すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-28 09:23:17 (1103 ヒット)

篠崎キリスト教会では毎週の説教を聖書教育に沿って展開してきましたが、2012年5月より聖書教育は旧約の学びに入り、説教はマルコ伝に入ります。そのため、過去に行った旧約の学びを再録して提供します。

1.ヨナタンの友情

・ダビデはサウル王に命を狙われ、サムエルの下に避難した。しかし、サウル王の気持ちを確かめなければ今後の展望はもてない。ダビデは彼に好意を持つ王子ヨナタンの下に行った。
―汽汽爛┘20:1-2「ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った『私が、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、私の命をねらわれるのでしょうか』。ヨナタンはダビデに答えた『決してあなたを殺させはしない』」。
・ヨナタンの立場は複雑だ。彼は王子として父の権威の下にあり、友としてダビデを愛している。ダビデはヨナタンにサウル王の気持ちを確かめるための試みを依頼し、ヨナタンはこれを引き受ける。
―汽汽爛┘20:5-8「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。お父上が私の不在に気づかれたなら“ダビデは、ベツレヘムへ急いで帰ることを許して下さい、一族全体のために年ごとのいけにえを捧げなければなりません”と答えてください。王が“よろしい”と言われるなら僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思って下さい」。
・ヨナタンはダビデの依頼を受け、父を試す。サウルは息子ヨナタンがダビデをかばうのを見て怒り狂う。
―汽汽爛┘20:30-34「サウルはヨナタンに激怒して言った『心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない』。・・・サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけた。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、怒って食事の席を立った」。
・ヨナタンはダビデに王宮を離れて逃げるように伝える。二人は別れを惜しんで泣いた。
―汽汽爛┘20:41-42「従者が帰って行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。ヨナタンは言った『安らかに行ってくれ。私とあなたの間にも、私の子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから』」。

2.主が間におられる

・ここにあるのは選びの物語だ。サウルは神に選ばれて王になったが、その委託を果たさずに、自分の権力をほしいままにし、神に捨てられた。そして、新しい王としてダビデが選ばれた。ヨナタンはそのことを冷静に認める。
―汽汽爛┘20:13-15「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。その時私にまだ命があっても死んでいても、あなたは主に誓ったように私に慈しみを示し、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれる時にも、あなたの慈しみを私の家からとこしえに断たないでほしい」。
・王権が交替する時、新王は前王の一族郎党を殺して、将来の禍根を絶つ。しかし、ダビデは王になってもそうせず、ヨナタンの息子を自分の客として迎える。ヨナタンとの友情にこたえるためだ。
―競汽爛┘9:6-8「ヨナタンの子メフィボシェトは、ダビデの前に来るとひれ伏して礼をした『メフィボシェトよ』とダビデが言うと、『僕です』と彼は答えた。『恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、私はあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつも私の食卓で食事をするように』」。
・「神が合わせたものを人が離してはならない」(マタイ19:5-6)。人間は結婚の誓いさえ守ることが出来ないのに、何故敵同士であるヨナタンとダビデの間に友情が成立するのか。そこには信仰に基づく愛がある。
―汽汽爛┘20:23「私とあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえに私とあなたの間におられる」
・自分の利害よりも相手の利害を優先することが愛だ。それは人間の業ではなく、神の業だ。
―ヨハネ15:12-13「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。
・聖書はイエスが十字架につかれることにより、敵意という隔ての壁が取り崩されたと宣言する。
―エペソ2:14-16「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」。
・人間的には王の継承者はヨナタンだ。しかし、彼はダビデが自分よりも優れていることを認め、神の選びが彼の上にあるなら、彼が王になるようにと祈る。自分を超えていく者を喜ぶことは、信仰無しには出来ない。
―ローマ12:14-15「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-19 08:56:41 (1209 ヒット)

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1.ダビデの選び

・サムエルはサウルに油を注いで王に任命したが、そのサウルは主にそむき、祝福はサウルから去った。サムエルはサウルのことを嘆くが、主はサムエルに「新しく王となるべき者を見出したので、彼に油を注げ」と命じられる。
―汽汽爛┘16:1「主はサムエルに言われた『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。私は、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。私はその息子たちの中に、王となるべき者を見出した』」。
・サムエルはためらうが、主の言葉に従い、ベツレヘムのエッサイの子どもたちに会う。その中に候補がいると知らされたからだ。長男エリアブを見たとき、彼は「この人こそそうだ」と思った。
―汽汽爛┘16:5-6「サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った」。
・しかし主は違うといわれた「容姿や外見に惹かれるな。心を見よ」と主は言われる。
―汽汽爛┘16:7「主はサムエルに言われた『容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」。
・混乱の時には強いリーダーシップを持つ者が選ばれる。ペリシテを恐れないサウルのような勇者だ。しかし、今必要な人材は、主に仕える、自分が未熟であることを知るものだ。選ばれたのは、まだ、元服前の少年ダビデだった。
―汽汽爛┘16:10-11「エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った『主はこれらの者をお選びにならない』。サムエルはエッサイに尋ねた『あなたの息子はこれだけですか』。『末の子が残っていますが、今、羊の番をしています』とエッサイが答えると、サムエルは言った『彼を連れて来させてください』。・・・エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた『立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ』。サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った」。

2.サウルとダビデ

・油を注がれたダビデは、主の導きで、王の道具もちになっていく。王の職務を間近で学ぶためだ。
―汽汽爛┘16:14-21「主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。サウルの家臣はサウルに勧めた『・・・王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう』。・・・ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた」。
・かつて油を注がれた者と、新しく油を注がれた者が、共に暮らす。やがてダビデは王の将軍、娘婿にもなっていく。民の人気はダビデに集まり、サウルから憎まれるようになる。ダビデの本当の王としての修行はここから始まる。
―汽汽爛┘18:7-11「女たちは楽を奏し、歌い交わした『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』。サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか』。この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした」。
・サウルは何故王位から退けられ、ダビデは何故王位をまっとうできたのか。過ちを犯した時の悔い改めではないかと思われる。サウルは過ちを犯した時、自分でそれを修復しようとし、ダビデは主の前に泣いた。
―詩篇51:1-4「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来た時。『神よ、私を憐れんでください、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。私の咎をことごとく洗い、罪から清めてください』」。
・誰でも過ちを犯すが、過ちを認め、悔い改める時、神は必ず赦される。悔い改めが出来るかどうかが人生を分ける。
―エゼキエル18:26-28「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」。
・私たちは実を結ぶために選ばれる。愛の実である。サウルがそのことに気づけば、違う結末があったであろう。
―ヨハネ15:16-17「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなた方を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」。

3.神を侮る男ゴリアト

・ペリシテ軍は再びイスラエルに攻め上り、イスラエル軍は彼らと対峙した。
―汽汽爛┘17:1-3「ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を張った。一方、サウルとイスラエルの兵も集結し、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ軍との戦いに備えた。ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取った」。
・そのペリシテ軍から一人の大男が進み出、イスラエル軍に一騎打ちを申し出た。彼の背丈は3メートル、よろいは50キロもあり、青銅の投げやりを持っていた。イスラエルの兵士たちは彼を恐れて、たじろいだ。
―汽汽爛┘17:8-11「ゴリアトは立ちはだかり、イスラエルの戦列に向かって呼ばわった「どうしてお前たちは、戦列を整えて出て来るのか。私はペリシテ人、お前たちはサウルの家臣。一人を選んで、私の方へ下りて来させよ。・・・今日、私はイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ」。サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた」。
・勇猛な王サウルも、王子ヨナタンもこのゴリアトに挑戦できず、彼は40日にもわたってイスラエル軍を愚弄する。そこに兄たちに食糧を届けに来たダビデが来て、イスラエルの神を愚弄する男に腹を立てる。
―汽汽爛┘17:26「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか」。
・ダビデの言葉こそ戦意をなくしているイスラエルに必要だった。彼はサウルの前に出て言う「獅子の手、熊の手から守って下さった主はペリシテ人の手からも守って下さいます」。
―汽汽1エル7:34-37「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。私は獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。・・・獅子の手、熊の手から私を守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、私を守ってくださるにちがいありません」。

4.剣も槍も必要としないダビデ

・ダビデは単身ゴリアトに向かう。彼は槍も剣も持たず、ただ石投げの道具だけを持っていく。
―汽汽爛┘17:45-47「お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、私はお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前を私の手に引き渡される。私は、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」。
・集まった全ての者(ヘブル語カーハール)は集められた者、ギリシャ語エクレシアの意味である。エクレシアはやがて教会の意味に用いられていく。集められた者は、槍も剣も必要としない。ハンナの歌がそれを示す
―汽汽爛┘2:9-10「主の慈しみに生きる者の足を主は守り、主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。主は逆らう者を打ち砕き、天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし、王に力を与え、油注がれた者の角を高く上げられる。」
・生きるためには剣も槍も要らない。必要なものは与えて下さる。この信仰があれば、人生は祝福の人生となる。
―マタイ6:31-32「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。
・重装備の敵に重装備で立ち向かったサウルは何も出来なかった。敵の戦力が自分を上まわっていることを見たからだ。信仰者は主にゆだねることが出来る。だから彼は牢獄にいても主を讃美できる。
―ピリピ1:13-14「私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」。
・ダビデはゴリアトを倒し、サウルの武将として迎え入れられる。王になるための道が開けていった。
―汽汽爛┘17:48-51「ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。・・・ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-10 23:28:18 (883 ヒット)

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1.士師サムエル

・契約の箱がペリシテからイスラエルに戻り、20年が過ぎたが、イスラエルは以前ペリシテの支配下にあった。サムエルはイスラエルの独立のために、偶像の神々を祭壇から取り除くように人々に求めた。
―汽汽爛┘7:3-4「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」。
・彼はミツバに民を集め、悔改めの儀式を執り行った。罪ゆえにペリシテを排除することが出来なかったからだ。
―汽汽爛┘7:5-6「人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で「私たちは主に罪を犯しました」と言った。サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った」。
・ペリシテ人は民が集合していたミツパに軍を送った。先に人々は神の箱を持ち出して、ペリシテと戦おうとしたが、今回はそうしなかった。神の箱に力があるのではなく、守って下さるのは主であることを知ったからだ。
―汽汽爛┘7:7-11「イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来た。・・・サムエルは・・・イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた」。
・こうしてサムエルが士師として働いている間、イスラエルは平和を得た。
―汽汽爛┘7:13「ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた」。

2.王を求める人々

・サムエルは年老い、その職務を息子たちに譲った。しかし、息子たちはサムエルのように、民に仕えようとはせず、自分たちの利益を求めた。民はサムエルに王を立てるように求めた。
―汽汽爛┘8:4-5「イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」。
・危急の時に指導者を選ぶ士師制度では、周囲の国々からの侵略に対抗できないという現実があった。主は王政をやむをえない悪として認めよとサムエルに言われた。しかし、それはあくまでも悪である。
―汽汽爛┘8:7-9「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」。
・サムエルは「王はあなたたちの息子や娘を徴用し、あなたたちから税金や賦役を求めるが、それでも良いのか」と民に問うた。民はそれでも王が欲しいと求めた。
―汽汽爛┘8:17-20「あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」。民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです」。
・王政になれば王は自分の考えで動き始め、主の御心を求めない。王が見るのは人間の現実であり、それを超える神の現実を見ようとはしない。王政の採用により、イスラエルは滅びの道を歩き始める。
―イザヤ31:1-3「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない。・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」。
・誰が本当の守り手であるのか。イスラエルがそれを知るのは、国を滅ぼされた後だ。
―エレミヤ33:5-7「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ。しかし、見よ、私はこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらす。・・・ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めの時のように建て直す」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-06-06 08:25:39 (964 ヒット)

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1.サムエルへの呼びかけ

・シロの祭司エリの二人の息子は祭司としての召命も責任も感じないでほしいままに行動していた。エリは子たちをとがめたが、子は聞かない。神の裁きが息子たちの上に下った。主に仕えない祭司は除かれる。
―汽汽爛┘2:29-35「あなたはなぜ・・・自分の息子を私よりも大事にして、私の民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。・・・あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえに私の前に歩む、と約束した。だが、今は決してそうはさせない。・・・あなたの二人の息子ホフニとピネハスは同じ日に死ぬ。私は私の心、私の望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう」。
・エリ二人の息子に代わり、祭司として立てられたのがサムエルであった。彼はまだ13歳の少年であった。サムエルは主の呼びかけを理解できなかった。神殿のろうそくが消えるころ、夜明け前であった。
―汽汽爛┘3:1-5「少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。・・・ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが「私は呼んでいない」と言ったので、サムエルは戻って寝た」。
・同じことが三度続いた。エリは主が呼びかけておられることを知り、サムエルに「主よ話したまえ、僕は聞きます」と答えるように命じた。サムエルがその通り答えると主の声が聞こえた。
―汽汽爛┘3:10-14「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた「サムエルよ」。サムエルは答えた「どうぞお話しください。僕は聞いております」。主はサムエルに言われた「見よ、私は、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。その日私は、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。私はエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。私はエリの家について誓った。エリの家の罪は、いけにえによっても献げ物によってもとこしえに贖われることはない。」
・主の言葉は恩師エリの家の審きについての言葉だった。しかし、サムエルは聴き、聴いた事をエリに伝え、エリもそれを受け入れた。預言者は聞きたくないことを聴き、話したくないことをも話し、聴く者はそれを受け入れる。
―汽汽爛┘3:15-18「サムエルはエリにこのお告げを伝えるのを恐れた。エリはサムエルを呼んで言った「わが子、サムエルよ」。サムエルは答えた「ここにいます」。エリは言った「お前に何が語られたのか。私に隠してはいけない・・・」。サムエルは一部始終を話し、隠し立てをしなかった。エリは言った「それを話されたのは主だ。主が御目にかなう通りに行われるように」。

2.聴くこと

・祈りには人間が主格のものと、神が主格のものがある。「僕は話します。主よ、お聞きください」という祈りは人が主格だ。「僕は聞きます。主よお語りください」と言う時、神が主格になる。イエスが教えられた祈りもそうだ。
―マタイ6:7-8「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」。
・「聞く」とは音を耳に感じることだ。「聴く」とは耳を立てて聞く、注意して聞くことだ。主の言葉も「聞くから聴く」になるとき、私たちの耳に聞こえてくる。イザベラに追われたエリヤがシナイ山で聞いた声もささやく声だった。
―砧鷁Φ19:12-13「火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」」
・神の言葉は語られる事を通して聴かれる。礼拝では聖書が朗読され、説教がなされる。説教は神の言葉の解き明かしだ。礼拝とは神の言葉が語られ、その解明かしが述べられる場であり、私たちはそれを聴くために教会に集められる。
―申命記6:4-7「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」。
・その時、私たちは聴きたくないことも、知りたくないことも、聞かなければいけない。エリが自分の家に対する裁きをも、「御心のままに」と受け入れたように、私たちも御心を受け入れていく。
―マルコ14:35-36「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」


投稿者 : admin 投稿日時: 2012-05-30 08:17:41 (995 ヒット)

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1.不妊の女ハンナの苦しみ

・サムエル記は列王記と並ぶ歴史書であり、預言者サムエルの誕生から王ダビデの死までを描く。サムエル記の主な登場人物はサムエル、サウル、ダビデの三人であるが、その出生にまでさかのぼって描かれるのはサムエルのみであり、彼にダビデ以上の地位が与えられている。王よりも王を任じた神の歴史を描くという歴史観がそこにある。
・1章はサムエル誕生の物語である。エフライムに住むエルカナはハンナを妻としたが、彼女が不妊であったため、ぺニナを二番目の妻として迎える。子をもうけるための多妻は認められていたが、このことが家庭不和をもたらす。
―汽汽爛┘1:2「エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はペニナで、ペニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった」。
・子のない女性は呪われていると当時は考えられていた。二番目の妻ぺニナはハンナに子がないことを賤しみ、ハンナを苦しめた。特に毎年のシロの神殿への巡礼は妻たちの不和が表面化し、ハンナには辛い時だった。
―汽汽爛┘1:4-7「いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、ハンナには一人分を与えた。彼はハンナを愛していたが、主はハンナの胎を閉ざしておられた。彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった」。
・夫エルカナは妻ハンナを慰めるが、彼女の気持ちは癒されない。ハンナは主の神殿に籠もり、男の子が与えられるように激しく祈った。何とかして子を持って、ペニナを見返したい。彼女の祈りの原動力はペニナに対する嫉妬であった。
―汽汽爛┘1:10-11「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」
・ハンナは子が与えられてペニナを見返すことを願った。しかし、祈るうちに彼女は変えられていく。「自分の苦しみを知って欲しい、助けて欲しい」という祈りが、「子をいただきましたら、あなたに捧げます」という祈りに変えられていく。神殿の祭司エリはハンナの祈りが聞かれるように、共に祈り、ハンナは祈りが聞かれたことを信じて帰途につく。
―汽汽爛┘1:16-18「エリは、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった」。

2.子を与えられたハンナの喜び

・主はハンナの祈りを聞かれた。ハンナは身ごもり、男の子を産み、彼をサムエル(主聞きたもう)と名づける。
―汽汽爛┘1:19-20「エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエルと名付けた」。
・ハンナは子どもが乳離れするまで手元に置き、それから子どもを主に捧げるために、シロの神殿に行った。
―汽汽爛┘1:24-28「乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。私は、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。私はこの子を授かるようにと祈り、主は私が願ったことをかなえてくださいました。私は、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した」。
・ハンナが子を持つことを強く願った経緯は、もう一人の妻ペニナに対する、激しい嫉妬だった。子を持ってペニナを見返したい、その思いがハンナに激しい祈りを与えた。2章前半のハンナの祈りはそのことを隠さない。
―汽汽爛┘2:1-5「主に会って私の心は喜び、主にあって私は角を高く上げる。私は敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び祝う。・・・驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神、人の行いが正されずに済むであろうか。・・・子のない女は七人の子を産み、多くの子をもつ女は衰える」。
・しかし、祈りが聞かれることを通して、嫉妬が主への讃美に変えられていく。神は人間の罪さえも良いものにされる。
―汽汽爛┘2:6-8「主は命を絶ち、また命を与え、陰府に下し、また引き上げてくださる。・・・弱い者を塵の中から立ち上がらせ、貧しい者を芥の中から高く上げ、高貴な者と共に座に着かせ、栄光の座を嗣業としてお与えになる」。
・同級生にいじめられて自殺する子どもたち、上司の叱責に耐えかねて命を絶つ大人たち。彼らが人間を超える者により頼むことを知っていれば、死ななくとも済んだ。ハンナの物語を私たちは伝えていく必要がある。
―マルコ9:22-24「おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のない私をお助けください。」


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