すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-04-15 17:39:06 (99 ヒット)

1.今ある状態のままでキリスト者たれ

・コリント教会には奴隷も自由人もいた。奴隷の人たちは、何とか奴隷の境遇から抜け出したいと焦燥感を持っていた。パウロはそのような人々に、召された時に奴隷であった人々は奴隷のままでいなさいと勧める。
−1コリ7:20-21「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい」。
・何故ならば、キリストによって召された者は、キリストによって自由にされたのだとパウロは言う。
−1コリ7:22「というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。」
・また自由人として召された者は、その時、キリストの奴隷になったのだ。どのような職業生活をおくるかは、救いに関係がない。むしろ、どのような信仰生活をおくるかに、心を向けなさい。
−1コリ7:22-24「主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。・・・兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい」。
・終わりの時は近づいている。その時、どのような職業につこうが、どのような家庭を形成しようが、本質的な問題ではない。最も大事なことは、あなたがキリストに属していることではないか。
−1コリ7:29-31「定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」。

2.コロサイ書における従属

・コロサイ書3章は「家庭についての教え」を述べる。ここでは、妻と夫、子と父、奴隷と主人の関係が記されている。具体的には「妻は夫に仕えなさい」、「子は親に従いなさい」、「奴隷は主人に従いなさい」と説かれている。ある人はこの箇所をさして言う「パウロはキリストにあっては男も女もなく、奴隷も自由人もないと教えたのに、ここでは逆のことを教える。パウロでさえ、世の慣習、制度から自由でなかったのか」(ガラテヤ3:28)。別の人は言う「ここでは弱者の従属が説かれている。この従属規定のために、古代・中世は暗黒の時代だった。近代はこの従属から解放され、自由・平等・博愛の理想を求めた所から始まった」。コロサイ3章で説かれている家庭訓は古い教え、家父長的倫理であり、男女の平等・親子の人格的尊重の説かれる現代では聞く価値がないことなのだろうか。
・18−19節では妻たちに対して「夫に仕えるように」命じられている。それは単に「夫に従え」と言われているのではなく「主を信じる者にふさわしく、夫に仕えよ」と言われている。ギリシャ語では「エン・キュリオー=主において」である。キリストに従うように夫に従え、信仰の行為として夫に仕えよと言われている。同じ言葉が夫にも向けられる「夫たちよ、妻を愛しなさい」。古代において「妻は夫に従え」という教えはギリシャにもあった。「妻を治めよ=支配せよ」との夫への勧告はあった。しかし、夫に対して「妻を愛せよ」という教えはなかった。当時、妻は夫の隷属物であり、愛する存在ではなかった。従って、「妻を愛せよ、つらく当たってはいけない」と夫に呼びかけられていることは革命的な教えであった。
・次に子どもに対して「親に従いなさい」と説かれている。古代において、子が父に従うことは当然であった。しかし、ここでは同時に父に対して「子につらく当たるな」と説かれている。当時の子どもたちは何の権利も持たなかった。その子どもの人格を敬えと言われている。しかも「主に喜ばれる」事として言われている。子が親に従う、親が子を人格として敬うことが信仰の出来事として説かれている。これは今までになかったことだ。
・最後に、奴隷は「主人に従え」と言われている。当時は奴隷制社会だった。パウロは奴隷制を不当なものではなく、当然のものとして受け入れることを求めているのだろうか。そうではないことが4:1を読めばわかる。奴隷が主人に従うことを定めた戒めは多いが、主人に対して「奴隷を正しく、公平に扱うように」求めた文書は聖書以外ない。奴隷は殺そうが、病気で死なせようが、主人の意のままであった。しかし、パウロは主人に言う「あなた方はそうではあってはならない。あなたの奴隷もまた主に愛されているのだから」と求めている。奴隷も主人も共にキリストのものだから、奴隷を痛めつけてはならないと命じられている。当時の世界で、奴隷主に対して、このような戒めを送ったのは、異例なことである。
・パウロは何故、子どもや妻に従属を勧めるのか。それは従属する以外に、彼らの生きる道がなかったからだ。子どもは養ってくれる親なしでは生きることは出来なかった。妻の経済的自立のない当時においては、夫に従うしか、妻の生計の方法はなかった。奴隷もまた、主人に養われる以外の生存はなかった。他に選択肢がない状況下であれば、それを神が与えてくださった道として積極的に選び取って行きなさいとここで言われている。

3.第一ペテロ書に見る従属

・第一ペテロも同じ教えを述べる。
−第一ペテロ2:18−19「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」。
・ここでは寛大な主人だけではなく、無慈悲な主人であっても従えと求められている。神がそのようにこの世を作られたのだから仕方がないという諦めではなく、もっと積極的な意味がある。ペテロは続ける
−第一ペテロ2:20-24「「罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。キリストは『ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました』」。
・キリストがののしられてもののしり返さず、苦しめられても報復されなかったように、あなた方も与えられた人生の中で最善を尽くせ、奴隷であることを逃れて新しい身分にあこがれるよりも、神があなたに奴隷の身分を与えて下さったのであれば、奴隷として最善を尽くして生きよとの信仰の選択が迫られている。ペテロは妻にも同じことを言う。自分の夫が未信者であることを歎くより、あなたの信仰に基づいた従属を通して、夫に信仰とは何であるかを示しなさい。神が何故あなたに未信者の夫を与えたのか、それはあなたを通して夫が信仰に入るためであり、そのために最善を尽くせと言われている。
−第一ペテロ3:1-2「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。

4.聖書の教えと私たちの選択

・個々にある三つの教えは諦めの教えではない。奴隷の身分から解放される機会があればその機会を生かせ、しかし奴隷であることを不当として主人の下から逃走し、一生を逃げ隠れてして送ることが神の御心ではない事を知れと言われる。婦人に対しては、どのような夫であれ従え、しかし夫が死ねば再婚しても良いと言われる。無慈悲な主人、不信仰の夫、かたくなな父、このような現実から目をそむけるな。現実に立ち向かえ、現実を神が与えて下さった導きとして積極的に従って行け。これこそキリストが為されたことであり、あなた方が従う道なのだといわれている。
・ここにおいて、私たちの主体的選択による従属の意味がわかってくる。現在の境遇は神が与えてくれたものだ。それに不満を言い、一時逃れの行為をしても、そこからは何も生まれない。むしろ、与えてくれた夫、与えてくれた父、与えてくれた主人を敬い、従うことを通して、道が開かれて来るのだ。ここに支配と従属に代わる新しい掟、自ら僕となる聖書の説く従属がある。それは自ら仕えて行くという積極的従属だ。パウロはコロサイの人々に言う「現在の苦しみを忘れるために霊の力を借り、神秘を求めても仕方がないのだ。現在の与えられた境遇の中で、何が神の御心であるかを求めていくのが、足が地に付いたキリスト者の生き方ではないか」。
・最後にアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの「平静についての祈り」を聞こう。「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。教会形成も同じだ。人が足りない、お金が足りない、設備が足りないと歎くより、今与えられているもので何が出来るのかを求めよ。不足や困難が与えられているとすれば、それを通して神が私たちをどこへ導こうとされているかを祈り求めよ。そこに道が開かれる。聖書は私たちにそう教える。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-04-08 19:26:01 (87 ヒット)

1.キリストの体である教会で何故争いが起こるのか

・コリント書を読んでいます。今日が三回目になります。教会は「エクレシア」と呼ばれます。エクレシアとは「呼び集められる」と言う意味です。キリストの名によって呼ばれた者が集められ、神の言葉を聞き、それぞれの場で福音を伝えるために遣わされる場所です。ところが現実の教会ではそこに対立や紛争が生じます。争いの多くは、人間的な結びつきによるもので、この世の争いと変わりません。何故キリストの体である教会において、この世と同じような人間的な争いが起こるのか。このような争いを私たちはどのように解決したらよいのか、それを私たちに教えるのが、コリント教会の経験です。今日、私たちはコリント第一の手紙3章1-13節を読みますが、3章4節には次のような言葉があります「ある人が『私はパウロにつく』と言い、他の人が『私はアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」とパウロは書きます。
・コリント教会はパウロの開拓伝道により生まれました。巡回伝道者パウロはコリントに1年半滞在して教会の基礎を築き、その後を同僚のアポロに託して、エペソに移ります。アポロは雄弁家で、聖書に精通し、その説教は人々を魅了したようです。アポロに惹きつけられた人々はアポロ指導下に新しい方向に導かれることを望むようになっていきました。他方、創設者パウロからじかに教えを受け、導かれた人々は、そのような動きを、教会を誤った方向に導くものだと強く反対していました。アポロは雄弁で、外見も立派だったと伝えられています。他方、パウロは朴訥でその説教はわかりにくかったようです(競灰螢鵐10:10)。教会の人々は外見や説教で二人を比べ、「私はアポロに」、「私はパウロ」にと争っていました。コリント教会にはその他にもペテロ派と呼ばれるユダヤ人たちもおり、彼らは律法よりも恵みを強調するパウロに違和感を持っていました。そのような教会内部の争いがエペソにいるパウロにも聞こえてくるほどに大きくなり始めていたのです。
・このコリント3章を読む時、いつもため息が出ます。人はバプテスマを受けても、受ける前と同じことばかりしているのだろうかというため息です。教会の混乱はコリントだけの問題ではありません。今日の教会でも、長い間牧会をされた牧師が引退されて新しい牧師が招かれた時、新任牧師は自分なりのやり方で教会を導こうとします。その時、前任牧師を慕って来た人々は新しい牧師のやりかたに不満を持ち、「昔は良かった」とつぶやき始めます。他方、新しい牧師からバプテスマを受けた人々は前牧師派を「旧守派」として排撃し始めます。こうして教会内に争いが始まります。私が神学校で学んだ時、牧会学の先生はこのように言っていました「あなたたちが教会に赴任した時、最初の5年は苦労する。赴任した教会の信徒たちは前の牧師によって導かれた人々であり、あなたたちに違和感を持つだろう。あなたたちがバプテスマを授けた、あるいは導いた人々が教会の半数を超えた時、その時、教会はあなたたちの教会になる」。
・15年間の牧師生活を通して、この人間的な言葉は真実をついていると思います。しかし、それではいけないのだとパウロは言います。教会も人間の集まりであり、意見の対立や争いはやむをえないという考えに対して、教会は違うとパウロは言います。彼はコリント教会に書き送ります。「(あなたがたは)相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」(3:3)。「キリストのバプテスマを受けたあなたがたはもはや肉の人ではなく、霊の人なのだ。あなたがたがバプテスマを受けた時、あなたがたの市民権はこの世から天に移され、あなたがたは天の市民権を持ちながらこの世を生きる者にしていただいた。それなのに、何故いつまで世の人と同じ歩みをしているのですか、それではキリストは何のために十字架につかれたのですか」とパウロはコリント教会の人々に迫ります。

2.肉の人から霊の人へ

・キリストを救い主と受け入れるためには、霊の働きが必要です。コリント教会の人々はこの霊を受けてキリスト者となりました。しかし、霊を受けても乳飲み子のままにとどまっている人が多いとパウロは指摘します。「兄弟たち、私はあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまりキリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。私はあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません」(3:1-2)。教会に導かれたが、まだ自覚的な信仰を持たない人々です。彼らは、教会はキリストの体であり、アポロもパウロもキリストに仕える僕に過ぎないことを理解していません。だから「私はパウロに」、「私はアポロに」という愚かな争いをするのです。
・パウロが求めるのは「信仰に成熟した人」(2:6)です。固い食物を食べることの出来る人、「パウロが植え、アプロが水を注いだかもしれないが、成長させて下さるのは神である」ことを理解できる人です。彼は言います「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(3:5-6)。教会を立て上げるのは、パウロでもアポロでもなく、神なのである、それをわかって欲しいとパウロは訴えています。人間的な好き嫌いの感情の下に、「私はアポロに」、「私はパウロに」、という争いをするために教会に集められたのではないのだと。信仰の未熟者から成熟者になれとパウロは言います。

3.成熟した信仰者になれ

・パウロは10節から教会を建物に例えて説明をしています。彼は言います「私は、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています」(3:10)。パウロがコリント教会の土台を築き、アポロがその上に建物を建てました。パウロは続けます「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(3:10b-11)。パウロが土台を築きましたが、その土台になっているのはあくまでもキリストです。パウロもアポロも「神のために働く同労者」に過ぎず、土台はキリストなのであるとパウロは強調します。
・パウロは続けます「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです」(3:12-13)。耐久性のある資材(金、銀、宝石)で上物を造ったのか、それとも当座の必要を満たす物(木、草、わら)で造ったのかは、50年後、100年後に明らかになるでしょう。目先だけを考えた材料は50年後、100年後には朽ち果てるからです。「だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受ける」(3:14-15)のです。
・私たちの教会は、会堂建設にあたって、基礎工事に相当のお金と時間をかけ、上物に耐久性のある資材を選びましたので、予算は当初の6,500万円から8,500万円に増加しました。小さな教会にとっては大幅な増額で、増額部分を教会債という形でお願いしましたので、結果的に自己資金(献金)は3,000万円、教会債4,000万円、連盟借入金2,000万円という形の資金調達になりました。資金の7割近くが借入金ですが、この借入金の66%を占める教会債は教会員の方々からの借入であり、その基礎はキリストに対する信仰です。連盟貸付も諸教会からの献金が原資になっており、これもまた信仰が土台になっています。会堂建設の基礎もまたキリストなのです。
・パウロが言いますように、教会は建物ではありません。そこに集う一人一人の信仰者の共同体こそが教会です。しかし同時に教会は会堂を必要とします。私たちの会堂の内部はすべて木造で、一切塗装していませんので腐食に強く、外壁はガルバリウム鋼板で耐久性や耐火性に優れています。設計の畑聡一先生のお話では、50年後に会堂はさらに美しい色合いとなり、100年後も基本構造の修理は不要とのことです。私たちはこれからの子どもたちや孫たちに素晴らしい会堂を残すことが出来たのです。しかし、会堂を維持するためには知恵が必要です。私たちは本日午後から建築委員会を開催し、借入金の返済問題についての話し合いを持ちます。一人一人の教会員が、この会堂の真の土台石はキリストであり、キリストが共にいてくださる限り、この会堂は神の宮で在り続けると信じる時、借入金の返済負担も共に担うことが可能になります。私たちの信仰の証しが、この会堂であるという信念を持ち続けた時、この会堂は立ち、そして立ち続けるのです。
・今日の招詞に1コリント3:22-23の言葉を選びました。次のような言葉です。「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」。パウロは党派争いをするコリント教会へ書いた手紙の3章を素晴らしい讃歌で締めくくります。私たちは何のために生きているのか、今生きているのは自分の力で生きているのか、それとも生かされているのか、生かされているとしたら神は私たちに何を期待しておられるのか。それをパウロは「パウロもアポロもあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」と簡潔に言い表します。このような願いを持って生きる時、もう「私はパウロに、私はアポロに」という争いは消え、教会は神の宮となります。
・内村鑑三の墓は多磨霊園にありますが、その墓碑には次のような言葉が刻まれています「I for Japan.japan for the world.The world is for Christ. And all for God.」。「私は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、そして全ては神のため」、内村もパウロの言葉を借りて自分の気持ちを述べたのでしょう。私たちがキリストにある大志を持って教会形成に取り組んでいった時、教会は世に福音を伝える拠点になりうるのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-04-01 17:53:22 (110 ヒット)

1.コリント教会の分裂騒動

・ローマ書を読み続けてきましたが、先週で終了し、今日からコリント書の学びに移ります。コリント書はパウロが開拓伝道したコリント教会に宛てた手紙です。コリント教会は多くの問題を抱えていました。それらの問題に対処するため、パウロは何度もコリント教会宛の手紙を書いています。聖書には二通の手紙だけが収録されていますが、実際は四通ないし五通手紙が書かれたと考えられています。今日読みますコリント第一の手紙は紀元55年頃、滞在先のエペソで書かれたと思われます。
・パウロはマケドニア伝道を終えてギリシアのアテネに行きましたが、アテネでは何の成果もなくパウロは意気消沈してコリントにわたります。しかしコリントの人々はパウロを受け入れ、1年半の伝道を通して、そこに教会が生まれていきます(使徒行伝18章以下)。教会設立後、パウロはコリント教会の今後をアポロに委ねて去り、今度はエペソの開拓伝道に力を注ぎました。そのエペソにいるパウロのところに、「コリント教会がおかしくなっている、人々が分派に分かれて争っている」との報告が届けられました。教会内の争いはいつの時代にもあります。今日、私たちは、パウロがコリントへ出した手紙を手がかりに、教会に争いが起きた時、どのように対処すればよいのかを学びます。
・パウロが去った後のコリントでは、人々がそれぞれの正しさを主張して、他の人々と対立し始めていました。パウロに導かれてバプテスマを受けた人々は、パウロの教えを大事にしました。パウロの後継者アポロは博識で雄弁でしたので、アポロの説教に感動した人々は、アポロ派を形成していきました。そのアポロは、教会内に分派争いが生じた時、身を引いてコリントを去ります。手紙が書かれた当時、コリントには牧師がおらず、エレサレム教会からの巡回伝道者が訪れて、回心者にバプテスマを授けていたようです。巡回伝道者からバプテスマを受けた信徒たちは、「エルサレム教会の指導者ペテロこそ本当の使徒だ」としてペテロ派になったのでしょう。また、教会内の争いにうんざりしていた人々は「私はキリストにつく」と言って、別のグループを形成したようです。こうしてコリント教会は分裂状態に陥ってしまいました。
・パウロは教会の人々に問います「キリストはいくつにも分割されたのですか」(1:13)。教会はキリストが頭であり、教師はキリストに仕える僕に過ぎないのに、何故、僕である教師が主であるキリストより重視されるのですかと彼は問います。次にパウロは「私があなたがたのために十字架につけられたのですか」と問います。「キリストが死んで下さったのであって、私が死んだのではない。あなた方は、私に救われたのではなく、キリストの十字架で救われたのだ。その十字架を仰ぎながら、互いに争うとしたら、十字架は飾りになってしまったのか」とパウロは問いかけます。
・最後にパウロは言います「あなたがたはパウロの名によってバプテスマを受けたのですか」。「名によって=名の中へ」への意味です。あなたがたはバプテスマを受けて、キリストの名の中に入れられた、キリストに属する者とされた。それなのに誰がバプテスマを授けたかにどうしてこだわるのか。パウロからバプテスマを受けた者はパウロ派になり、アポロから受けた人はアポロ派になる、それが正しい信仰と思うのかとパウロは問います。バプテスマとは水に入ってキリストと共に一度死に、水から引き上げられてキリストと共に新しく生きることです。そのキリストに結ばれる行為が何故、人に結ばれる行為となるのかとパウロは問いかけます。

2.君もそこにいたのか

・コリント教会の争いは他人事ではありません。私たちの教会にも起こる出来事だからです。私の出身教会は中野バプテスト教会ですが、中野では40年間牧会された先生が高齢になって名誉牧師となり、新しい牧師が招聘されましたが、教会の中に前任牧師を慕うグループと、現在の牧師を慕うグループが分かれ、何人かの人は教会内の争いに嫌気がさして教会を出て行かれました。この篠崎キリスト教会でも、牧師と有力執事が対立し、教会が分裂し、多くの信徒が散らされていった悲しい歴史を持っています。どこの教会でも、コリントのような争いは起こりうるのです。では何故、そのような争いが起こるのでしょうか。
・パウロは、「あなたがたがキリストの十字架の意味を本当には理解していないから、このような争いが起きるのだ」と語ります。彼は手紙の中で述べます「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」(1:18)。キリストの十字架は私たちに決断を迫ります。「Were you there when they crucified my Lord」という黒人霊歌があります。日本語では「君もそこにいたのか」です。「君もイエスを十字架につけたのではないのか、君も自分のことのみを優先し、他者を足蹴にして生きてきたのではないか。十字架につけられたキリストは、君に、君の罪を告白することを迫るのだ」という歌です。
・キリストの十字架に直面して、自分の罪が本当にわかった時、世の知恵は人を救う力がないことがわかります。人間は自らの知恵によって、地中から金属を抽出することが出来るようになりました。その金属を用いて人間が最初に造ったものは、他人を殺傷する武器でした(創世記4:22-23「ツィラもまた(レメクによって)、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった・・・レメクは妻たちに言った『・・・私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す』」)。私たちはキリストの十字架の時、まさにその場にいて、他の人々と同じく「イエスを十字架につけよ。自分を救えない者がどうして他人を救うことなど出来ようか」と叫んでいたのです(マルコ15:31)。だからパウロは叫びます「キリストが私を遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」(1:17)。あなた方はキリストの十字架を虚しくしているのだとパウロはコリントの人々に語るのです。

3.十字架の言葉に従う

・今日の招詞に1コリント1:22-24を選びました。次のような言葉です。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。聖書学者の佐藤研氏は「十字架」という日本語があまりにもロマンチックな表象になり、イエスの死の実態とかけ離れている故、「十字架刑」ではなく「杭殺刑」を用いるように提案します。彼は言います「十字架と訳されているstaurosは本来、杭を意味し、杭殺刑は、古代においてはきわめて重大であったところの、人間の『誇り』を徹底的に破壊し、恥辱の極みに突き落とす処刑法である・・・それは見せしめの効果を最も悪辣に狙った惨殺方法なのである」(佐藤研「洗礼と十字架、訳語はこれで良いのか」、新約聖書翻訳委員会編『聖書を読む、新約編』、岩波書店、2005年、p.11)。
・十字架刑とは見せしめの拷問と処刑であり、愚かであり、無意味であり、おぞましいものです。十字架ではなく、「杭殺柱」なのです。しかし神はイエスをこの十字架から救出されなかった。そのことを通して人間に悔い改めを迫られた。この愚かしさを見て、人間は自己に絶望し、救いは人から来ないことを知り、神の名を呼び求めるようになります。だからこの十字架こそ「神の知恵」、「神の力」になりうるのです。
・「救いは人間からは来ない」、何故なら人間は他人を傷つけ、他人を殺してまで自分の生存を守ろうとする存在だからです。今年2014年は第一次世界大戦開始から100年、ノルマンディー上陸作戦から70年の節目です。そのノルマンディーを舞台にした戦争映画「プライベート・ライアン」のDVDをこの夏もう一度見ました。1998年にS.スピルバークによって作られ、アカデミー賞を受賞した作品です。映画では冒頭の20分間、ドイツ軍とアメリカ軍のすさまじい戦闘シーンが続きます。機関銃が唸り、砲弾が飛び交い、人の手足がちぎられ、海は血で真っ赤になります。双方数十万人の兵士たちが戦い、一日だけで双方の死者は2万人を超え、その死者たちは今ノルマンディーの墓地に眠っています。人間は有史以来戦争を続けてきました。戦争、殺し合いこそが人間の本質であり、それを提示するのがキリストの十字架です。しかし神はイエスをその十字架死から起された。それを知った時、もう「私はパウロに」、「私はアポロに」、「私はケファに」という言葉が出るはずがないではないかとパウロは語るのです。土井健司という聖書学者は語ります「キリスト教は、この世の理不尽さの極みであるところのイエスの十字架を出発点にしており、それ故にこそ、この世の理不尽さの中で、なお人々に希望を与え続けることが出来る」と語ります(土井健司『キリスト教を問いなおす』(筑摩新書、2003年、p.190,p.207)。
・教会はこの世にありますが、この世と一線を画す神の国共同体です。この世にある故に、この世の霊と行いが教会の中に入り込んできます。「自己実現」というこの世の知恵の本質は、「自己中心主義=エゴ」です。教会は会員が自己実現する、すなわち「自分の正しさ」を主張する場ではなく、「神の正しさ」を賛美する場です。神の正しさという視点から見れば、パウロもアポロもただの人にすぎないという視点を持つことが必要なのです。同じように十字架や洗礼を美化することも避ける必要があります。十字架はおぞましい人間の悪であり、その悪からは何も良いものは生れません。良いものはその悪の中で死なれたイエスを神が起された、そこから生まれるのです。洗礼はその十字架と共に死ぬ行為です。洗礼によって私たちが救われるのではなく、洗礼によって私たちは死ぬのです。パウロが語るように「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました」(ローマ6:4a)。一旦死ぬことを通して救いが来ます。パウロは続けます「それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6:4b)。この本質を見失わない限り、教会分裂は起きません。教会は人によってなったものではなく、神によって造られ、教会の主は人ではなく、キリストだからです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-03-25 23:02:50 (130 ヒット)

1.空の墓

・イースター礼拝の日を迎えました。イースターはキリストの復活を祝う時です。そして復活はキリスト教信仰の中核です。パウロが語るように、「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄」(1コリント15:14)です。「キリストが死から復活された」、だから私たちも永遠の命をいただくことが出来る、それが私たちの希望です。しかし、復活は人間の理解を超えた出来事であり、信じることが難しい出来事でもあります。今日はマルコ福音を読みながら、復活の問題を考えていきます。
・イエスは金曜日の午後3時に亡くなられたとマルコは記します(15:34)。弟子たちは逃げていなくなっており、婦人たちだけが十字架を遠くから見ていました。金曜日の日没と共に、安息日が始まり、イエスの遺体はあわただしく葬られました。婦人たちは何も出来ず、ただ遺体が納められた墓を見つめていました(15:47)。安息日が終わった日曜日の夜明けと共に、婦人たちはイエスの遺体に塗るための香料を買い整え、墓に向かいます。
・婦人たちは墓に急ぎます。しかし、墓の入り口には大きな石のふたが置かれており、どうすれば石を取り除くことが出来るか、婦人たちにはわかりません。ところが、墓に着くと、石は既に転がしてありました。ユダヤの墓は岩をくりぬいて作る横穴式の墓です。婦人たちが中に入りますと、右側に天使が座っているのを見て、婦人たちは驚き、怖れたとマルコは伝えます。婦人たちは天使の声を聞きます「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(16:6)。「あの方は復活なさった」、原文では「あの方は起された」と受動形で書かれています。「神がイエスを起された」とマルコは暗示しています。天使の語りは続きます「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」(16:7)。
・このマルコの記事は二つの事柄を私たちに知らせます。一つはイエスの遺体を納めた墓が空になっていたという伝承があり、二つ目は弟子たちがガリラヤで復活のイエスと出会ったという伝承があることです。最初に「空の墓の伝承」を見てみましょう。マルコでは「婦人たちは墓を出て逃げ去った・・・そして、だれにも何も言わなかった」(16:8)とありますが、その後の消息を伝えると思われる記事がルカ24章にあります。ルカは述べます「婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」(ルカ 24:11-12)。婦人たちは「イエスの遺体がなくなっている」と弟子たちに伝え、弟子たちは墓が空であることは確認しましたが、「まさかイエスが復活されたとは誰も考えもしなかった」とルカは報告しています。復活は弟子たちでさえ、信じることができなかった事柄だったのです。
・ここで、マルコが空の墓の事実を指し示して復活を宣べ伝えたことは極めて重要です。「墓が空になっていた」という事実は、復活がイエスの身に起こった具体的な出来事であることを示しています。マルコは弟子たちの内面的な体験や確信を宣べ伝えるだけでなく、物理的に復活が起こったと主張しています。復活が弟子たちの内面的な出来事、幻覚や幻視であれば、「空の墓」を必要としないからです。
・その後、弟子たちはどうしたのでしょうか。おそらく故郷のガリラヤに戻ったと思われます。その間の事情を伝える記事がヨハネ21章にあります。「シモン・ペトロが『私は漁に行く』と言うと、彼らは『私たちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった・・・イエスは言われた『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ』。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」(ヨハネ21:3-7)。同じ記事がルカ5:1-11にもあります。弟子たちはガリラヤで復活のイエスと出会ったと聖書は証言します。

2.復活顕現の証言

・今日の招詞に1コリント15:3-5を選びました。次のような言葉です「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。パウロはコリント教会への手紙の中で、キリストの復活について証言しており、これは紀元55年頃に書かれた最古の復活証言です。この記事に書かれているのは、復活のイエスがペテロに現れ、次に弟子たちに現れたという証言です。復活は歴史的には起こったかどうかを証明出来ない出来事です。しかし弟子たちは復活のイエスに出会ったと証言しています。復活とはこの証言を信じるかどうかを私たちに迫ります。
・復活の出来事をイメージするために音楽を考えてみます。例えば、ある人にとってベートーベンは天才です。彼の書いた楽曲、例えば交響曲9番「喜びの歌」を聞いて、魂が揺さぶられる思いをした人は、「ベートーベンは天才だ」と信じるでしょう。他方、関心のない人にとっては、その音楽は騒音に過ぎず、彼は「ベートーベンは天才だ」とは考えないでしょう。ベートーベンが天才であるか否かは歴史学的には証明出来ません。「キリストの復活」も同じです。ある人にとっては「人生を根底から覆す」出来事であり、他の人々には「愚かな出来事」なのです。
・キリスト者は復活を信じます。それは復活のイエスと出会い、人生を変えられた人々の証言を聖書から聞くからです。最初の証言者はケファ(ペテロ)です。ペテロは3年間イエスに従い、「イエスのためであれば死んでもよい」と公言していました(14:31)。そのペテロが、イエスが捕らえられた時に、大祭司の屋敷で「お前も仲間だろう」と問われ、「そんな人は知らない」と繰り返し否認します。そしてイエス処刑時には逃げ出してしまいました。その彼が処刑後50日目のペンテコステの時には、「神はイエスを復活させられた。私たちはその証人だ」と公衆の前で説教し(使徒2:32)、祭司長たちに呼び出されて説教を止めるよう命令された時答えます「神に従わないであなた方に従うことはできない」(使徒4:19)。弱かったペテロを変えたものは何だったのでしょうか。パウロが証言するように、「ケファ(ペテロ)にイエスが現れ」という復活顕現体験をしたからです。
・同じことが復活の証言者パウロにも言えます。彼はキリスト教の迫害者でした。その彼がダマスコ近郊で劇的な回心を経験します。彼は証言します「そして最後に(キリストは)、月足らずで生まれたような私にも現れました。私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(1コリント15:8-9)。パウロを変えたのも復活者との出会いです。

3.私たちに取って復活とはなにか

・イエス復活の確かさは、彼が「生ける者」として、人に出会われることの中にあります。私たちも自身も復活者に出会う時、復活は私たちの出来事になります。どのようにして「生けるイエスと出会うのか」、「ガリラヤに行く」ことによってです。弟子たちはイエス逮捕時にはこれを否認し、処刑時には逃げました。しかし、イエスはその弟子たちを見棄てられなかった。そして弟子たちに言われます「ガリラヤに行きなさい。そこで私と出会うであろう」と。そのガリラヤとはイエスが「時が満ちた。神の国は近づいた」(1:15)と宣教された場所、社会から排除された罪人や娼婦たちと食卓を共にされた場所、泣く者に「泣かなくとも良い」といわれ、貧しい人々に「私こそ命のパンである。私を食べよ」と言われた場所です。私たちは、「その場所に、ガリラヤに行きなさい、そこでイエスと出会うであろう」と招かれています。
・私たちのガリラヤはどこなのか、トルストイの描いた童話「靴屋のマルチン」が一つの示唆を与えます。マルチンは妻や子供に先立たれ、辛い出来事の中で生きる希望を失いかけています。ある日、神父が傷んだ革の聖書を修理してほしいと持ってきます。マルチンは今までの辛い経験から神への不満をもっていましたが、それでも神父が置いていった聖書を読みはじめます。ある日の夜、夢の中に現れたキリストがマルチンにこう言います「マルチン、明日、おまえのところに行く」。次の日、マルチンは仕事をしながら窓の外の様子をうかがいます。外には寒そうに雪かきをしているおじいさんがいます。マルチンはおじいさんを家に迎え入れてお茶をご馳走します。今度は赤ちゃんを抱えた貧しいお母さんに目がとまります。マルチンは出て行って、親子を家に迎え、ショールをあげました。今度はおばあさんの籠から一人の少年がリンゴを奪っていくのが見えました。マルチンは少年のために代金を立て替えます。一日が終りましたが、期待していたキリストは現れませんでした。がっかりしているマルチンに、キリストが現れます「マルチン、今日私がお前のところに行ったのがわかったか」。そう言い終わると、キリストの姿は雪かきの老人や貧しい親子やリンゴを盗んだ少年の姿に次々と変わりました。そして最後にキリストの言葉が響きます「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25:40)。
・ガリラヤはガーリール(周辺)という意味です。中心であるエルサレムから見れば周辺の地です。「周辺で生きる」、「自分のため」だけではなく、「隣人と共に生きる」生活を私たちが始めた時、私たちは「生けるイエス」と出会います。その人生はこの世的には「幸福な人生」ではないかもしれません。ペテロもパウロも殉教したと伝えられています。しかし「意味のある人生」だった。キリストに出会うことを通して、私たちは「意味のある人生」に招かれます。国連が調査した世界幸福度調査(2013年)によりますと、幸福度1位はデンマーク、2位ノルウェー、3位スイス、以下17位アメリカ、22位イギリス、日本は43位です。これはシンガポール(30位)、タイ(36位)より下で、先進国では最低レベルです。OECD調査も同じ傾向を示しています。「日本は経済的に豊かなのに、日本人は幸福ではない」、これは何を意味するのでしょうか。「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4:4)、私たちはパン=物質的な豊かさを求めすぎて、不幸になっていると思われます。本当の命はどこにあるのか、復活のイエスはガリラヤで弟子たちを招かれ、弟子たちはイエスの業を継承するために教会を形成しました。私たちも復活のイエスと出会い、召命を受け、それぞれの持ち場に遣わされていきます。「ガリラヤに行きなさい」、私たちも弟子たちと同じ経験をすることによって、真の豊かさに巡り会えるのではないかでしょうか。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-03-18 21:17:09 (107 ヒット)

1. 神の見捨ての中のイエスの死

・マルコ福音書を読んでおります。イエスは木曜日の夜に捕らえられ、死刑宣告を受け、金曜日の朝9時に十字架にかけられました(15:25)。十字架刑は両手とくるぶしに鉄の釘が打ち込まれて、木に吊るされます。手と足は固定されていますので、全身の重みが内臓にかかり、呼吸が苦しくなり、次第に衰弱して死に至ります。十字架はローマが反逆者に課した残虐刑です。イエスの時代、ユダヤでは、支配者ローマに抵抗する多くの人たちが、反逆者、テロリストとして、捕らえられ、殺されました。その数は数千人を超えるといわれています。何千人もの人々がローマ軍により十字架刑で殺されて行きましたが、その中でイエスの十字架死は世界史を動かす力を持ちました。それは「十字架で死なれたイエスが死に打ち勝って復活された」という信仰が生まれたからです。「イエスは復活された」、それ故に「イエスは神の子であった」と弟子たちは信じます。この信仰が教会を誕生させます。しかし、「その神の子が何故十字架で殺されたのか」、弟子たちには大きな疑問でした。「イエスの死の意味は何だったのか」、弟子たちは聖書(旧約聖書)を手がかりに探求していきます。その探求の結果が福音書にあるイエスの受難物語です。受難週の今日、マルコを通じてイエスの死の意味を考えていきます。
・イエスは「朝の9時に十字架にかけられ(25節)、昼の12時になった時、全地は暗くなり、3時まで続いた」とマルコは語ります(33節)。「全地が暗くなった」、マルコはそのことの中に、終末の到来を見ています。預言者アモスは語ります「その日が来ると、と主なる神は言われる。私は真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモス8:9)。アモスの預言が成就した、終わりの日が来た、だから闇が大地を覆った、マルコは神の怒りが天地を暗くしたと私たちに訴えます。
・3時になった時イエスが叫ばれます「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(34節)。アラム語で「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」という意味です。この言葉は詩篇22編からの引用です。「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか」(詩篇22:2)。イエスは小さい頃から親しんでおられた、詩篇の言葉で自分の思いを叫ばれました。それは、嘆きであり、苦しみの叫びです。イエスは激しい叫びと涙を持って父なる神に「なぜ私をお見棄てになるのか」と訴えられました。しかし何の応答もありませんでした。マルコはイエスが、絶望の中で、それでも神の名を叫びながら、死んでいかれたと記述します。
・イエスが死なれた時、「神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂けた」とマルコは記します(15:38)。神殿の垂れ幕とは、聖所と至聖所を隔てる幕のことです。至聖所は年に一回大祭司が入り、罪の贖いのために動物の犠牲を捧げる場所です。聖所と至聖所の幕が裂けた、イエスの死により罪の贖いのための生け贄えの犠牲は不要になった、その象徴として神殿の幕は裂かれたとマルコは言っています。ヘブライ人への手紙は語ります「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない・・・この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:11-12)。
・イエスの十字架刑の時、弟子たちはそこにいず、ただ婦人たちだけが立ち会ったとマルコは記しています(15:40)。弟子たちは逃げ去っていたのです。彼等はイエスの弟子として自分たちが捕えられるのが怖かった。同時に、十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかった。しかし、その弟子たちがやがて「十字架で死なれたイエスこそ、私たちの救い主である」と宣教を始めます(使徒2:24)。

2. 十字架の現場で奇跡が起きた

・イエスは十字架上で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んで、息を引き取られましたが、この叫びは先ほど見ましたように詩篇22編冒頭の言葉です。弟子たちは「イエスこそメシア、救い主」と信じてきたのに、そのメシアが無力にも十字架につけられ、十字架上で絶望の言葉を残して死なれた。「この方は本当にメシアだったのか、メシアが何故絶望して死んでいかれたのか」、弟子たちは詩篇22編を通して、イエスの死の意味を探していきます。詩篇22編にはイエスの受難を預言するような言葉が満ちています。福音書にある人々の嘲笑の言葉も、詩篇22編からの引用です「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう』」(15:31-32,詩編22:8-9)。ローマの兵士たちはイエスの服をくじで分けますが(15:24)、その光景も詩篇22編の引用です「犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕き・・・私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」(詩篇22:17-19)。最後に詩人は歌います「主よ、あなただけは私を遠く離れないでください。私の力の神よ、今すぐに私を助けてください。私の魂を剣から救い出し、私の身を犬どもから救い出してください」(詩篇22:20-21)。
・イエスは人に棄てられ、絶望の中に死んで行かれました。イエスが十字架にかけられた時、人々はイエスを嘲笑しました。しかし、イエスが息を引き取られた後では嘲笑は消え、その代わりに思いがけない光景が語り始められます。マルコはイエスの十字架刑を指揮していたローマ軍の百人隊長が「本当にこの人は神の子であった」と告白したと記します(15:39)。ローマでは皇帝が神の子と呼ばれました。しかし、ローマ帝国を代表してその場にいた百人隊長が、皇帝ではなく、皇帝の名によって処刑されたイエスを「神の子」と呼んでいます。状況から考えると、これは奇跡としかいいようのない言葉です。

3.無力の中に示された奇跡

・今日の招詞に1コリント1:22-24を選びました。次のような言葉です「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。イエスは十字架上で人々の嘲笑の中に死んでいかれました。通りがかりの人はイエスを嘲笑して言います「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」(15:29-30)。祭司長たちも嘲笑します「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(15:31-32)。ユダヤ人たちはイエスに、「神の子であれば十字架から降りることが出来るはずではないか、降りることが出来ないのはお前が神の子ではないからだ」と嘲笑します。しかしイエスは十字架から降りず、死んでいかれました。イエスと共に十字架につけられた者たちさえ、イエスを罵ったとマルコは記します(15:32b)。
・秋田大学の持田行雄氏は述べます「ユダヤ人が求めたのはしるし=奇跡である。彼らは十字から降りてみよ、そうすれば信じようと言ったが、イエスは降りられなかった。そのためユダヤ人はつまづいた。ギリシア人が求めるのは知恵=合理性だった。神の子であるならば、十字架から降りることが出来るのに降りないとしたら愚かだと。だからギリシア人もつまづいた。しかしパウロは十字架につけられたまま、降りて来なかったキリストを宣べ伝える。降りて来なかった、そこにこそ十字架の奇跡がある。何故ならば奇跡から信仰が始まるのではなく、信仰から奇跡が始まるのである」(持田行雄「キリスト教倫理の信仰的根拠」)。
・福音書記者マルコは次のように理解して物語を書いたと思われます。「イエスは神の子であった。イエスは神の子故に十字架から降りることができた。それにもかかわらず、彼は降りなかった。神はイエスを十字架につけられたままにされた」。「しかし神はそこに共におられた。それ故、昼の十二時になると全地は暗くなり(15:33)、神殿の垂れ幕は裂け(15:38),イエスの死を見つめていた百人隊長が『本当にこの人は神の子だった』と告白した(15:39)」。マルコの教会はユダヤ人からの、また異邦人からの迫害の中にあったと思われます(13:9「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、私のために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる」)。彼らは世から、人からの見捨ての中にあったのです。しかし、神は自分たちを救って下さらない、何も行為されない、「神は自分たちを見限られたのか」という信仰のゆらぎが教会の中にありました。マルコはその人々に「神はイエスを十字架につけられたままにされたが、そのイエスを神は起こして下さった(復活させて下さった)。十字架の時も共にいて下さった。だから力を落とすな」と語りかけているのです。「神が介入しないことを通して、イエスの贖いの業が為された。だから私たちの苦しみは無意味ではない」とマルコは語ります。
・奇跡を起さなければ信じないというのは、神に対する挑戦です。しるしを求めることは神を試みることです。それ故イエスは神から見捨てられながらも、しるしを求められなかった。そのイエスを神は肯定され、起された。それが十字架の意味であり、復活の意味です。その事実は私たちの生き方を変えます。イエスが人に棄てられ、絶望の中に死んで行かれたのであれば、私たちも人の見捨てにあっても良いではないか。苦難が私たちに重くのしかかる時、私たちはしばしば言います「この苦しみはあなたなどにはわからない」。そして私たちは心を閉ざし、自分の世界に閉じこもります。しかしイエスの十字架の苦しみは私たちのどのような苦しみよりも深い。イエスは苦難の底で絶望しながらも、「わが神、わが神」と叫ばれました。イエスは「神なしで死なれた、しかし神はイエスと共におられた」。イエスの受難が私たちに伝えることは、「神は私たちと共にいて、私たちの苦しみを知り給う。このことが、絶望からの希望を私たちに与える」という事実です。私たちが苦難の中にあり、誰もそれを理解してくれない時にも、神はそこにおられる。その信仰が神の民を生み、神の民の共同体である教会を形成していくのです。


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