すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2009-08-31 09:27:23 (1559 ヒット)

チャペル・コンサートを終えて 投稿 by : Kiyomi

8月29日に行われた『チャペル・コンサート』ではたくさん来場者の方に囲まれてとても素敵なひと時を過ごせました。

お越し頂きました、皆様本当に、有難うございました。

会場は、あらかじめ用意しておいた補助席を出しておりましたが、満員になりスタート前から、期待感一杯の温度でした。

The REAL DEAL時代から聞いていた方などは、『教会でライブをやる?!』という好奇心で
教会関係者の方などは『教会で、バンドによるコンサート?!』という感覚で思ってらっしゃったと思います。

“Tradjaig”と名を改めて、最初のライブがこの『チャペル・コンサート』なんです。

たくさんのチャレンジの中、私達、演奏者メンバーは大変勉強になりました。

クラシック曲〜ポピュラ〜オリジナル曲というプログラム構成の中、教会会場の主任牧師によるメッセージがとても印象的でした。http://shinozaki-baptist.jp/modules/wordpress/index.php?p=418
あらためて、『音楽』の影響がいかにあるか・・・・『人の心に刻まれる名曲』というのはどれほど、素晴らしいメッセージ性が隠されているのか・・・・新鮮なキモチで、聞く事ができました。

そして、今回は特別な事があったんです。

The REAL DEAL時代からよく言われていたオリジナル曲の意味
英詩のため、日本語訳を知りたいとたくさんの方に求められてきました。

過去にも翻訳してくださった方がいたのですが作者(リーダー)が表現したい方向が異なっていたため今まで、翻訳されたものは『公開』しておりませんでした。

今回、素晴らしい翻訳者の方が天使のように現れてくださり、すべての曲目を訳してくださり当日のプログラムに日本語訳の資料を挟んで渡しました。

いままで、英詞でさらっと聴きながしていたファンの方などコンサート終了後
『こういう歌だったのか!!』と興奮して、声をかけてくださいました。

私自身もとても興奮していたので、気持ちはすごい分かります。

練習仕込み〜コンサート当日までのプロセスがあまりにも素晴らしく、ホントウに感動でした。

そして、当日は音響的にたくさんの反省点を抱えましたが、今回、演奏をした『明日に架ける橋』(邦題)本当のタイトルは『Bridge over troubled water』ここから学んだ『荒れている海に橋を架ける』

どんな気分や感情があったとしても先が見えない荒海であったとしても『信仰』という橋を架ける意味があるのだと
期待をもって、次回につなげて行きたいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-08-27 09:03:09 (2580 ヒット)

毎週木曜日の旧約聖書の学びは、今週から、第三イザヤに入ります。イザヤ書は3部に別れ、アッシリアと対峙したイザヤの預言(1〜39章)、国を滅ぼされたバビロン捕囚民に帰国を呼びかける無名の預言者(第二イザヤと仮称されます)の言葉が40〜55章、帰国後の国の再建を指導する第三イザヤ(第二イザヤの弟子たち)の言葉が56〜66章です。

第二イザヤに励まされてエルサレムに帰還した人々は神殿再建に取り掛かりますが、飢饉やサマリア人の妨害で工事は中断され、経済生活は改善せず、人々は「第二イザヤの預言したエデンの園はどこにあるのか」と不満を募らせます。中断された神殿工事は、やがて再開され、前515年神殿は完成します。しかし神殿が完成しても経済状態は改善せず、共同体内部で争いが起き、民族主義者は異邦人排斥を訴えるようになります。このような混乱の中で、第三イザヤは第二イザヤの教えた「正義と公平」を取り戻せと人々に訴えます。

-イザヤ56:1-2「主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。私の救いが実現し、私の恵みの業が現れるのは間近い。いかに幸いなことか、このように行う人、それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人、悪事に手をつけないように自戒する人は」。

ここでは安息日を守ることが律法の中心にあります。神殿を喪失した捕囚の民は、「安息日を守り、割礼を受ける」ことに、民族のアイデンテティーを求めました。その結果、割礼を受けていない異邦人や宦官たちは共同体から排除されていきますが、第二イザヤの弟子たちは、民族を超えた救済に人々を導きます。50年間の不在の間に、エルサレムには多くの異邦人が住み、またペルシャ宮廷に仕える宦官たちも改宗してきたという背景があるのでしょう。

しかし本来のユダヤ律法は民族主義的な傾向を持ち、宦官や異邦人を排斥していました。申命記は記します

「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない」(申命記23:2-4)。

第三イザヤは「主なる神はユダヤ人だけの神ではなく、全世界の神である」として、継承された律法の書き換えを要求します。「聖書の書き換え」という驚くべき事態が進行します。

-イザヤ56:4-7「なぜなら、主はこう言われる。宦官が、私の安息日を常に守り、私の望むことを選び、私の契約を固く守るなら、私は彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、私の家、私の城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、私の契約を固く守るなら、私は彼らを聖なる私の山に導き、私の祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、私の祭壇で、私はそれを受け入れる。私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」。

その条件は安息日を守り、契約に従うこと。今日で言えば、主日礼拝を守り、献金を捧げることです。「救いは肉のユダヤ人だけでなく、全ての民族に解放されている」、ここに民族の枠を超えた救済論、イエスキリストの福音のさきがけがあります。

-ガラテヤ3:26-29「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-08-23 21:02:46 (1113 ヒット)

チャペルコンサートは16時半開場、17時開演で、終了は18時半を予定しております。先の案内では17時開場とご連絡しましたが、ご訂正ください。

篠崎キリスト教会 川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-08-22 08:52:03 (1702 ヒット)

音楽に表された聖書の言葉(8/29チャペルコンサート説教原稿から)

9.11テロ現場の犠牲者を追悼する集会の中で歌われ、さらには教会の礼拝の中で歌われた歌がある。ポール・サイモンが作った「明日に架ける橋」だ。

「明日に架ける橋」はこういう歌詞だ
「あなたが疲れてどうしようも無くなった時、涙があふれて止まらない時、私がその涙をぬぐおう。私はあなたの側にいる。つらい時、友があなたを見捨てて誰もいなくなった時、私は自分の身を投げて、この荒海の上に橋を架けよう」。

それはヨハネが新約聖書・黙示録の中で歌った、来るべき神の国の有様だ。
「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。そして「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」。

何故なら、キリストが全ての人の贖いとして自分の身を投げて下さった、神の側から私たちの方に橋を架けて下さった。だから私たちもこの荒海に、怒りと悲しみが分断してしまったこの海に橋を架ける。「明日に架ける橋」は現代の讃美歌なのだ。


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-08-16 08:35:21 (8862 ヒット)

「あなたに届けたい聖書の言葉・聖人の名言」(2009.8.16 Vol.032 作家 中井俊已)からの転載です。

あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。

人はどんなときに幸福を感じるのでしょうか。
多くの場合、何か望んでいたものを受けたとき、与えられたときかもしれません。
 
思いがけずに素敵なプレゼントをもらったとき、人から感謝されたとき、親切にされたときなど、やはり嬉しいものです。
 
ところが、「受けるよりも与える方が幸いである」と聖書は言います。人に何かをしてあげたらとても喜ばれて、自分も嬉しくなった経験がおありでしょう。人は互いに与え合うことによって幸福になれます。

でも、自分には与えるものなど何もないとおっしゃる方もいるでしょう。
何もなければ、あなたの愛と親切を与えればよいのです。
それは、あなた自身を分け与えることかもしれません。

たとえば、忙しいと感じているときでも、自分の時間を少しだけでも家族のために使い家族を喜ばせること。自分の好みを少しばかり押さえ、家族が喜ぶ何か小さいことをしてあげること。自分の話ばかりせずに、話を聴いてほしがっている人の声に耳をかたむけること、など。
 
このようにわたしたちが自分自身を与えることによって、わたしたちのまわりに幸福は生まれます。

マザー・テレサのことばです。
「親切で、慈しみ深くありなさい。あなたに出会った人がだれでも、まえよりももっと気持ちよく、明るくなって帰るようになさい。神さまのご親切の生きたしるしとなりなさい。親切があなたの表情に、まなざしに、ほほえみに、温かく声をかけることばに表われるように」


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