すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-02-04 21:03:28 (157 ヒット)

1.デカポリスでの癒し(2015.5.10祈祷会から)

・イエスはティルス地方を出て、シドン、デカポリスと異邦の地を巡り、ガリラヤ湖の対岸に来られた。そこに、村人が、耳が聞こえず、舌の不自由な人を連れて来て、イエスに癒しを願った。
―マルコ7:31−32「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。」
・イエスは聴覚と言語の機能を失っている人を、騒がしい群衆から引き離し、患者の両耳に指を入れ、唾で患者の舌を濡らし、天を仰いで祈り、「エファタ(開け)」と叫ばれた。患者は耳が聞こえ、話せるようになった。患者を連れて来た人々は驚いた。
―マルコ7:33−35「そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけて、その舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち、耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」
・マルコ福音書にはアラム語をそのまま残したいくつかの記事がある。マルコ7章では「エッファタ=開け」という言葉が用いられ、マルコ5章では「タリタ・クム=少女よ、起きなさい」という言葉が用いられている。その場にいた弟子たちは、イエスから発せられた言葉が強く刻まれ、忘れることができなかった。そして目撃者の一人ペテロが出来事をマルコに伝え、マルコも感銘を受けて、アラム語の発音をそのまま表記して、自分の福音書に書き込んでいったと思われる。「エッファタ=開け」も同様であろう。イエスの肉声がここに記録されている。
・人々は驚き、イエスの癒しを言い広めた。
―マルコ7:36−37「イエスは人々に、だれにもこのことを話していけないと口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。『この方のなさったことはすべてすばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。』」
・「神の国は既に来ている」とイエスは言われた。私たちが「エファタ」と言っても耳の悪い人の耳を開けることは出来ないし、「タリタ・クミ」と言っても死んだ人が生き返るわけではない。しかし、私たちは私たち自身の「聖なる者との出会い」体験を通して、それが出来る方がおられることを知っている。この物語では「村人たちは他者とコミュニケートできない人に心を痛め、何とか治らないものかと願い、その人をイエスの前に連れてきた」。村人たちの信仰が障害の人をイエスに出会わせ、イエスのうめきをもたらし、このうめきが、この人を交わりに中に戻した。私たちには出来ないことでも神には出来る、その信仰を持って私たちは人々を教会に導き、イエスとの出会いを祈る。
・共観福音書には115の癒しの記事がある。イエスの活動の中心は癒しだった。しかし後の教会はイエスの癒しを軽視する。「エファタ」と言えば聾が治る、そのような魔術的な側面が忌避されたのだろう。私たちは癒しを奇跡という側面ではなく、イエスがどのような思いでそれを為されたかを見る必要がある。
-マタイ8:16-17「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」。
・イエスが癒されたのは、多くの場合、当時の社会において罪人、穢れた者とされていた人々であった。その人々に対し、イエスは「深く憐れみ」、「手を差し伸べてその人に触れ」、「清くなれ」と宣言し、癒した(マルコ1:40-45)。一人息子の死を悲しむ母親を「憐れに思い」、「棺に手を触れ」、彼を生き返らせた(ルカ7:11-17)。「癒し」の行為は、禁止されていた安息日にも行われた(マルコ3:1-6)。イエスは自らが痛む(社会的制裁を受ける)ことにより、病む者たちの痛みを共有された。このような癒しを教会はもっと学ぶ必要があるのではないか。

2.エファタ(2009.09.06説教から)

・イエスはこの人と出会うと、「この人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた」とマルコは記します(7:33)。この人と一対一で向き合われたのです。そして病んでいる患部、耳と舌に触れられました。しかしそれだけでは十分ではありません。だからイエスは「天を仰いで、深く息をつかれた」(7:34)。「天を仰ぐ」、神の力を与えてくれるよう請い願う動作です。「深く息をつき」、ギリシア語「ステナゾー」で、本来の意味は「うめく、もだえる」です。イエスは人間自身の力では変えることの出来ない嘆きや苦しみを負うこの人を前にもだえ、うめき、そのうめきの中から、「エッファタ」という言葉を言われています。すると「たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった」とマルコは記します(7:35)。イエスの祈りに応えて、イエスを通して神の力が働き、癒しの出来事が起こりました。
・マルコは、イエスが「共にうめかれた」と記します。イエスは何故、この人と共にうめかれたのか、それはこの人と「出会った」からです。その出会いを導いたのは村人でした。マルコは記します「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った」(7:32)。村に「耳が聞こえず、舌の回らない人」がいた。村人たちは他者とコミュニケートできないこの人に心を痛め、何とか治らないものかと願っていたが何も出来なかった。そこにイエスが来られた。イエスはこの地方でかつて悪霊につかれた人を癒したことがあります(マルコ5:20)。村人たちはその評判を聞いており、その預言者が近くに来られたことを知り、この人ならば癒してくださるかもしれないと思って、その人をイエスの前に連れてきたのです。イエスはそこに、村人の信仰を見られました。村人たちの信仰が障害の人をイエスに「出会わせ」、イエスの「うめき」をもたらしたのです。このうめきが、この人を交わりに中に戻しました。
・作家・柳田邦夫氏は「犠牲-わが息子・脳死の11日間」という本を書いています。彼の次男は自殺を図り、11日間脳死状態を続けた後亡くなりましたが、柳田氏はその時のことを本に書きました。柳田氏は死につつある息子に寄り添いながら、死には三つの形態があることに気づきます。「一人称の死」、「二人称の死」、「三人称の死」の三つです。一人称の死とは自分自身の死で、これは人間には認識できない死です。二人称の死とは、親子や配偶者、兄弟、親しい友人等の死で、この死を経験した者は、自分の一部がなくなるような深い悲しみ、喪失感を味わいます。三人称の死とは、自分と関りのない人の死で、例えばアフリカで何千人が餓死しても、隣町で自殺する方がいても、自分の生活は昨日と同じようであり、夜眠れないこともありません。
・イエスはこの障害の人と出会われた時、その人を三人称ではなく、二人称の関係ととらえられた。そのため、「共にうめく」という出来事が生じたのです。そして、それをもたらしたのは、隣人たちの信仰でした。彼らもまたこの病の人を三人称ではなく、二人称として、自分の問題として、とらえたのです。マルコはこの物語を人々の賛美で締めくくります「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」(7:37)。他者のために労した人々は、やがて神の出来事の証人になっていきます。ユダヤ人たちはイエスの業を見ても讃美できませんでしたが、異邦の人々は「今、神の国が来た」ことを喜ぶことが出来た。そして神の国は、人々の信仰とイエスのうめきによって、もたらされたのです。

3.共にうめく(2009.09.06説教から)

・パウロはローマ8:22-23で、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいている私たちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」と語りますが、ここの「うめく」という言葉も「ステナゾー」です。パウロは「被造物がすべて、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」と言います。この世にはあまりにも悲しいこと、不条理なことが多く、その中でどうしてよいかわからない時、うめくしかないです。しかしその「うめき」から何かが生まれます。パウロは言います「このうめきは産みの苦しみであり、うめきを通して救いが与えられる」と。パウロはローマ書の中で言葉をつなぎます「私たちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(8:26)。私たちが祈ることも出来ない時には、神の霊が私たちに代わってうめいて執り成してくださると。「うめきは力である」というのです。
・マルコ7章の物語では、近隣の人たちが、「耳が聞こえず舌の回らない人」の課題を三人称、自分には関係のない問題とはとらえずに、二人称、自分の家族の問題と同じようにとらえ、その人をイエスの元に連れて来ました。その信仰がイエスに「共にうめく」ことを可能にさせ、この人の癒しを導きました。その癒しを通して、この人はコミュニケーションを回復することが出来ました。心を通わすことが出来ないでいた人が、隣人と一緒に喜ぶ存在に変えられました。それを可能にしたのは、村人の働きでした。
・「三人称の出来事を二人称化する」、それこそイエスが私たちに求められていることです。それは自分一人ではなく、隣人と共に生きる生き方になります。ある時にはそれは重荷を担う生き方になるかもしれない。しかし素晴らしい生き方です。何故ならそのことを通して神の栄光を見る、神と出会うのですから。障害を持つ人々の隣人は讃美して言いました「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」。この物語で恵みをいただいたのは、癒された本人でしょうが、それ以上にこの隣人たちかもしれないと思います。私たちも隣人になるよう招かれています。そして隣人になるとは「三人称の出来事を二人称化して、その人をイエスの前に連れてくる」ことなのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-28 17:14:52 (112 ヒット)

1.ゲラサの悪霊つきの男の癒し

・マルコ福音書を読んでいます。イエスはガリラヤ湖畔の町々、村々を訪れて宣教されていましたが、ある日、「向こう岸に渡ろう」と言われて、舟で対岸の地に渡られました(4:35-36)。ガリラヤ湖の対岸は異邦人の地であり、その地方はデカポリス(十の町)と呼ばれ、ゲラサ人(ギリシャ人)が住み、ローマ帝国の直轄領とされていました。今日のシリア地方になりますが、ユダヤ人にとっては、異邦人の地、汚れた地、律法が不浄とみなす豚を飼っている地でした。なぜイエスが「汚れた」とされる異邦人の地に行かれたのか、マルコは説明しません。しかし、イエスはそのゲラサの地で一人の男に出会われます。この出会いから物語が始まります。
・マルコは語り始めます「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た」(5:1-2)。「汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た」、異様な状況で物語が始まります。マルコはこの人の様子を詳しく叙述します「この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかった・・・彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(5:3-5)。「この人は墓場を住まいとしていた」、当時の墓地は山や谷の洞窟を利用して造られていました。この人は死体に囲まれて一人で暮らしていたのです。そして、「これまでにも度々足枷や鎖で縛られた」とありますから、彼は精神の病のために自分や他人を傷つけ、家族もどうしようもなくなり、この人を町の外れの墓場に閉じ込めていたのでしょう。当時は、らい病に罹った人も同様に谷間等の洞窟に強制的に隔離されていたようです。彼は絶望のあまり、夜昼叫び、石で自分の体を傷つけていました。家族から捨てられ、共同体からも追放され、呻いていたのです。当時の人々は、このような状態を「汚れた霊に取りつかれた」と呼んでいました。
・「(この人は)イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい』」(5:6-7)。悪霊たちが叫びだしたのでしょうか。イエスは霊たちに名前を聞かれました。霊たちは答えます「名はレギオン、大勢だから」(5:9)。この言葉は象徴的です。レギオンはローマの軍団(6000人隊)の呼び名で、当時のデカポリスはローマの軍団(レギオン)の占領下にありました。戦争はしばしば集団殺戮や暴行を生み出します。異常な環境の中で、人は狂気に囚われるのです。もしかしたらこの人もローマ軍の残虐行為を受けて狂気になったのかもしれません。
・イエスは悪霊たちに、「この男から出ていけ」と言われました。悪霊たちは「この地に留まらせてほしい、あそこにいる豚の群れの中に入らせて欲しい」と願います。やがて、悪霊たちが乗り移った豚は狂気に駆られて暴走し、2000匹の豚が湖に沈んで死んだとマルコは報告します。何が起こったのか、私たちにはわかりません。この物語は当初の伝承にはなく、マルコが付け加えたのではと考えられています。グニルカという新約学者は「マルコは悪霊の乗り移った豚が次々に溺れ死ぬという物語の結末を提供して、今は圧倒的な力で支配しているかに見えるローマの政治権力もイエスの支配の前に崩壊せざるを得ないと告げている」と理解します(EKK聖書注解)。
・豚の番をしていた豚飼いたちは驚いて町の人々を呼びに行き、町の人々は自分たちの豚が湖に沈み、男が正気になっているのを見ました(5:15)。人々にとって男が正気になったのは何の喜びでもありませんでした。既に棄てていたからです。しかし、人々にとって豚2000匹は貴重な財産でした。ゲラサの人々にとって、イエスは自分たちの大事な財産を犠牲にしても一人の男を救おうとされた得体のしれない男、自分たちの日常を破壊する男、だから「出て行ってくれ」と言いました。

2.この物語は私たちの物語ではないか

・現代においても悪霊は存在するのでしょうか。わかりません。しかし抑圧があれば人は精神を病む存在であることは事実です。悪霊につかれたゲラサの人は、現代では統合失調症(精神分裂)と分析されるかもしれません。この病気の発症率は120人に1人とかなり多く、妄想・幻覚・幻聴が生じ、現代でも治癒は難しい病気です。患者が自分を傷つけたり他人を傷つけたりする恐れがあれば、法律により強制入院させられます。精神病院の大半は閉鎖病棟であり、治療と言うよりも隔離に近い状態です。日本においても精神病棟の中に多くのゲラサの男が隔離されていると考えた時、この物語は私たちの物語になります。日本で精神の病に苦しむ人々は100万人、その内30万人は入院し、一般の入院と異なり、精神の病気の場合、5年、10年、さらには20年と入院期間が長いのが特徴です。治っても帰る所がないからです。ゲラサの男は夜昼叫んで、体を傷つけていました。回復の希望がないからです。同じ状況が今日の日本にもあることを私たちは認識すべきです。
・また今日の競争社会は、抑圧による被害者を次から次に生み出している事実も私たちは知っています。秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告は自動車工場で派遣労働者として働いていましたが、派遣契約を中途解約されることを告げられ、自分の居場所がなくなり、絶望して事件を起こしたと言われています。彼は「人ではなく、物のような扱いを受けていた」と告白しています。派遣労働者は景気の調整弁として、その人格が認められていないのです。また、長引く不況の中で企業は人員削減によるリストラを強化し、ソニーやパナソニックのような大企業でさえ、社内の余剰人員をキャリア・ビジネス室という名前の追い出し部屋に集め、仕事を与えず、暗黙のうちに自主退職するように圧力をかけていると新聞記事は報じています(2012/12/31朝日新聞他)。さらに、就職活動がうまくいかず、うつや自殺に追い込まれる学生が増加していると聞きます。何十社も面接を受けて全て断られたことで、「人格を否定された」と思いつめる学生が多いとのことです。現代に「悪霊」がいるかどうかはわかりませんが、私たちの住む社会は「悪霊つき」と言わざるを得ない現象を次々に生み出しているのは事実です。

3.悪霊につかれた男が伝道者になった

・ゲラサの男は墓場に住み、イエスに言いました「かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と。それでもイエスはこの男と関わりを持たれました。「かまわないでくれ」という人に、神は関わりを持たれるのです。今日の招詞に詩編68:7を選びました。次のような言葉です「神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない」。イエスは来る必要のない異邦人の地に来られ、声をかける必要のないこの男に声をかけられました。イエスは土地の人から疎まれる危険を冒して男を憐れまれました。その結果、彼は正気になり、人間社会に復帰する事ができました。癒された男は「イエスに従いたい」と申し出ますが、イエスは「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と言われます(5:19)。さらにマルコはその後の出来事を報告しています「その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことを、ことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた」(5:20)。ここの「言い広める」という言葉はギリシャ語「ケッリュソウ」、「宣教する」という言葉が用いられています。
・この物語の事件が起こったのは紀元30年前後、マルコが初めての福音書を書いたのは紀元70年頃、出来事から40年後です。マルコは福音書を書くためにいろいろな地方の教会を訪ね、イエスに関する諸伝承を集めたと思われます。その時、この異邦人の地デカポリスに教会があり、その教会に、「ゲラサの悪霊つきと呼ばれた男がイエスに癒され、その後、伝道者になってこの地に教会を立てた」という伝承が残されていたと推測されます。5章20節に、「その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことを、ことごとくデカポリス地方に言い広め始めた」という後日談の記述があることは、そのことをうかがわせます。
・仮にそうであれば、ここには偉大な物語が記されていることになります。マルコは福音書1章でペテロやアンデレたちが、家や家族を捨てて弟子になったことを記します。そして今ここ5章に「自分の家に帰りなさい」と言われた人が、「主があなたに何をしてくださったかを知らせなさい」というイエスの命に従って伝道者となり、その実りとして教会が立てられたことを、マルコは報告しているのです。「汚れた霊につかれた人が宣教者になった」、まさに詩編68篇が歌うように「神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださった」のです。
・ここには疎外状態にあった一人の人物の人間回復の物語があります。「死んでいた人が生き返った」、「いなくなっていた人が見つかった」という喜びの知らせがあります。このことは現代の私たちにも勇気を与えます。私たちの周りにも、様々な抑圧の中で外に出ることが出来ず、家に引きこもっている人がいます。安定した職業につけず、将来に希望を失っている人がいます。心身の病気のために礼拝に出ることが出来ない人を覚えます。その人たちに、私たちが「神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる」との福音を伝え、その人と祈りを共にする時、そこに何かが生まれるのです。前に話しましたように、コロサイからの逃亡奴隷であったオネシモは、パウロの執り成しにより、主人フィレモンに解放され、やがてはエペソの司教にまでなりました(フィレモン1:1-21)。汚れていた霊にとりつかれて石で自分の身を傷つけていた人が、イエスと出会いを通して、イエスに従う者になりました。「主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」という言葉に従う時、そこに神の業が現れることを今日は覚えたいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-22 11:22:57 (129 ヒット)

1.突風を静めるイエス

・イエスが弟子たちと舟に乗り、ガリラヤ湖を対岸へ渡ろうとした時、突然嵐になり、舟は波に翻弄され、水浸しになり、沈没しそうになった。
−マルコ4:35−37「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一諸であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。」
・弟子たちは波をかぶり、嵐に翻弄される舟の中でおびえた。イエスは船尾で眠っておられた。弟子たちがイエスに助けを求めると、イエスは波と湖を叱られた。すると嵐は収まった。
−マルコ4:38−39「しかし、イエスはともの方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。沈まれ』と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。」
・イエスは、「なぜ嵐を怖がるのか」と騒ぐ弟子たちを戒められた。苦難の嵐に遭って喜ぶ人は誰もいない。しかし、苦難は人にとって試練であることも忘れてはならない。何故ならば、人は苦難を通して自分が生かされている意味を知るからだ。絶望の中に希望を見続けた人がキング牧師だ。
-マルチン・ルーサー・キング「この世界で為されたことはすべて、希望によって為された。息をしている限り、希望があることを、私は確かに知っています。あなたも私も人間に過ぎません。私たちは未来を見抜くことができません。代わりに、こうなるかもしれないという可能性を思い描くのです。人生がどう展開するかは、神のみがご存知です。希望は神から私たちへの贈り物であり、外を見るための窓です。神が私たちのために計画された将来を知ることはできません。神を信頼しなさい。心に希望を持ち続けなさい。そして、最悪の事態に直面した時でさえ、万全の手を尽くして最善の結果に備えなさい。」

2.物語の背景から考える

・この物語はイエスがガリラヤ湖で嵐を静められたという伝承を元にマルコが編集した。マルコ福音書は紀元70年ごろ、ローマで書かれた。イエスは紀元30年に十字架で死なれたが、復活のイエスに出会って再び集められた弟子たちは、「イエスは神の子であった。イエスの死によって私たちの罪は赦され、イエスの復活によって私たちにも永遠の命が与えられた」と福音の宣教を始めた。その結果、ローマ帝国のあちらこちらに教会が生まれ、首都ローマにも教会が生まれた。しかし、初期の教会は、ローマ帝国内において邪教とされ、迫害され、紀元64年にはローマ皇帝ネロによる大迫害を受け、教会の指導者だったペテロやパウロたちもこの迫害の中で殺されていった。
・マルコが福音書を書いた当時のローマ教会は、迫害の嵐の中で揺れ動いていた。人々はキリスト者である故に社会から締め出され、リンチを受け、捕らえられて処刑されていった。教会の信徒たちは神に訴えた「あなたはペテロやパウロの死に対して何もしてくれませんでした。今度は私たちが捕らえられて殺されるかもしれません。私たちが死んでもかまわないのですか」。ガリラヤ湖の弟子たちは「私たちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えたが(4:38)、この「おぼれる=アポルーマイ」の本来の意味は「滅ぼす、殺す」だ。弟子たちは、「私たちが滅ぼされても平気なのですか」、「私たちが殺されてもかまわないのですか」と言っている。つまり、マルコは湖上の嵐の伝承の中に、「主よ、私たちを助けてください。私たちは滅ぼされそうです。起きて助けてください」という教会の人々の叫びを挿入している。
・舟は初代教会のシンボルだった。初代教会は迫害の中で震えながらもイエスにつながり続け、滅ぼされることなく、終には迫害者ローマ帝国の国教となって行く。第二次世界大戦終了後、敵味方で憎しみ合い、血を流しあった世界のキリスト者はコペンハーゲンに集まって、世界教会協議会(World Council of Churches、WCC)を結成した。互いの国の教会がいがみ合い、殺し合いをしたことを悔い改め、新しい共同体を造っていくことで合意し、そのシンボルマークとして「十字架の帆柱をつけた嵐に揺れる舟」が選ばれた。これからも信仰が揺さぶられるような嵐があるかもしれないが、イエスのメッセージを聞き続けていこうと彼らは決意した。
-詩編107編28-29節「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった」。

3.感銘を受けた説教から( 2017/1/1東京北地区新年礼拝「マルコ4:35-41、波よ、静まれ」太田雅一牧師)

・新年あけましておめでとうございます。みなさまの上に、今年も豊かな恵みがありますようにお祈りします。といっても、一年間、波も風もない、穏やかな日ばかりというわけにはいきません。時には嵐の日もあるでしょう。そんな日は、今日のみ言葉を思い出したいものです。ある日、イエス様は弟子たちに、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろう、と言われます。そして、弟子たちと共に漕ぎ出しますと、突然、激しい嵐が起こりました。「舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」。これはどのくらいの嵐だったでしょうか。大変な嵐だったと思われます。「水浸しになる」という元のギリシャ語は「水で一杯になる」という言葉です。たとえば、この言葉がほかに使われているところを挙げますと、カナの婚礼のところです。イエス様が水を葡萄酒に変えるという最初の奇跡です。この時、イエス様は召使いたちに、大きな水瓶にいっぱいに水をくんでくるようにと頼みます。この時の「水で一杯にする」が同じ言葉です。舟は少し波をかぶったくらいではなく、もう水で一杯で今にも沈没しそうです。
・ところが、イエスさまは舟の艫、後ろのほうで、枕を高くして居眠りをしておられる。この泰然自若、悠々たるイエスさまの余裕に、私たちも、見ならいたい。けれども、弟子たちはそれどころではない。必死に叫んで、イエスさまを起こします。そこで、イエス様が起き上がり、「波よ、静まれ」と一言いうと、たちまち凪になった。「凪」という字は、風が前に止まると書きます。風がすっかりやんだ状態です。先ほどまでの嵐が嘘のようにぴたりとやみ、鏡に青空が映るような静かな水面になった。世の中には奇跡は信じられないという方もいて、「おおかた空の様子を見て、そろそろ嵐の静まるころだと判断したのだろう」と言う。けれども、弟子たちはペテロもヨハネもみんなプロの漁師でした。しかも、ガリラヤ湖は勝手知った漁場で、その天気も知り尽くしていたはずです。その漁師たちが、真っ青になって「おぼれてしまいそうです」と言うほどの大嵐でした。やはり、奇跡です。弟子たちは、「風や波までも従うとは、この方はどなたなのだろう」と言う。神の子です。この奇跡は、イエスさまが造り主の子だというしるしです。嵐がやんだ後、イエス様は、弟子たちを、かなりきつく叱っています。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
・同じ記事は、マタイとルカにもあるのですが、そちらはさらにきつい言葉です。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」(マタイ8:26)、信仰がまだまだ薄っぺらいね、紙きれみたいにぺらぺらだね、とおっしゃる。「あなたがたの信仰は、どこにあるのか。」(ルカ8:25)、これもきついですね。信仰を、どこかに置き忘れてきたのではないか、と言う。なぜ、イエスさまは、こんなにきつく叱られたのでしょうか。嵐の時に、弟子たちはこう言いました。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」ここで「おぼれる」と訳されている言葉は、原語では「滅びる」という言葉です。同じ言葉が使われているのは、たとえば、次のようなイエス様の言葉です。「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も、地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)
・今月、遠藤周作の「沈黙」をマーチン・スコセッシが監督した映画が公開されます。このお話で、キリシタンたちは次々に殉教していくのですが、神は沈黙したままです。しかし、「体を殺しても、魂を滅ぼすことはできない。」そう信じて、恐れず殉教した。ところが、このガリラヤ湖で弟子たちは、嵐にすっかり恐れて言うのです。「私たちが、滅びてもかまわないのですか」、だから、イエス様は叱られたのです。滅びるなどと、なぜ、情けないことを言うのだ。おまえたちは、滅びることのない永遠の命を頂いているのだ。まだ信じられないのか。「おぼれてもかまわないですか」と聞かれたら、イエス様はおっしゃるでしょう。「おぼれてもいいのだ。死んでもいいのだ。決して、滅びることはないのだから。」
・けれども、やはり人間というのは、弱いものです。この私がそうでした。私は3年前のクリスマスの頃、大病をして手術をしました。直腸癌のステージ4。再発して、三回手術して、最後は腹膜にも転移して、お腹を空けたけれど、何もせずにそのまま閉じました。後から聞いたのですが、主治医の先生は私の妻に「もうだめだから職場に連絡しておくように。次の人事の都合もあるだろうから」と言っていたそうです。今、回復して生かされて、皆さまの前でお話できることを、神さまに感謝いたします。でも。病院にいたころは、このまま出られずに死ぬのだなと、覚悟していました。正直言って、怖かったです。死を恐れました。まだやることがある、死ねない。クリスチャンになって10年はたっていましたが、平静な気持ちにはなれなかった。「死んでもいい」とは思えなかった。イエス様に、叱られてしまいそうです。
・でも、自分一人だけだったら、やはり怖いのです。恐れは消えないのです。しかし、落ち着いて横を見ると、私の舟にも、イエス様が乗っているのです。ただ、私たちは苦しさのあまりに、そのことを忘れていないでしょうか。「苦しい時の神頼み」で良い。苦しい時こそ、隣にいるイエス様に祈りましょう。眠っているイエス様を、起こせばいいのです。イエス様は、おっしゃるでしょう。「波よ、静まれ」と。しかし、すぐに湖の波は静まらないかもしれない。イエス様は、本当はこうおっしゃりたいのではないか。 「あなたの、心の波を静めなさい」、試練はいつ襲ってくるかわからない。今日、東京に直下型地震が起こるかも知れない。しかし、地震でも津波でも嵐でも、どんな災難が来ても、心が平静ならば大丈夫です。恐れてパニックになったら、助かるものも助からない。たとえ死んでも滅びることはない、そう思って冷静に対処すれば、逃れる道が見えてくる。神様は、試練を与えると同時に、逃れる道を備えてくださる方です。
・短い詩を一つお読みします。韓国のクリスチャン詩人の詩です。ガリラヤの海・鄭芝溶「私の海は、小さなガリラヤの海、絶え間なく、揺れ動く波は、美しい風景を 映すことができない。かつて弟子たちは眠っておられる主を起こした。主をただ起こすことで彼らの信仰は恵まれる。舟の帆はまた広げられ、舵は方向を定めた。今日も私の小さなガリラヤで主はわざと眠っておられる。風と波が静まった後、初めて私はため息の意味を悟ったのだ。」
・さて、今日はもう少し、お話したいところがあります。そもそも、イエス様は、どうしてここで舟に乗っておられたのか。そして、これからどこに舟で向かわれようとしていたのか。まず、ここまでの話を読むと、イエス様はずっと舟の上から、岸辺にいる群衆に説教をしていたのです。なぜか、イエス様に触れただけでも、病が癒やされると聞いて、群衆が殺到していたのです。だから、湖の舟の上で少し距離を置いてお話ししようとされた。また、途中に障害物がなく、湖の水面は声をよく反射して遠くに届きます。スピーカーなど無い時代に、多くの群衆に話すための知恵でした。では、お話された後、そのまま舟に乗って、どこに向かおうとされたのか。「イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」
・湖の向こう側に何をしにいくのか。伝道に疲れて、慰安旅行に行くのか。そうではない。この後を読むと、ゲラサ地方に行って、悪霊に憑かれた男を癒やした話があります。ガリラヤ湖の西岸がナザレ、ユダヤの地なのですが、東岸のゲラサは異教の地でした。一言で言うと、イエス様と弟子たちは、開拓伝道に向かわれたのです。異境の地に、新たに福音を伝えるために、船出して出発されたのです。ここで、注目したい言葉があります。同じ記事が、マタイとルカにあると言いましたが、マルコにしかない言葉があります。マルコは、4つの福音書の中で一番始めに書かれて、元の形に近いと言われていますね。そのマルコにだけある言葉。それは、弟子たちがイエス様と舟に乗って漕ぎ出した後の所です。「ほかの舟も一緒であった。」(4:36)
・舟は、原語では複数になっています。イエス様と弟子たちの舟だけではない。ほかの舟たちも、イエス様のあとに従い、船出して行ったのです。今日、この新年礼拝の場に、東京北ブロックの皆さま方が集まっておいでです。私たちは、それぞれの舟に、つまり教会に乗って、伝道に向かう船団なのです。昔、神学校の授業で、ある牧師先生がこう言いました。「カトリックは、大所帯でヒエラルキーだからね。大型客船に乗っているようなものだ。プロテスタントは沢山の教派や教会に分かれて、いわば小舟に乗っているようなものだ」。その時に、私は正直言うと、「大型客船のほうが、楽でいいな」と思いました。しかし、今は違います。小舟がいい、小回りもきくし、それぞれ個性がある。昨年、東京北の教会を毎月訪問しました。志村、蓮根、赤塚、目白が丘、茗荷谷、東京北。どれもが個性ある素晴らしい舟ばかりで、思い思いに海を航海されていました。でも、行き先は同じ、向こう岸への開拓伝道。そして、先頭の舟はイエス様です。時には、嵐に襲われることもあるでしょう。そんな時に助け合って船旅を続けましょう。それぞれは小さい舟でも、バプテスト連盟三百艘あまり、けっこう大きな船団です。
・教会暦では1月6日までがクリスマスですが、この頃に召される方は多くいて、天国が近い時期のような気がします。昨年もクリスマスの後、一つのご葬儀に出ました。民家正純先生の奥さんの、民家直子さんです。お二人で酒田に開拓伝道されましたが、民家先生が十年前に病で召され、藤井先生ご一家が後を継いでいました。民家先生ご夫妻は、お二人で大海原に漕ぎ出していった。私が牧師になりたいと思ったのは、民家先生の志に共鳴したことがきっかけでした。年老いてなお、嵐の大海原に小舟で漕ぎ出していく、伝道スピリットに打たれたのです。たとえ、その舟は沈むことになっても、その志は、後の舟に受け継がれます。たとえ、おぼれ死んだとしても、恐れることはない。魂は滅びることはない。今頃、ご夫婦は天国で再会して、ご一緒にお正月を迎えていることでしょう。
・さて、私のお話はこのくらいにしておきます。今日はせっかく元日から集まったのですから、この後、短い時間でもお残りいただいて、船旅の合間、港にいっしょに立ち寄って、それぞれの船旅を分かち合いましょう。「最近、魚の水揚げが少なくて、どこかに良い漁場はないかな」、「あそこの岩場には暗礁があるからね、気をつけた方がいいよ」そんな情報交換もよいでしょう。船旅の疲れをひと時、癒やし合うのもよいでしょう。そして、明日からまた、それぞれ船旅に乗り出してまいりましょう。〈ガリラヤに船乗りせんと時待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でよ〉(万葉集:額田王の歌による)。今年1年、順風満帆でありますように。でも、もし嵐に遭ったら、お祈りしましょう。「イエス様、起きてください。そして、私たちの心の波を静めてください」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-14 21:46:59 (131 ヒット)

1.マルコ3:1-6「手の萎えた人をいやす」

・イエスは繰り返し、安息日に病の人をいやされた。これは安息日を絶対の聖日(仕事をしてはいけない日)とする律法学者やファリサイ人に対する挑戦であり、ユダヤ人たちはイエスを異端の教師と見始めていた。そのイエスが安息日に会堂に入られた。イエスを待ち受けていたのは、安息日にいやしの業を行うかどうかを試みるファリサイ派の人々の視線だった。
−マルコ3:1-2「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気がいやされるかどうか注目していた。」
・イエスは試みる者たちの視線にためらうことなく、手の萎えた人に近づかれた。そして監視するファリサイ人たちに、「安息日を守るためなら人の命を救わなくても良いのか」と問われた。彼らは一言も答えなかった。
−マルコ3:3-4「イエスは手の萎えた人に、『真ん中に立ちなさい』と言われた。そして人々にこう言われた。『安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。』彼らは黙っていた。」
・イエスはその日が安息日であるかを問わず、病人を癒された。無視されたファリサイ派とヘロデ派の人々は、イエスを抹殺すべく、共同謀議を始めた。
−マルコ3:5-6「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと手は元通りになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一諸に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」

2.イエスはあえて安息日に癒しをされた

・イエスは律法を犯すことが死の危険を伴うことを承知の上で、安息日に人を癒される。イエスは自分の身を削って人の命を救われる。福音書記者はそのイエスに、「苦難の僕」の姿を重ねる。
−マタイ8:16-17「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆癒された。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』(イザヤ53:4)」。
・イエスは安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子たちを批判するファリサイ人に対して、「安息日は、人のために定められた」と答えられた。安息日の癒しを非難する人々に対しては「安息日に許されているのは、善を行うことではないのか」と問いかけられた。イエスを動かしているのは神への愛と隣人への愛だ。神は人間の休息のために安息日を設けて下さった、それを人は勝手に細かい規定を作り、煩雑にして、束縛の規則に変えてしまった。それは神の御心に反するのではないかと問われた。
・ファリサイ人たちも緊急の場合は安息日規定を破ることを認めていた。当時のラビは言う「人間の命を救うことは安息日を押しやる」。しかしイエスは更に一歩を踏み込まれる「安息日に行うべきは善か悪か」、父なる神は安息日も働いておられる、そうであれば安息日に善を行うことは、何もしないことに優るのではないか」。隣人愛の要求が律法に新しい命を吹き込んだ。しかし、ファリサイ人や律法学者には受け入れがたい要求だった。

3. 安息日(三省堂聖書思想辞典から)

【旧約】
1.制度:“安息”とは、宗教的意図をもっておこなわれる“仕事の休止”を意味している。安息日の慣行は既にモーセの律法の最古の部分に現われており(出20:8 出23:12 出34:21)。起源はたぶんモーセ以前にさかのぼると思われるが、明らかでない。安息日は、聖書では週という聖なる周期と密接に結ばれており、休息と歓喜と礼拝集会でこれを終わらせる日となっている(ホセ2:13 恐4:23 イザ1:13)。
2.根拠:契約法典は、安息日のもたらす休息には奴隷にも一息つかせるという人道的な面があることを強調する(出23:12)。申命記も同じ見解を示している(申5:12-14)。しかし、祭司伝承ではこの日に別の意義が付与されている。すなわち、人間の労働は創造主なる神の活動を、7日目の休業は神の聖なる休息を模倣するものと考えられるようになっている(出31:13-17 創2:2-3)。かくて、神は安息日を一つの徴{しるし}としてイスラエルに与え、自分がその民を聖化することを知らせようとしたといえるのである(エゼ20:12)。
3.遵守:律法は安息日の休息をひじょうに厳格に解し、火を起こすこと(出35:3)・薪を集めること(民15:32-36)・食事を用意すること(出16:23-30)などを禁じている。預言者たちは、安息日の遵守は終末的約束が実現するための条件であると考える(エレ17:19-27 イザ58:13-14)。ネヘミヤが安息日を完全に守ることに固執している理由もここにある(ネヘ13:15-22)。この日を「聖別する日」(申5:12)とするために、聖なる集会(レビ23:3)・いけにえの奉献(民28:9-10)・供えのパンの更新(レビ24:8 蟻9:32)などがおこなわれる。エルサレム以外の地では、これらの儀式に代わるものとして、会堂(シナゴーグ)で集会が開かれ、信仰者たちは共同の祈祷{きとう}に従事し、聖書の朗読と講解にあずかっている。マカバイ時代には、安息日の休息を厳守するあまり、武器をとって安息日を犯すよりもむしろ虐殺されることを選ぶハシディームの人々が現われているほどである(汽泪2:32-38)。新約時代に移るころ、エッセネ派の人々が厳格に安息日を守っており、かつファリサイ派の学者が安息日に関する細則をつくりだしていたことは周知のとおりである。

【新約】
1.イエス:イエス・キリストは、安息日の掟{おきて}を明白に廃止したわけではなく、この日に会堂に通い、その機会に福音を宣布している(ルカ4:16 ルカ4:31)。しかし彼は、ファリサイ派の人々が説く形式的厳格主義を非難し、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マコ2:27)と断言し、愛を実践する義務を休息の形式的遵守に優先させている(マタ12:5 ルカ13:10-16 ルカ14:1-5)。また「人の子は安息日の主でもある」(マコ2:28)とも明言して、自分が安息日に対して権能を有することも教える。実は、このような行動が律法学者たちの反感を買うことになる(→ヨハ5:9-18)。安息日に善をなすために働いたイエスは、天地創造を終えて安息に入っても、なお世界を治め人間を生かしつづけている父を模倣していたといえよう(ヨハ5:17)。
2.弟子たち:イエスの弟子たちも、最初のころは安息日の掟を守っている(マタ28:1 マコ15:42 マコ16:1 ヨハ19:42)。主の昇天後も、ユダヤ人に福音を宣教するためには安息日の集会が利用される(使13:14 使16:13 使17:2 使18:4)。しかしまもなく、週の初めの日、つまりイエスが復活した日が“主の日”として教会の礼拝日となり(使20:7 黙1:10)、ユダヤ人が安息日におこなっていた施与(汽灰16:2)や神の賛美の実行はこの日に移される。この新しい考え方によると、ユダヤ人のかつての安息日は、旧約の他の多くの制度と同様、前表としての意味をもつことになる。信仰者は、この日に労働を休むことによって、神が7日目に安息したことを記念する。ところで、イエスは復活によってこの神の安息にはいっており、信仰者は彼のあとに従って同じ安息にはいるという約束を受けている(ヘブ4:1-11)。その日こそ、彼らが、創造の業を終えて安息した神を模倣し、かつこの神と一致しながら、いっさいの労苦から解放されて憩う真の安息日となるであろう(ヘブ4:10 黙14:13)。 (C.Spicq, P.Grelot)


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-08 23:03:51 (119 ヒット)

1.「子よ、あなたの罪は赦される」

・毎月第四主日は水口が宣教を担当しております。昨年4月の就任以降、マタイ福音書「山上の説教」を読んできましたが、先月の「主の祈り」で一応の区切りが付きましたので、今月から聖書日課に従って宣教させていただきます。篠崎キリスト教会では2009年1月からマルコ福音書を通じてイエスの宣教を学んでいます。イエスは人々に「神の国の福音」を宣べ伝え、「神の国が来たしるし」として、人々の病を癒され、悪霊を追い出されました。当時の人々は、病気は人間の罪のためだと理解していました。病と罪が関連付けられていますから、「病の癒し」は、必然的に「罪の赦し」の意味を持ってきます。イエスは「父なる神はあなた方を愛しておられるのであって決して呪われているのではない。そのしるしとして父はあなたの病を癒されるであろう」として、癒しの業を行われました。
・しかしイエスの働きを喜ばない人々もいました。エルサレムから来た律法学者たちで、彼らは病気は罪の故であり、病気の人々は神から呪われた罪人だとして社会から排除していました。それが神の御心だと信じていたのです。その人々にとって、イエスの行われた病の癒し=罪の赦しは、「神の名を冒涜する」涜神行為そのものでした。ユダヤ当局はイエスを監視するためにエルサレムから律法学者を派遣し、彼らはイエスとしばしば論争します。今日読みますマルコ2:1-12の個所も、単なる「中風の人の癒し」物語ではなく、律法学者との論争を通じて、「イエスとはどなたか」が浮き彫りになる物語構成になっています。
・物語を読んでいきましょう。マルコは記します「数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」(2:1-2)。この家とはおそらくイエスがガリラヤ伝道の拠点にされておられたシモン・ペテロの家であったのでしょう。マルコは続けます「イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした」(2:2-4)。
・戸口に人があふれ、病人をイエスのところに運び込めなかったので、彼らは屋根に上り、屋根に穴を開けてそこから病人をつり下ろしたというのです。日本の家屋ではこんなことは出来ません。しかし当時のユダヤ家屋は天井の梁の上に木の枝や柴を編んだものを渡し、その上に粘土の覆いを乗せた簡単な構造でしたから、こんなことが出来たのです。それにしても乱暴な行為です。この物語はペテロが弟子のマルコに話したことが記述の背景にあるといわれています。ペテロにしても、これまで聞いたことの無い非常識で突飛な話、同時にそこまでしてイエスの癒しを求めた人々の信仰を見た、忘れがたい出来事だったのでしょう。
・「中風=パラリュティコス」とは「不随のもの」と言う意味で、何らかの理由で身体麻痺になり、起き上がることも出来ない状態になった。今日でいう脳溢血、あるいは脳梗塞の後遺症で苦しんでいた人かもしれません。彼はイエスの癒しの評判を聞き、この人ならば治してくれるかもしれないとの期待を持って来ました。ところが、家は戸口まで人があふれて中に入ることは出来ません。しかし、それくらいではあきらめません。彼は四人の担ぎ手に頼んで、屋根から自分をイエスの前に降ろして欲しいと願いました。イエスも驚かれたでしょう。しかし、驚きと同時に、そこまでして癒しを求めてきたこの人の熱心さの中に、信仰を見られました。ある説教者はこの物語を「救いへの突進」と名付けます。救いへの突進、信仰は文字通り「壁を突き破る力」を持っているのです。
・イエスはもうもうたるほこりと共に降りて来た人に言われました「子よ、あなたの罪は赦された」(2:5)。イエスは「病が癒された」とは言わずに、「罪は赦された」と言われました。「神はあなたの罪を赦された」との意味です。病が人間の罪の結果として生じるとされた当時においては、霊的回復が身体の健康に不可欠だと考えられていたのです。今日でも状況は同じです。現代の精神医学が明らかにしましたのは、「人間精神に潜在する根深い罪悪感や自己嫌悪感が身体機能の麻痺の原因になりうる」と言うことです。女性連合機関紙「世の光」2008年12月号に、宮崎丸山町教会の金子千嘉世牧師が「父のこと」と題する証しをされていますが、それを読みますと、罪の赦しが身体の回復につながった一つの例を見ることが出来ます。金子先生の父親は長い間船乗りとして生活されていましたが、晩年には多発性脳梗塞になられ、また認知症も出て、夜になると徘徊し、病院ももてあまして追い出されたそうです。先生は書きます「自宅に引き取ったその日から三日間、父は一睡もせず夜になると元船長だった父は“魚が来たぞ、起きろ”と怒鳴り、家中の窓をたたきます。仕方が無いので、母と私は網を引くまねをしたり、魚を数えるふりをして夜を過ごしました。私も母も限界でした。ところが三日目の朝、父がすっきりした顔で“おはよ”というのです。そして“お前のイエス様が真っ暗な穴の中にいるわしの手をぐっと握って引っ張りあげてくれた。頭がすっきりした”と言うではありませんか。私は半信半疑ながら、とりあえず感謝のお祈りをしました。“天のお父様”と私が言うと、父がその後に続いて“天のお父様”とお祈りしたのです。気が付いたら、母がエプロンをはずして一緒に父の横でお祈りをしていました」。
・金子先生の証しは続きます「父が召される半年前、父は病気が再発し入院生活をしていましたので家族そろって父を見舞いに行きました。その帰りがけ、父は私を呼び止めて言いました“わしも天国に入れてもらえるのか”と聞くのです。“なんで”と問い返すと、父は“自分は戦時中、食糧輸送団の船団長をしていて、空爆を受けてわしの舟だけが助かった。わしは残りの船の仲間を助けることが出来なかった。あれたちにも家族がおった。わしは死ぬのも怖いが、生きているのもつらかった。幸せになったらいかんと思って今まで生きてきた。こんなわしでもイエス様は赦してくれるんか。天国にいれてもらえるんか”。私は十字架のイエス様のこと、罪の赦しのこと、信じる者は皆御国にお招きくださるイエス様の福音を伝えました。父は“ありがたい”と涙をこぼし、今までに見たことの無いような笑顔を見せてくれました。その日が父の笑顔を見た最後の日となりました」。罪の赦しが金子先生の父親を癒しに導いたのです。

2.罪を赦す権威

・イエスは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。そこにいた律法学者はイエスの言葉を聞いて、つぶやきました「神お一人の他に罪を赦すことの出来るお方はいない。この男は神を冒涜している」(2:7)。イエスはそれを悟って言われました「中風の人に『あなたの罪は赦された』というのと、『起きて床をとって歩け』というのとどちらがたやすいか」(2:9)。「罪が赦された」と宣言されても、誰もその結果を検証できません。しかし「起きて歩け」と言うのは難しい。歩けといって歩けなければ、言った人はうそをついたことになります。イエスは続けられました「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている事をあなたが知るために、私は言う『起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』」(2:10)。中風の人の病はいやされ、床から起き上がり、歩き始めました。
・イエスは病のいやしに先立って、罪の赦しを言われました。何故でしょうか。「罪の赦し」と「病の癒し」のどちらが大切なのかと言う問題が今日の私たちの主題です。私たちが人生において求めることは、自分の力ではどうしようもない困難や苦難が取り除かれることです。失業すれば、生活の困難の問題が生じます。子供が不登校になれば、家庭は荒れます。元気な人が病気で倒れれば、生きる力さえなくなります。生きることは苦難の連続です。その現実の中で、私たちは現実を打ち破る力、病を癒し、困難を取り除いてくれる力を求めています。だから、シモンの家には癒しを求める人々があふれ、教会にも人が訪ねて来ます。数百人、数千人が礼拝に集う教会では、多くの場合、病の癒しが語られ、癒しの祈りが行われています。私たちが求めているのは、目に見えない罪の赦しではなく、目に見える病や不幸の癒しです。
・イエスは中風の人に、まず罪の赦しを語られました。ユダヤの宗教では「病は罪の結果であり、病人は罪人だ」と切り捨てていました。ユダヤ人は、神を「天にいます裁き主」と理解していました。神を「人を罰する万能者」と受け止めていたのです。しかし、イエスは言われます「父なる神はそのような方ではない。神はあなたを子として愛して下さる、そのために私を遣わされた。そのしるしとして、神はあなたの病を癒されるであろう」と。イエスは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。「父はあなたを罰しない、それは私が一番知っている、だから私が父の名においてあなたを赦す」。

3.罪を赦し、病を癒す力

・今日の招詞に詩篇41:4-5を選びました。次のような言葉です「主よ、その人が病の床にあるとき、支え、力を失って伏すとき、立ち直らせてください。私は申します『主よ、憐れんでください。あなたに罪を犯した私を癒してください』」。詩篇の作者は自分の罪を認め、最初に「罪の赦し」を求め、次に「病の癒し」を求めています。マルコ2章でイエスの前に中風の人を連れてきた人々もまた、自分たちは罪人である事を認め、イエスの前にひざまずきました。その結果、罪から解放され、自由が与えられました。他方、律法学者たちは、自分たちは神の前に正しい、罪はないとして、イエスの権威を認めませんでした。その結果、彼らは神の子に敵対し、やがては神の子を十字架につけます。しかしイエスを殺しても彼らには何の平安も訪れず、やがて歴史の中に消えていきました。「罪とは神との関係の破れ」であり、その回復こそ「罪の赦し」です。そしてイエスは自らが十字架で死ぬことにより、この赦しの権能を神から委ねられたのです。イエスに罪を赦す権能が与えられたのは彼がそのために死なれるからです。イザヤは言いました「私の僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ」(イザヤ53:11-12)。
・イエスは言われました「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」(3:28)。私たちは神の赦しの中にあるのです。ですから、教会はイエスの権威を継承して、罪の赦しを宣言します。「神はあなたを赦して下さった、あなたは神の子とされた、その事を喜びなさい」と伝えます。人は求めます「イエスは神の国のしるしとして病を癒して下さいました。あなたも私の病を癒して下さい。そうすれば信じます」。赦しという目に見えないものではなく、癒しという見えるしるしを下さいと人々は望みます。ここで、私たちは、「癒しはあくまでも神の出来事である」ということを伝えなければいけません。神は必要な時には病を癒し、また必要な時には病をそのままにされます。河野進牧師は歌いました「病まなければ ささげ得ない祈りがある 。病まなければ 信じ得ない奇跡がある 。病まなければ 聞き得ない御言葉がある 。病まなければ 近づき得ない聖所がある 。病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある 。おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない」(河野進「病まなければ」)。病が祝福になることがある、癒されないこともまた神の恵みとして受け止めていくのが聖書の信仰です。
・では、癒しは教会の業ではないとして、かかわる必要はないのでしょうか。イエスは癒しを求めてきた中風の人を拒否されませんでした。私たちも自分たちに出来る癒しの業に取り組む必要があると思います。私たちは足の不自由な人に「起きて歩け」ということは出来ません。しかし、足の不自由な人が、教会に来ることが出来るように、玄関の段差をなくし、車椅子のままトイレを使えるように改造することは出来ます。私たちは、病気で寝ている人の病気を治すことは出来ません。しかし、寝ている人を訪ね、祈り、その枕元に週報をおいて帰る事は出来ます。ペテロは自分の家の屋根が壊されても文句を言いませんでした。私たちも自分の家を解放して、家庭集会を行うことは出来ます。私たちはイエスのように癒しを行うことは出来ませんが、イエスの前に中風の人を運んだ四人の男にはなりうるのです。イエスの前に人を運ぶ、その先は、赦しと癒しの権能を持たれるイエスにお委ねすることは出来るのです。教会は多くの癒しの業を行うことが出来ることを覚えたいと思います。


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