンで生き残り、やがてこの申命記を持って故国に帰り、新しいイスラエルを立てます。そして申命記は旧約聖書の中の一巻として残りました。
 
 それから500年後、この申命記の精神を生きられたのがナザレのイエスです。イエスは伝道を始める前に荒野で試練を受けられましたが、「石をパンに変えよ」との悪魔の誘惑に対して、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きると書いてある」(申命記8:3)と答えられます。「神殿の屋根から飛び降りたらどうか」との悪魔の誘いには、「あなたの神である主を試してはならないとも書いてある」(申命記6:16)と答えられました。「私を拝めば世の全てを与えよう」との誘惑には「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」(申命記6:13)と答えられました。

イエスの言葉の多くは申命記の新しい解釈によるものです。無駄に見えた申命記の編集がイエスによってよみがえり、今日の私たちに伝えられています。主の御言葉の不思議さを感じます。

川口通治


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2008-06-05 10:46:20 (1410 ヒット)

はじめまして。初投稿をさせていただきます。
いつも聖書の学びに篠崎教会のホームページを読ませていただいています。このように広く学びの場を設けていただいていることを心から感謝しております。

今日はマタイの20章を読みました。主人にたとえられる神様が、ぶどう園の労働に招くため、焼けるような暑さの中、自ら広場に出て仕事もなく立ち尽くす人々を招き続けておられるのだな、と思いました。

6時、9時、12時、15時、17時
と一日に5回も暑い広場に失業者を探しに行かれたのです。
ここで、時間の間隔に注目すると、
6時から9時まで3時間、以降3時間ごと・
しかし、15時から17時は間隔が2時間です。
3時間、3時間、3時間、2時間・・・・

なぜ最後だけ2時間なのか?とひっかかってしまいました。
もしかしたら最後に雇われた人にも、
労働の恵みとその喜びを
与えるためなのではないか、と感じました。

どんなに人生の遅くに招かれた人でも、
神様のために働くめぐみや喜びを味わう1時間が
与えられていると思うのはうれしいです。
まだ救われていない私の家族も、
神様はきっと招いてくださり、そして、
神様に仕える喜びの時間も備えてくださるということを
信じることができます。


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2008-06-05 09:54:08 (1127 ヒット)

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